森山慶三郎
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森山 慶三郎(もりやま けいざぶろう、1870年7月18日〈明治3年6月20日〉 - 1944年〈昭和19年〉5月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
経歴
[編集]佐賀藩士・森山武光の二男として生れる。攻玉社を経て、1890年7月、海軍兵学校(17期)を卒業。卒業席次は4番。
1892年5月、海軍少尉任官。日清戦争では「高千穂」乗組として出征した。軍令部第2局員、フランス留学、同駐在、「常磐」砲術長、常備艦隊参謀などを歴任。
日露戦争では第2艦隊参謀として出征した。軍令部参謀(第3班長)、フランス大使館付、「春日」艦長、海軍省副官、「出雲」艦長などを歴任。第一次世界大戦では遣米枝隊司令官として出征し、アメリカ西海岸海域で活動し、1914年12月、海軍少将に進級した。軍令部出仕、第2戦隊司令官、軍令部参謀(第4班長)、同第3班長、第1戦隊司令官などを経て、1918年12月、海軍中将となった。以後、大湊要港部司令官、呉工廠長、将官会議議員を経て、1923年4月、予備役に編入された。
のち、日墨協会会長、大日本国粋会会長となった。
栄典
[編集]- 位階
- 1892年(明治25年)7月5日 - 正八位[1]
- 1898年(明治31年)3月8日 - 正七位[2]
- 1905年(明治38年)2月14日 - 正六位[3]
- 1908年(明治41年)12月11日 - 従五位[4]
- 1914年(大正3年)1月30日 - 正五位[5]
- 1918年(大正7年)12月28日 - 従四位[6]
- 1923年(大正12年)4月30日 - 正四位[7]
- 勲章等
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功三級金鵄勲章・勲三等旭日中綬章・明治三十七八年従軍記章[8]
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[9]
- 外国勲章等佩用允許
著作等
[編集]脚注
[編集]- ^ 『官報』第2708号「叙任及辞令」1892年7月8日。
- ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
- ^ 『官報』第6494号「叙任及辞令」1905年2月25日。
- ^ 『官報』第7640号「叙任及辞令」1908年12月12日。
- ^ 『官報』第451号「叙任及辞令」1914年1月31日。
- ^ 『官報』第1923号「叙任及辞令」1918年12月29日。
- ^ 『官報』第3223号「叙任及辞令」1923年5月1日。
- ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
- ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
- ^ 『官報』第5718号「叙任及辞令」1902年7月26日。