「都家歌六」の版間の差分

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'''都家 歌六'''(みやこや うたろく)は、[[落語]]の[[名跡]]。当代は8代目。
'''都家 歌六'''(みやこや うたろく)は、[[落語]]の[[名跡]]。当代は8代目。


*初代 都屋歌六(生没年不詳) - 西久保神谷町の御家人の出で初め初代[[都々逸坊扇歌]]の門で扇我、『噺連中帳』([[天保6年]])にはすでに歌六で見える。浮かれぶしなぞなぞ合せに長じ、俗に「権中納言」。[[享年]]不詳。本名:畔柳藤二兵衛。
*初代 都屋歌六([[生没年不詳]]) - 西久保神谷町の御家人の出で初め初代[[都々逸坊扇歌]]の門で扇我、『噺連中帳』([[天保6年]])にはすでに歌六で見える。浮かれぶしなぞなぞ合せに長じ、俗に「権中納言」。[[享年]]不詳。本名:畔柳藤二兵衛。
*2代目 都家歌六([[1825年]][[4月8日]] - ?) - 最初は2代目[[柳亭左楽]]の門で語楽、清我、『諸芸人名録』([[明治8年]])にはすでに歌六で見える。明治30年代初めまでの番付に見える。俗に「兄ィ」。[[音曲]]師。享年不詳。本名:松本兼吉。
*2代目 都家歌六([[1825年]][[4月8日]] - ?) - 最初は2代目[[柳亭左楽]]の門で語楽、清我、『諸芸人名録』([[明治8年]])にはすでに歌六で見える。明治30年代初めまでの番付に見える。俗に「兄ィ」。[[音曲]]師。享年不詳。本名:松本兼吉。
*3代目 都家歌六 - 後の6代目[[雷門助六]]。本名:青木鏡太郎。
*3代目 都家歌六 - 後の6代目[[雷門助六]]。本名:青木鏡太郎。

2007年4月27日 (金) 07:35時点における版

都家 歌六(みやこや うたろく)は、落語名跡。当代は8代目。


8代目都家 歌六(みやこやうたろく、男性、1930年7月25日 - )は、 愛知県名古屋市出身の落語家ミュージックソー演奏家。本名は真野良夫。

人物

ミュージックソー演奏における日本の第一人者である。

レコード蒐集

SPを中心とする落語・演芸関係の古いレコード収集では日本一である。

長年の成果は著書『落語レコード八十年史』にまとめられている。類書は存在しない。この分野の第一人者である。

NHKラジオ深夜便にて毎月第4土曜深夜(日曜日)の午前1時台に「都家歌六の芸能博物館」として出演し解説をつとめ、自らのコレクションを披露する。

略歴

  • 1930年(昭和5)7月25日名古屋市生まれ。
  • 1951年(昭和26)3月 3代目桂三木助に入門。芸名:桂三多吉
  • 1954年(昭和29)10月 二つ目。芸名:桂木多蔵。
  • 1956年(昭和31)5月 4代目三遊亭圓遊門下に移り、芸名:三遊亭万遊と改名。
  • 1963年(昭和38)たまたま見ていたテレビに登場した日本におけるのこぎり音楽のパイオニア、 高島巌氏(児童福祉施設園長)ののこぎり演奏に感銘を受け、師事。 寄席において落語の後での余興としてのこぎり演奏を始める。
  • 1969年(昭和44)11月 真打昇進、八代目都家歌六を襲名。
  • 1982年(昭和57)6月"のこぎり漫談"を寄席の芸として確立、余興から本業となる。

著書


関連項目

出典