「交響曲第9番 (ドヴォルザーク)」の版間の差分

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『新世界から』という副題は、新世界[[アメリカ]]から故郷[[ボヘミア]]へ向けてのメッセージ、といった意味がある。全般的にはボヘミアの音楽の語法によりながらも、アメリカで触れた[[アフリカ系アメリカ人]]や[[ネイティヴ・アメリカン]]の音楽も見事に融合されており、それらを[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]の作品の研究や[[交響曲第7番 (ドヴォルザーク)|第7]]・[[交響曲第8番 (ドヴォルザーク)|第8]]交響曲の作曲によって培われた[[西欧]]式の古典的交響曲のスタイルに昇華させている。このように、東欧・西欧・アメリカの3つの地域の音楽が有機的な結合で結びいた本作は、ドヴォルザーク有数の名作ということができるであろう。
『新世界から』という副題は、新世界[[アメリカ]]から故郷[[ボヘミア]]へ向けてのメッセージ、といった意味がある。全般的にはボヘミアの音楽の語法によりながらも、アメリカで触れた[[アフリカ系アメリカ人]]や[[ネイティヴ・アメリカン]]の音楽も見事に融合されており、それらを[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]の作品の研究や[[交響曲第7番 (ドヴォルザーク)|第7]]・[[交響曲第8番 (ドヴォルザーク)|第8]]交響曲の作曲によって培われた[[西欧]]式の古典的交響曲のスタイルに昇華させている。このように、東欧・西欧・アメリカの3つの地域の音楽が有機的な結合で結びいた本作は、ドヴォルザーク有数の名作ということができるであろう。


第2楽章の主部の旋律を元に編集された歌曲、「遠き山に日は落ちて(作詞:[[堀内敬三]])」「家路(作詞:[[野上彰]])」も非常に有名となっている。(時折誤解が見受けられるが、あくまで、交響曲に使われた旋律を基に歌曲が編まれたのであり、その逆ではない。)また第4楽章の冒頭部も非常に有名である。
第2楽章の主部の旋律を元に編集された歌曲、「遠き山に日は落ちて(作詞:[[堀内敬三]])」「家路(作詞:[[野上彰 (文学者)|野上彰]])」も非常に有名となっている。(時折誤解が見受けられるが、あくまで、交響曲に使われた旋律を基に歌曲が編まれたのであり、その逆ではない。)また第4楽章の冒頭部も非常に有名である。


== 作曲の経緯・初演 ==
== 作曲の経緯・初演 ==

2007年5月29日 (火) 15:50時点における版

交響曲第9番ホ短調作品95『新世界から』(こうきょうきょくだいくばんほたんちょう「しんせかいから」、: From the New World/: Aus der neuen Welt/チェコ語: Z nového svĕta)はアントニン・ドヴォルザーク1893年に作曲した、4つの楽章からなる彼の9番目にして最後の交響曲である。古くは出版順により第5番と呼ばれていたが、その後作曲順に番号が整理されて現在では第9番で定着している。

概要

この作品は弦楽四重奏曲第12番チェロ協奏曲と並んで、ドヴォルザークのアメリカ時代を代表する作品である。ドヴォルザークのほかの作品と比べても際立って親しみやすさにあふれるこの作品は、クラシック音楽有数の人気曲となっており非常に有名。オーケストラの演奏会で最も頻繁に演奏されるレパートリーのひとつでもあり、ベートーヴェン交響曲第5番「運命」シューベルト交響曲第8番「未完成」と並んで「三大交響曲」と呼ばれることもある。

『新世界から』という副題は、新世界アメリカから故郷ボヘミアへ向けてのメッセージ、といった意味がある。全般的にはボヘミアの音楽の語法によりながらも、アメリカで触れたアフリカ系アメリカ人ネイティヴ・アメリカンの音楽も見事に融合されており、それらをブラームスの作品の研究や第7第8交響曲の作曲によって培われた西欧式の古典的交響曲のスタイルに昇華させている。このように、東欧・西欧・アメリカの3つの地域の音楽が有機的な結合で結びいた本作は、ドヴォルザーク有数の名作ということができるであろう。

第2楽章の主部の旋律を元に編集された歌曲、「遠き山に日は落ちて(作詞:堀内敬三)」「家路(作詞:野上彰)」も非常に有名となっている。(時折誤解が見受けられるが、あくまで、交響曲に使われた旋律を基に歌曲が編まれたのであり、その逆ではない。)また第4楽章の冒頭部も非常に有名である。

作曲の経緯・初演

この曲は、ドヴォルザークのアメリカ滞在の期間(1892年 - 1895年)中に作曲された。ドヴォルザークがアメリカの黒人の音楽が故郷ボヘミアの音楽に似ていることに刺激を受け、「新世界から」故郷ボヘミアへ向けて作られた作品だと言われている。

