桓因

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桓因
各種表記
ハングル 환인
漢字 桓因
発音: ファニン
(ファンイン)
日本語読み: かんいん
RR式 Hwanin
MR式 Hwanin
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桓因(かんいん、ファニン)は朝鮮神話檀君神話)における帝釈天インドラ)。「桓因」とは仏教に登場する「帝釈天」の別名である[1]

概要[編集]

三国遺事』は「古記」(現存せず)を引用する形で、桓因とその子・桓雄について次のように書いている。

《古記》云:昔,有桓因(謂帝釋也)庶子桓雄,數意天下,貪求人世。父知子意,下視三危太伯可以弘益人間,乃授天符印三箇,遣往理之。雄率徒三千,降於太伯山頂(即太伯今妙香山)神壇樹下,謂之神市,是謂桓雄天王也。將風伯雨師雲師,而主穀主命主病主刑主善惡。凡主人間三百六十餘事,在世理化。 — 三国遺事、巻第一、紀異第一

桓因に対しては注釈で、帝釋[注 1]ともいう、と書かれている。

桓因の庶子である桓雄(かんゆう、ファヌン)は下界に興味を持ったので、桓因は桓雄に下界を治めるよう命じ天符印を与え、桓雄は太伯山(三國遺事の注釈では妙香山のことであると明記されているが、白頭山とする説も散見される)の神檀樹に部下3,000人と共に天下って「神市」という国を築いた。桓雄はある熊の願いをかなえて女にし、この熊女(ゆうじょ、ウンニョ)との間に子をもうけた。これが檀君王倹(檀君)であり、朝鮮最初の国家である檀君朝鮮を築いた人物であるとされる[1]

李氏朝鮮実学者である安鼎福は、「按ずるに東方古記等の書言ふ所の檀君の事皆荒誕不経、…其の称する所の桓因帝釈法華経に出づ。其の他称する所は皆是れ僧談」と述べており、紀元前2333年に即位したとされる檀君の説話に、多数の仏説が登場することから、檀君の説話を荒唐無稽と評している[2]。ちなみに、仏教は372年朝鮮半島に伝えられた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 帝釋=帝釋天の別名が「釋提桓因」であり、ここに登場する桓因が「釋提桓因」のことであることがわかる。帝釈天はインド神話の神「インドラ」[indraḥ]がその起源で漢訳仏典では「因陀羅」と音写される。別名を「シャクラ」[śakra]、漢訳で「釋迦羅」という。詳しくは「シャクロー・デーヴァーナーム・インドラ」[śakro-devānām-indraḥ]、漢訳で「釋迦提桓因陀羅」。「諸天の中の王であるシャクラ」の意。略して「釋提桓因」とも書く。漢字文化圏で「帝釈天」と意訳されるのは「帝」がインドラの意訳「釈」はシャクラの音写の略である。

出典[編集]