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2007年6月1日 (金) 06:58時点における版
ニノ・ブルジャナゼ(グルジア語:ნინო ბურჯანაძე 英語転記:Nino Burdzhanadze 1964年7月16日 - )は、グルジアの法律家で、政治家、国会議員。2001年11月9日からグルジアの女性として歴史上はじめて、グルジアの国会議長をつとめている。エドゥアルド・シュワルナゼ大統領の辞任後、ミヘイル・サアカシュヴィリ大統領が選出されるまで約4ヶ月間、同国の暫定大統領を務めた。
ブルジャナゼは、1964年7月16日に同国クタイシに生まれた。1986年に、トビリシ国立大学(Tbilisi State University)法学部を卒業し、1986年から1990年までモスクワ国立大学に留学。1990年に、国際法の博士としてモスクワ国立大学を卒業した。その後1991年からトビリシ国立大学法学部の助教授を務めた。
ブルジャナゼは親欧派とみられている。彼女自身、グルジアは一刻も早くEUおよびNATOに加入すべきだと述べたことがある。
1995年に国会議員に初めて当選する。これ以前から彼女はエドゥアルド・シュワルナゼの政党であるCUG(Citizen’s Union of Georgia、グルジア市民連合)に所属していた。彼女は1999年までグルジア法務省長官も務めており、その後は外務大臣に就任。2000年からはOSCE(Operation of Security and Co-operation of Europe、欧州安全保障協力機構)の副議長を務め、2001年から2002年にかけてはPABSEC(Parliamentary Assembly of the Black Sea Economic Co-operation、黒海経済協力機構)議会集会委員長も歴任した。
2003年11月2日に行われたグルジア大統領選挙では、出口調査の結果などから開票の不正がささやかれており、アメリカ合衆国はこれに対して非難を表明していた。しかし、2003年11月22日にはエドゥアルド・シュワルナゼ大統領率いる「選挙に基づいた」議会が招集された。
この議会開会式には選挙のやり直しを求めた反対派の議員は出席せず、議場の外には不正な選挙に激怒した市民が押しかけた。エドゥアルド・シュワルナゼ大統領が開会の辞を朗読すると、場外に押しかけていた市民25,000人が議場へと一気に突入する事態になった。この混乱によってエドゥアルド・シュワルナゼ大統領は首都トビリシから逃亡し、翌11月23日には大統領辞任を表明した。
大統領辞任を受け、当時最大の野党「ブルジャナゼ・労働党」の党首であったブルジャナゼが暫定大統領に就任した。翌年1月4日の大統領選挙でミヘイル・サアカシュヴィリが後任に決まり、1月25日に退任した。
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