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松平光永

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平光永
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永20年(1643年
死没 宝永2年2月29日1705年3月24日
改名 幸松、孫四郎(幼名)→光永
官位 従五位下長門守丹波守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
美濃加納藩
氏族 戸田松平家
父母 父:松平光重、母:栗山氏
兄弟 光永戸田光正戸田光直
今城定淳室、安藤重博正室
正室:松平典信
側室:駒井氏娘、都筑氏娘
光煕戸田光規堀直利正室、
戸田冬房
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松平 光永(まつだいら みつなが)は、江戸時代前期から中期にかけての大名美濃国加納藩2代藩主。戸田松平家4代。官位従五位下長門守丹波守

略歴

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初代藩主・松平光重の長男として誕生した。母は側室の栗山氏。幼名は幸松、孫四郎。

寛文8年(1668年)、光重の死去により家督を相続する。相続時、弟の戸田光正(文殊戸田家)と戸田光直(北方戸田家)にそれぞれ5000石を分知した。[1]

宝永2年(1705年)没。跡を長男の光煕が継いだ。

人物

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土芥寇讎記』の評価では、光永は学(儒学や古典籍の教養)は無いが自然と仁義を備えており、心意は正しく、領民を愛し良い統治をしており家中・領民は豊かであり、「不学の道者」と賛している。

系譜

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父母

正室

側室

  • 駒井氏
  • 都筑氏
  • 森田氏
  • 垂井氏

子女

脚注

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  1. ^ 光重が生前に美濃加納1万石の加増を受けているため、これを弟二人に均等分与したと考えられる。
  2. ^ のちに兄光煕から分知3千俵を受け幕府旗本となる。