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梅本政夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
梅本 政夫
基本情報
出身地 日本の旗 日本 岡山県
生年月日 1919年
没年月日 没年不明
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1938年
初出場 1938年9月30日[1]
最終出場 1938年9月30日[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

梅本 政夫(うめもと まさお、1919年 - 没年不明)は、岡山県出身のプロ野球選手

来歴・人物

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岡山市立商業学校(現・岡山県立岡山南高等学校)卒業後、1938年8月25日名古屋軍に入団[2]。後に中日球団でエースの象徴とされる背番号20を、三浦敏一に次いで2代目に付けた人物である。しかし、19歳と未熟だったこともあって、出場したのは9月30日東京セネタース戦(芳賀直一の代打として出場したが、相手投手・伊藤次郎の前に打ち取られた)のみに留まった[1]。同年末に引退し、その後の消息は不明である。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1938 名古屋 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 0 -- 0 -- 0 0 -- .000 .000 .000 .000
通算:1年 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 0 -- 0 -- 0 0 -- .000 .000 .000 .000

背番号

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  • 20 (1938年秋)

脚注

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関連項目

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