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2007年6月23日 (土) 16:38時点における版

Zaragoza
エブロ川とピラール聖母教会
エブロ川とピラール聖母教会
アラゴン州
サラゴサ県
面積 1,059km²
標高 199m
人口 649,181人(2006年)、第5位
人口密度 613人/km²

サラゴサの位置
北緯41度39分21秒 西経0度52分39秒 / 北緯41.65583度 西経0.87750度 / 41.65583; -0.87750

サラゴサZaragoza)は、スペイン北東部の都市。アラゴン州の州都で、サラゴサ県の県都。人口は約65万人でスペイン第5位。スペイン北東部を流れるエブロ川の中流に位置し、中世にアラゴン王国の都が置かれた。

歴史

ローマ時代の城壁

古代ローマ時代に植民市としてアウグストゥスにより「カエサラウグスタ」という名で建設された。紀元2世紀には最盛期を迎え、ローマ浴場や劇場などの公共施設が建てられ、今に残されている。3世紀にはローマの「3世紀の危機」によって、城壁が建設される代わりに公共施設は衰えた。

409年ごろからスエビ族西ゴート族などのゲルマン人がイベリア半島に侵入を始めた。サラゴサはその頑丈な城壁によって持ちこたえたが、472年、西ゴートの王エウリック配下の部隊によって陥落した。7世紀のサラゴサは多数の教会知識人を輩出し、セビリャトレドと並んで西ゴート王国の文化の中心地となった。

714年以降、イスラム勢力(ウマイヤ朝、のちに後ウマイヤ朝)の支配下に入り、ピレネー山脈のキリスト教諸国との前線となった。10世紀半ばには、バヌー・カシー家(en)がサラゴサを中心として独立した王国を築き、パンプローナのイニゴ・アリスタ(en)と血縁関係を結んだ。11世紀に後ウマイヤ朝が内乱で崩壊すると、タイファ諸国の一つであるサラゴサ王国(es)が成立し、最盛期には現在のアリカンテタラゴナまで領土を広げた。アルハフェリア宮殿が建てられたのはこの頃である。

半島戦争でのサラゴサ攻囲

1110年にサラゴサ王国はムラービト朝に征服された。1118年にサラゴサはアラゴン王国のアルフォンソ1世に征服され、以降はアラゴン王国の首都となった。多くのイスラム教徒が立ち去ったために人口が減少し、フランスやナバラからの植民が行われた。

1591年、サラゴサでアラゴン騒乱(es)が起きた。フェリペ2世に訴追された元秘書官アントニオ・ペレス(es)が法制度の違うアラゴン王国に逃げ込み、裁判権を巡って対立が起きた。アラゴンの特権を守るために民衆が暴動を起こし、フェリペ2世は軍隊を派遣してこれを鎮圧し、市長を死刑にした。これにより、アラゴンの特権の一部が失われた。

ナポレオン軍の侵入に抵抗した半島戦争では、1808年から1809年にかけて2度にわたって攻囲された(en)。この攻囲から100年後の1908年にサラゴサで「スペイン・フランス博覧会」(en)が開かれ、さらに100年後の2008年サラゴサ万国博覧会が開かれる予定である。

人口

サラゴサにはアラゴン州の人口の約半分、サラゴサ県の人口の約4分の3が集中している。

1991年から2006年までのサラゴサ人口の推移
1991年 1996年 2001年 2004年 2005年 2006年
594 394 601 674 610 976 638 799 647 373 649 181

経済

1982年GM傘下のオペルの工場が近隣の町フィゲルエラスに建てられた。BalayやCafなどの工場もあり、経済の柱は農業から工業に移っている。

2008年に、「水と持続可能な開発」をテーマにしたサラゴサ万国博覧会(認定博)が行われる予定。日本のマスコミは2005年の愛知万博の次の国際博覧会は上海国際博覧会(2010年 登録博)としているが、厳密に言うとこれは誤りである(上海は次の「登録博」である)。

観光

  • ピラール聖母教会(en) - 紀元40年1月2日、この地でヤコブの前に聖母マリアが柱(ピラール)の上に立って現れたという伝説がある。現在の建物は17世紀から19世紀にかけて建てられたもの。
  • カテドラル「ラ・セオ」(en) - ロマネスク、ゴシック、ムデハルなどの建築様式が融合している。「セオ」はアラゴン語で「大司教座」のこと。
  • アルハフェリア宮殿(en) - タイファ時代にイスラム君主によって建てられた城で、アラゴン王国の宮殿としても使われた。

世界遺産アラゴンのムデハル様式の建築物」には、サラゴサの3つの建築物が含まれている。

  • アルハフェリア宮殿のムデハル様式の遺跡
  • ラ・セオの後陣、礼拝堂(パロキエタ)、ドーム。
  • サン・パブロ教会の塔と教区教会

交通

高速鉄道AVEが2003年に開通し、マドリードからは1時間半で結ばれる。サラゴサを通る路線はタラゴナまで伸び、2007年にはバルセロナまで延伸する予定。

市の10km西にサラゴサ空港en)があり、マドリード、ロンドン、フランクフルトなどからの便がある。サラゴサ空港はスペイン空軍の基地としても使われている。

教育

1542年創立のサラゴサ大学en)がある。ウエスカテルエルなど、アラゴン州の各所にもキャンパスが置かれている。

スポーツ

レアル・サラゴサはサラゴサを本拠とするサッカークラブチームで、リーガ・エスパニョーラプリメーラ・ディビシオンに属する。レアル・サラゴサが本拠地とするスタジアムはラ・ロマレダen)で、1982年ワールドカップの会場ともなった。

姉妹都市

サラゴサには、10の都市と姉妹都市関係を結んでいる[1]

外部リンク