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*初代都屋歌六 - ([[生没年不詳]])元は西久保神谷町の御家人で、初め |
*初代都屋歌六 - ([[生没年不詳]])元は西久保神谷町の御家人で、初め[[都々逸坊扇歌|初代都々逸坊扇歌]]の門で扇我、『噺連中帳』([[天保]]6年)にはすでに歌六で見える。浮かれ節謎合せに長じていた。通称「権中納言」。[[享年]]不詳。本名は畔柳藤二兵衛。 |
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*2代目都家歌六 - ([[文政]]8年[[4月8日]]([[1825年]][[5月25日]]) - 没年月日不詳)[[音曲]]師。本名は松本兼吉。最初は2代目 |
*2代目都家歌六 - ([[文政]]8年[[4月8日]]([[1825年]][[5月25日]]) - 没年月日不詳)[[音曲]]師。本名は松本兼吉。最初は[[柳亭左楽#2代目|2代目柳亭左楽]]の門で語楽から清我となり『諸芸人名録』([[1875年]])にはすでに歌六で見える。明治30年代初めまでの番付に見える。通称「兄ィ」。享年不詳。 |
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*3代目都家歌六 - 後の6代目 |
*3代目都家歌六 - 後の[[雷門助六#6代目|6代目雷門助六]]。本名は青木鏡太郎。 |
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*4代目都家歌六 - ([[1871年]][[3月6日]] - [[1926年]][[8月8日]])本名は井本亀之助。最初は4代目柳亭左楽の門で柳家栄太郎(栄五郎とも)、左若を経て[[1907年]]頃[[春風亭柳枝 (4代目)|4代目春風亭柳枝]]門 |
*4代目都家歌六 - ([[1871年]][[3月6日]] - [[1926年]][[8月8日]])本名は井本亀之助。最初は[[柳亭左楽#4代目|4代目柳亭左楽]]の門で柳家栄太郎(栄五郎とも)、左若を経て[[1907年]]頃[[春風亭柳枝 (4代目)|4代目春風亭柳枝]]の門で[[春風亭楓枝]]となり、更に[[1917年]]頃に[[柳亭左楽#5代目|5代目柳亭左楽]]の門で歌六になった。享年55。 |
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*5代目都家歌六 - 後の[[翁家さん馬#8代目|8代目翁家さん馬]]。本名は菅谷徳之助。 |
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*6代目都家歌六 - 後の[[三遊亭圓遊#4代目|4代目三遊亭圓遊]]。本名は加藤遊。 |
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*7代目都家歌六 - ([[1894年]][[9月27日]] - 没年月日不詳)最初 |
*7代目都家歌六 - ([[1894年]][[9月27日]] - 没年月日不詳)最初[[桂小南#初代|初代桂小南]]の門で南馬、桂馬を経て、[[柳家金語楼]]の門で[[柳家夢路]]、[[1939年]]頃に[[春風亭喜久枝]]、すぐに夢路に戻り、[[1944年]]に歌六になる。享年不詳。本名は川田金五郎。 |
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*8代目都家歌六 - 本項にて詳述。 |
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*[[1954年]]10月 - 二つ目に昇進し、桂木多蔵に改名。 |
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*[[1956年]]5月 - 4代目 |
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*[[1963年]] - たまたま見ていたテレビに登場した日本におけるのこぎり音楽の[[パイオニア]]、 高島巌氏(児童福祉施設園長)ののこぎり演奏に感銘を受け、師事。 寄席において落語の後での余興としてのこぎり演奏を始める。 |
*[[1963年]] - たまたま見ていたテレビに登場した日本におけるのこぎり音楽の[[パイオニア]]、 高島巌氏(児童福祉施設園長)ののこぎり演奏に感銘を受け、師事。 寄席において落語の後での余興としてのこぎり演奏を始める。 |
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*[[1969年]]11月 - [[真打]]昇進、8代目都家歌六を襲名。 |
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2007年11月29日 (木) 03:53時点における版
都家 歌六(みやこや うたろく)は、落語家の名跡。当代は8代目。
- 初代都屋歌六 - (生没年不詳)元は西久保神谷町の御家人で、初め初代都々逸坊扇歌の門で扇我、『噺連中帳』(天保6年)にはすでに歌六で見える。浮かれ節謎合せに長じていた。通称「権中納言」。享年不詳。本名は畔柳藤二兵衛。
- 2代目都家歌六 - (文政8年4月8日(1825年5月25日) - 没年月日不詳)音曲師。本名は松本兼吉。最初は2代目柳亭左楽の門で語楽から清我となり『諸芸人名録』(1875年)にはすでに歌六で見える。明治30年代初めまでの番付に見える。通称「兄ィ」。享年不詳。
- 3代目都家歌六 - 後の6代目雷門助六。本名は青木鏡太郎。
- 4代目都家歌六 - (1871年3月6日 - 1926年8月8日)本名は井本亀之助。最初は4代目柳亭左楽の門で柳家栄太郎(栄五郎とも)、左若を経て1907年頃4代目春風亭柳枝の門で春風亭楓枝となり、更に1917年頃に5代目柳亭左楽の門で歌六になった。享年55。
- 5代目都家歌六 - 後の8代目翁家さん馬。本名は菅谷徳之助。
- 6代目都家歌六 - 後の4代目三遊亭圓遊。本名は加藤遊。
- 7代目都家歌六 - (1894年9月27日 - 没年月日不詳)最初初代桂小南の門で南馬、桂馬を経て、柳家金語楼の門で柳家夢路、1939年頃に春風亭喜久枝、すぐに夢路に戻り、1944年に歌六になる。享年不詳。本名は川田金五郎。
- 8代目都家歌六 - 本項にて詳述。
8代目都家 歌六(みやこやうたろく、男性、1930年7月25日 - )は、愛知県名古屋市出身の落語家であり、ミュージックソー演奏家。本名は真野良夫。社団法人落語芸術協会所属の真打であると同時に、日本のこぎり音楽協会会長も勤める。出囃子は『自転車節』。
人物
レコード収集
SPを中心とする落語・演芸関係の古いレコード収集では日本一である。
長年の成果は著書『落語レコード八十年史』にまとめられている。類書は存在しない。この分野の第一人者である。
NHKのラジオ深夜便にて毎月第4土曜深夜(日曜日)の午前1時台に「都家歌六の芸能博物館」として出演し解説をつとめ、自らのコレクションを披露する。
略歴
- 1951年3月 - 3代目桂三木助に入門。前座名は桂三多吉。
- 1954年10月 - 二つ目に昇進し、桂木多蔵に改名。
- 1956年5月 - 4代目三遊亭圓遊の門に移り、三遊亭万遊と改名。
- 1963年 - たまたま見ていたテレビに登場した日本におけるのこぎり音楽のパイオニア、 高島巌氏(児童福祉施設園長)ののこぎり演奏に感銘を受け、師事。 寄席において落語の後での余興としてのこぎり演奏を始める。
- 1969年11月 - 真打昇進、8代目都家歌六を襲名。
- 1982年6月 - "のこぎり漫談"を寄席の芸として確立、余興から本業となる。
著書
- 激写!ポルノ寄席
- 落語レコード八十年史(全2巻)国書刊行会, 1987.11
- ご存じ古今東西噺家紳士録 ISBN 490144140X エーピーピーカンパニー, 2005.2
関連項目
外部リンク
参考文献
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X