コンテンツにスキップ

森英介 (詩人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森 英介(もり えいすけ、本名:佐藤重男、1917年3月13日 - 1951年2月8日)は、日本の詩人。生前はまったく無名であったが、没後に評価されるようになった。

来歴 

[編集]

佐藤重男として、1917年(大正6年)3月13日山形県米沢市に生まれる。1936年(昭和11年)、早稲田大学文学部哲学科に入学するも、1939年(昭和14年)に中退。1940年(昭和15年)、結婚。1941年(昭和16年)に召集され浜松の航空隊に入隊後、青森県三沢基地に転属、病気のため豊橋の陸軍病院に送還され、1943年(昭和18年)に召集解除。長男、次男が生れた後、1945年(昭和20年)の敗戦前に離婚。1946年(昭和21年)9月に総合雑誌『労農』を米沢で創刊(第3号で休刊)。1950年(昭和25年)5月米沢市のカトリック教会で受洗。1951年(昭和26年)2月8日、病気のため34歳で死去[1]

詩集『地獄の歌 火の聖女』は1951年(昭和26年)、限定200部の私家版として刊行された[2]土屋輝余子のデッサン3点を掲載。詩人の高村光太郎が寄せた序文で「このやうな詩集を私は未だ嘗て見たことがない。これほど魂のさしせまつた聲を未だ嘗てきいたことがない。」と森の詩業を評価している。 1980年北洋社から復刻版が刊行され、作家の井上靖遠藤周作、詩人の田村隆一村野四郎井上洋治、早稲田大学同窓の堺誠一郎松浪信三郎(早稲田大学文学部教授)が、森の生涯と詩業を詳述し再評価した。2000年には詩人の中村不二夫が全国月刊詩誌詩と思想」で森の詩業について執筆[3]している。

詩集

[編集]
  • 『地獄の歌 火の聖女』(私家版、1951年。復刻版、北洋社、1980年)。

出典

[編集]
  1. ^ 堺誠一郎「森英介と火の聖女のこと」『地獄の歌 火の聖女』、北洋社、1980年1月、p.735‐739。 
  2. ^ 松浪信三郎「『火の聖女』の森英介」『地獄の歌 火の聖女』、北洋社、1980年1月、p.727‐734。 
  3. ^ 中村不二夫「森英介『火の聖女』」『詩の音』、土曜美術社出版販売、2011年9月、p.270。