梅本政夫
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基本情報 | |
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出身地 | 日本 岡山県 |
生年月日 | 1919年 |
没年月日 | 没年不明 |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1938年 |
初出場 | 1938年9月30日[1] |
最終出場 | 1938年9月30日[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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梅本 政夫(うめもと まさお、1919年 - 没年不明)は、岡山県出身のプロ野球選手。
来歴・人物
[編集]岡山市立商業学校(現・岡山県立岡山南高等学校)卒業後、1938年8月25日に名古屋軍に入団[2]。後に中日球団でエースの象徴とされる背番号20を、三浦敏一に次いで2代目に付けた人物である。しかし、19歳と未熟だったこともあって、出場したのは9月30日の東京セネタース戦(芳賀直一の代打として出場したが、相手投手・伊藤次郎の前に打ち取られた)のみに留まった[1]。同年末に引退し、その後の消息は不明である。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1938秋 | 名古屋 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | -- | 0 | -- | 0 | 0 | -- | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:1年 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | -- | 0 | -- | 0 | 0 | -- | .000 | .000 | .000 | .000 |
背番号
[編集]- 20 (1938年秋)