桓雄

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桓雄
各種表記
ハングル 환웅
漢字 桓雄
発音 ファヌン
(ファンウン)
日本語読み: かんゆう
2000年式
MR式
Hwanung
Hwanung
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桓雄(かんゆう、ファヌン)は、朝鮮檀君神話に登場する神(または人物)。神話上の存在であり、実在の人物ではない。桓雄は古い発音では夫餘の建国神話に登場する天神「解慕漱」と同名で同一の太陽神だったと考えられている。

概要[編集]

三国遺事』によると、天帝桓因の庶子で、人間を広め増やそうとして、桓因から天符印(鏡・剣・鈴)を授かり、三千人を率いて今の妙香山(原文は太白山。白頭山とする説は誤り)に天降った。そのところを「神市」といい桓雄を「桓雄天王」といった。風伯・雨師・雲師(風の神・雨の神・雲の神)が臣下として仕え、穀物・命・病気・刑罰・善悪など人間の360余りの事をつかさどり、世を治めた。熊と虎が人間になりたいと訴え、人間になることに成功した熊女との間に檀君を生んだ、という。

典型的な北方系の王権起源神話であり、元来は高句麗を経由して入ってきた夫餘系の神話だった[1]と考えられている。日本の天孫降臨神話とも同類型である。虎と熊は所謂バナナ型神話であるが、インド・ヨーロッパ語族神話の三機能体系がみられ、大林太良は桓雄が第一機能(主権)、熊と虎が第二機能(戦闘)、熊が第三機能(豊穣)をあらわしているとした。また天符印も高句麗神話や日本神話等と共通する3つのレガリアであるが、これもスキタイ神話やケルト神話における三機能を象徴する王位の宝器と同様である[2]

近代の偽書における桓雄[編集]

桓檀古記』などの20世紀の偽書では、桓雄とは倍達国の君主の称号であるとし、18代続いた王朝だったとする。三皇中国の神話上の君主)の一人、伏羲は実は第5代太虞儀桓雄の末子だったとしたり、中国では悪神であり黄帝に退治されたという蚩尤は第14代慈烏支の別名であり、その戦いも勝敗が逆になっており、さらに五帝の一人帝嚳までも討ったというように、中国の「三皇五帝」よりも優位であることが強調されている。

歴代桓雄[編集]

括弧内は即位年・退位年と在位年数。
  1. 居発桓(紀元前3898年 - 紀元前3804年、94年間)
    • 別名桓雄天王。天神桓因の庶子。三千名の仙徒を率いて「桓国」から太白山に至り、倍達国を開いた。
  2. 居仏理(紀元前3804年 - 紀元前3718年、86年間)
  3. 右耶古(紀元前3718年 - 紀元前3619年、99年間)
  4. 慕士羅(紀元前3619年 - 紀元前3512年、107年間)
  5. 太虞儀(紀元前3512年 - 紀元前3419年、93年間)
    • この太虞儀桓雄の末子が伏羲。
  6. 多儀発(紀元前3419年 - 紀元前3321年、98年間)
  7. 居連(紀元前3321年 - 紀元前3240年、81年間)
  8. 安夫連(紀元前3240年 - 紀元前3167年、73年間)
  9. 養雲(紀元前3167年 - 紀元前3071年、96年間)
  10. 葛古(紀元前3071年 - 紀元前2971年、96年間)
    • 炎帝神農の国との境界を決めた。
  11. 居耶発(紀元前2971年 - 紀元前2879年、92年間)
  12. 州武慎(紀元前2879年 - 紀元前2774年、105年間)
  13. 斯瓦羅(紀元前2774年 - 紀元前2707年、67年間)
  14. 慈烏支(紀元前2707年 - 紀元前2598年、109年間)
    • 別名蚩尤。炎農の国が衰退すると索度から西へ進軍し、淮水泰山の間を占めた。軒轅(黄帝)が蜂起すると直ちに濡T鹿の原野に出て、軒轅を捕らえて臣下にした。その後呉将軍を西方に送って高辛を討ち功を立てた。
  15. 蚩額特(紀元前2598年 - 紀元前2509年、89年間)
  16. 祝多利(紀元前2509年 - 紀元前2453年、56年間)
  17. 赫多世(紀元前2453年 - 紀元前2381年、72年間)
  18. 居弗檀(紀元前2381年 - 紀元前2333年、48年間)

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  1. ^ 今西龍「檀君考」『朝鮮古史の研究』
  2. ^ 大林太良『東アジアの王権神話 日本・朝鮮・琉球』(弘文堂、1984年)、吉田敦彦『日本神話の源流』講談社現代新書 (1976)他