1893年12月15日に出版された。初演は1893年12月16日ニューヨークカーネギー・ホールにて、アントン・ザイドルの指揮でニューヨーク・フィルハーモニックによる。

楽器編成

この曲の中で、シンバルは全曲を通して第4楽章の一打ちだけであることがよく話題となるが、奏者について言えばトライアングル奏者が持ち替え可能である。

イングリッシュホルンについて、上述の通り、ドヴォルザークは2番奏者の持ち替えとして作曲していると判断できるが、最近では単独のパートとして扱われることが多い。

チューバは使われているが、第2楽章のコラール部分のみ、合計10小節にも満たない。しかもバス・トロンボーン(3番トロンボーン)と全く同じ音である。

第1楽章の再現部ではフルートの2番奏者によるソロが指定されている(理由は不明)。

曲の構成

アメリカの音楽を取り入れながらも、構成はあくまでも古典的な交響曲の形式にのっとっている。

第1楽章 Adagio - Allegro molto
アダージョアレグロモルトホ短調ソナタ形式
序奏は弦の旋律によって始まる。クラリネットホルンの信号的な動機に続き、再び弦の旋律が戻ってくると、突如として荒々しく低弦とティンパニ、クラリネットが咆哮する。盛り上がった後一旦静まり、アレグロ・モルトの主部に入る。ホルンやオーボエが第1主題を提示し、フルートが受け答える。弦が一気に盛り上げ、トランペットファンファーレと共にこの主題が確保される。次いでフルートオーボエによるト短調の副次主題が提示される、これは一部の解説書には第2主題とされる場合があるが、当時の交響曲の作法からすれば誤りである(短調の第1主題を同じく短調の第2主題が受けることは考えにくい)。続いて弦に歌謡的な第2主題が出る。この主題が高潮すると小結尾となり、第1主題の動機も加わって、気分はぐっと明るくなる。展開部では両主題が巧みに処理される。再現部では提示部とほぼ同じに進行し、小結尾の主題に第1主題が戦闘的に加わるとコーダに入る。幾分不協和なクライマックスを迎えた後、トランペットのファンファーレに続き、強烈なトゥッティで楽章を閉じる。
第2楽章 Largo
ラルゴ変ニ長調複合三部形式
変ニ長調は作品全体の主調であるホ短調からは遠隔調に相当する。このため、この楽章は前後の楽章との対比から独特の浮遊感がある。イングリッシュホルンによる主部の主題は非常に有名であり、歌曲「家路」として編集されていることは既に述べたとおりである。
中間部は同主調(異名同音で)の嬰ハ短調に転じる。クライマックスでは第1楽章の第1主題の動機が加わる。冒頭の主題が再現された後、静かなコーダが続いて終わる。
第3楽章 Scherzo (Molto vivace)
スケルツォ(モルト・ヴィヴァーチェ)。ホ短調、スケルツォ、複合三部形式。
かなり速いテンポのスケルツォである。この楽章のみトライアングルが使用される。第1楽章第1主題の動機も登場する。
第4楽章 Allegro con fuoco
アレグロ・コン・フォーコ。ホ短調、ソナタ形式。
冒頭部が有名。映画「ジョーズ」を思わせる序奏が一気に盛り上がり、金管による第1主題を導く。第2主題が現れる前に激烈な経過部が有る。この経過部の後半(演奏開始から1:55後ほど)に、全曲を通じてただ1度だけのシンバルが打たれるが(弱音なので目立たない)、これについてはまだ謎が多い。
第2主題は、フルートとチェロを主体にした柔和な旋律である。この旋律は、彼の交響曲第8番の第1楽章第1主題に出る副旋律(同曲では主にチェロが担当)の影響が強く、それを知る者にはこの曲が表出する「アメリカ」への感想とともに、彼の故郷への切なる想いを知らしめる絶大な効果を持つ。
そして、ヴァイオリンなどが加わると盛り上がって小結尾になる。第1主題の動機も加えたあと静まり、展開部に入る。
小結尾で現れたフルートのトリルが多い動機に続き、第1主題の断片と経過部主題が続く。第2楽章の主題が印象的に回想され、第1楽章第1主題の回想に続いて、この楽章の第1主題が激烈に再現する。
静まった後第2主題が再現し、気分が落ち着いたものとなる。それまでの主題の回想はなおも続き、今度は第1楽章小結尾主題と第1主題に続いて、フィナーレに向かってゆく。第1主題と経過部主題が同時に再現され、静まった後第2楽章の主題と第3楽章の主題が同時に再現する。この部分は虚無感に満ちている。
そしてコーダに入り、弦が壮大に第1主題を奏でると、管楽器は第1楽章第1主題と第2楽章の主題を不協和に奏して妨げるが、ホ長調に転じてこれを振り切り、テンポを上げて感動的に終結する。最後の1音はフェルマータ和音ディミヌエンドしながら出すという、非常に興味深いものである。