検察官 (戯曲)

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検察官
Ревизор
初版の表紙
初版の表紙
作者 ニコライ・ゴーゴリ
ロシア帝国
言語 ロシア語
ジャンル 社会諷刺
幕数 五幕
初出情報
初出 1836年 単行本
初演情報
場所 アレクサンドラ劇場
ペテルブルグ
初演公開日 1836年4月19日
ポータル 文学 ポータル 舞台芸術
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検察官」(けんさつかん、: Ревизор)は、ニコライ・ゴーゴリ戯曲1836年初演。

ゴーゴリの戯曲作品には、『検察官』のほかに、未完の終わった『ウラジーミル三等勲章』(1883年。この戯曲の四つの場面、『事務家の朝』『訴訟』『下男部屋』『断片』は1842年版の作品集に収められている)『結婚』(1842年)、『賭博者』(1842年)、『芝居のはね』があるが、『検察官』はいうまでもなく彼の代表的戯曲作品である。

日本語訳題は『査察官』としたものもある[1]

成立過程[編集]

長編小説『死せる魂』の場合と同じように、『検察官』もまた、プーシキンによって主題をあたえられて書かれたものである。喜劇『結婚』の脱稿後、1835年10月、ゴーゴリはプーシキンにあてて「わたしはいま喜劇を書きたくてたまりません、お願いですから主題をあたえてください、そうしたらわたしはそれをまたたくまに五幕の喜劇に仕上げてみせますよ、きっと」という内容の手紙を書いたが、それから二ヶ月足らずの12月4日には、M.ポゴージンにあてて、プーシキンから主題をあたえられた戯曲を脱稿したことを報じている。

この戯曲は、翌1836年のなって、当時のロシア詩壇の巨匠ジュコーフスキー邸でひらかれた文学者の集まりで、はじめて朗読された。在席したプーシキンもこの喜劇の朗読をきいて、腹をかかえて笑ったと伝えられている。しかし、この戯曲は、官吏にたいする痛烈な諷刺を内容としていたので、検閲の通過が心配されたが、ジュコフスキーのはからいによって宮廷で朗読されることとなり、結果はニコライ1世の気に入って、上演も許可されることとなった。かくて、4月19日、ペテルブルグアレクサンドラ劇場で初演され、ついで五月末にはモスクワの小劇場でも上演された。

当時の評判[編集]

官吏へのするどい諷刺を内容としたこの劇の上演は、保守派のがわからは「中小である、ばかばかしい茶番劇だ」としてはげしい憤激を買い、非難される一方、進歩派のがわからは、「真にせまった、すばらしい喜劇」として賞賛を浴び、その論争は新聞や雑誌をにぎわすにいたった。

ゴーゴリ自身この作で意図したのは、ただ「ロシアにある一切の悪を笑殺しよう」としたのにすぎなかったのに、それがこのような世論の渦巻きをひきおこしたことで、彼は激しいショックをうけた。進歩派の批評家たちの賞賛と擁護も救いとはならず、疲れ果てた彼は親友のダニレフスキーとともに外国に逃避し、その後長く外国での生活を送ることとなる。

作品解説[編集]

最後のシーン、ゴーゴリの手描きの絵。1836年

『検察官』は、首都から遠く離れた地方小都市を舞台に、市長を中心とするその街の一握りの権力者たちに起こった出来事を描いた作品である。

狡猾で無情な市長、無知で腐敗しきった役人たち、官金横領、収賄、下層市民への不当な圧迫、いろんな不正不義がそこではあたりまえのこととして行われていた。彼らは微行の検察官がやってくるという噂に慌て怯える。そこへたまたま、首都で小官吏であった青年が、カルタ遊びや放蕩で身をもちくずし文無しになり、故郷へ帰る途中で街の宿屋に投宿しているのを、彼らは微行の検察官に取り違えてしまう。市長はその青年のために盛大な歓迎会をひらき、賄賂を握らせ、自分の娘まで彼に与えようとする。思わぬ賄賂で懐をふくらませた青年は、正体を覚られぬ内にと、さっさと町を立ち去る。

結末[編集]

手紙など平気で開封する郵便局長の手によって、青年が首都の友人に宛てた、自分の冒険を報じ権力者たちの阿呆さ加減を思いきり嘲笑している手紙が開封され、それが市長をはじめ集まっている一同に知らされ唖然としているところへ、本物の検察官の到着が告げられる、というところでこの劇の幕がおりる。

上演[編集]

背景[編集]

ゴーゴリ生誕200周年を記念した切手 (ロシア、2009年)

『検察官』の前に、ゴーゴリは未完に終わった『ウラジーミル三等勲章 』を多年にわたって構想しつづけたのであった。『ウラジーミル三等勲章 』で彼が描こうとしたのは、首都ペテルブルグの貴族社会であり、また意図したのは貴族による権力政治の悪の暴露と摘発であった。しかし、この作を書きすすめていくうちに、これがとうてい検閲を通過する見込みのないことがはっきりしてきた。そこで彼はついに筆を折ることにしたのである[要出典]

そのことから考えると、『検察官』で彼が舞台を地方の小都市にとり、そこの生きる、いわば下っぱ役人たちの小社会の出来事を扱っているにもせよ、それが地方の特殊な場合を扱おうとしたのではなく、底に『ウラジーミル三等勲章 』で果たせなかった意図を生かし、当時のロシアの官僚政治そのものの一般的な悪と不正とを暴露して笑殺しようとしたものであることがわかる。また舞台を地方の小都市にとったことで、かえって作品として隙がなく、ひきしまり、異常なリアリティをもって迫るものを打つ出しえたのでもある[独自研究?]

主人公の立ち位置[編集]

主人公のにせ検察官フレスタコーフについて一言すれば、彼は軽薄で、自慢屋で、まったく無責任な青年であり、重要人物になりすまし、さわやかな弁舌をふるい、大ぼらを吹く。浮薄で低俗、そして恐ろしい空虚のなかに生きている人間である。フレスタコーフ気質という言葉が、この作の発表後流行したというが[要出典]ゴーゴリが『狂人日記』『外套』など一連のペテルブルグ物語のなかで、怖気をふるい、嫌悪しながら描いている、あのペテルブルグの社交界の人間たちの一象徴として、この青年は描きだされているのである[独自研究?]

作品の立ち位置[編集]

『検察官』は、ベリンスキーも指摘しているように、「写実主義の手本」であり、いわゆる十九世紀ロシア文学の「批判的リアリズム」の代表的な作品である。

刊行情報[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ゴーゴリ『鼻 外套 査察官』浦雅春訳、光文社光文社古典新訳文庫〉、2006年11月。ISBN 4-334-75116-4 

外部リンク[編集]