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'''ネベリスク''' ('''ネヴェーリスク''';[[ロシア語]]:'''{{lang|ru|Невельск}}'''<small>ニヴィェーリスク</small>)は、[[サハリン]]南部の西海岸に面した都市。[[ロシア連邦]][[サハリン州]]に属する。日本統治時代 ([[1905年]] – [[1945年]]) の[[本斗町]] (ほんとちょう) にあたる。 |
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2008年4月23日 (水) 14:49時点における版
座標: 北緯46度40分24秒 東経141度51分48秒 / 北緯46.673333度 東経141.863333度 ネベリスク (ネヴェーリスク;ロシア語:Невельскニヴィェーリスク)は、サハリン南部の西海岸に面した都市。ロシア連邦サハリン州に属する。日本統治時代 (1905年 – 1945年) の本斗町 (ほんとちょう) にあたる。
日本統治時代の詳細については、「本斗町」の項目を参照すること。
概要
ネベリスクは、サハリン南部の西海岸に面した港町。ユジノサハリンスクから西へ約133キロメートル、ホルムスクから南へ約50キロメートル、北緯46.673333度、東経141.863333度に位置している。町の人口は、18,639人 (2002年人口調査)。
1905年以降の日本領時代は、「本斗」と呼ばれていた。1945年、ソ連が占領し、その統治下に置かれた。1972年、北海道稚内市と提携を結び、その友好都市となった。1983年、大韓航空機撃墜事件では、海底に沈んだ機体と遺体の捜索基地となった。南東の郊外にある日本人墓地には、犠牲者を悼んで「祈りの碑」が建立されている[1]。
2007年、サハリン西方沖の地震により被害を受け、約2,000人の人々が家を失った[2] [3]。
脚注
- ^ 徳田耕一 『サハリン-鉄路1000キロを行く-』(JTBキャンブックス)、JTB、1995年、p.41.
- ^ 気象庁 「特集.2007年8月2日のサハリン西方沖〔サハリン南部付近〕の地震」 『地震・火山月報(防災編)』 2007年8月号. 2008年4月23日閲覧.
- ^ AP通信 “Tent camps set up for 2,000 left homeless by quake near Sakhalin Island” 『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』 2007年8月3日付け. 英文. 2008年4月23日閲覧.
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