永井尚備

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永井尚備

永井 尚備(ながい なおみつ、1743年寛保3年)- 1769年8月19日明和6年7月18日))は、美濃加納藩の第2代藩主。尚庸系永井家5代。

旗本永井尚方(永井直敬の五男)の三男。母は織田信栄の娘。正室は永井直陳の養女(永井尚俶の娘)。子は永井直旧(長男)、太田直熹(次男)。官位は従五位下・伊賀守。

先代直陳には長男・尚俶、次男・尚志の2子があったがともに早世していたため、宝暦11年(1761年)12月に尚備が伯父にあたる直陳の婿養子となり嗣子となった。宝暦12年(1762年)、直陳の死により跡を継いだ。明和6年(1769年)、2度目の大坂加番に任じられて任地に赴いたが、同年7月18日に大坂城にて死去した。享年27。跡を長男の直旧が継いだ。法号は凌雲義堅高岳院。墓所は東京都中野区の功雲寺。

系譜[編集]

父母

正室

子女

  • 永井直旧(長男) - 生母は正室
  • 旗本太田直熹(次男) - のち直熹の次男の永井尚佐が直旧の養嗣子として跡を継いだ。