村田瑞穂

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村田瑞穂
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県
生年月日 (1947-09-15) 1947年9月15日(76歳)
身長 164cm
血液型 O型
選手情報
所属 三重支部
登録番号 1952
登録期 18期
選手実績
デビュー日 1965年1月21日
選手引退日 2009年8月16日
記念優勝 6回
SG優勝 0回
GI/PGI優勝 6回
通算優勝 66 回
通算勝率 6.20
通算勝利 出走9304回 2237勝
主要獲得タイトル
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村田 瑞穂(むらた みずほ、男性、1947年9月15日 - )は、三重県出身の元競艇選手

同期には瀬古修らが、弟子に安達裕樹がそれぞれいる。

来歴[編集]

1965年1月21日に地元のでデビューし、同日に初勝利も挙げる[1]。3年目の1967年4月1日住之江で初優出初優勝を果たし、1970年7月2日には丸亀開設18周年記念競走でGI初出場、1972年にSG初出場を果たす[1]。同年11月2日には地元の津で行われた「東海地区選手権競走」でGI初優出初優勝を決め、1989年6月11日には津の開設37周年記念競走で優勝[1]。同年10月8日には第36回全日本選手権競走(住之江)でSG初優出を果たし[1]黒明良光林貢岡山勢を抑え、同期の瀬古の3着に入る。

ドスの聞いた声と風貌、さらに気風の良い取り口で「男・村田!」と声援が飛んだ三重のエースであった[2]。後には「伊勢湾の鉄人[1] [3]の愛称で知られ、平和島限定では「ムラミー」と言われていた[4]

1999年9月29日蒲郡一般戦「’99三河湾オレンジロード杯争奪戦」で最後の優勝(2号艇2コースから差し)[5]を決め、2002年10月14日常滑一般戦「名古屋タイムズ杯 第24回 ウイニングロード争奪戦」最終日3Rで通算2000勝(1号艇1コースから逃げ切り)[6]を達成。2007年6月28日の津一般戦「すずらん賞」が最後の優出(2号艇2コース進入で6着)[7]となった。2009年7月21日びわこ一般戦「第31回さざなみ賞」4日目2Rで最後の勝利となる通算2237勝目(2号艇2コースから差し)[8]を挙げ、8月16日の津一般戦「第33回納涼しぶき杯争奪戦」最終日8Rの4着(4号艇4コース進入)[9]が最後の出走となった。節間成績2・2・5・6・4・6・5・4・4着で引退。同27日に登録消除され、10月31日に津で引退セレモニーを行なわれた[1]。多くの競艇ファンが集まり、村田と親交がある鳥羽一郎津競艇名誉執行委員長を始め、ファン、矢橋成介三重支部長、中部競艇記者クラブから村田へ花束が贈呈された[1]。また、村田の功績を称えて津市競艇事業部長から記念品が贈られ、村田は最後に「44年と8ヶ月の選手生活、長かったような短かったような気がします。これからは第2の人生を楽しみたいと思います。長い間、御声援誠にありがとうございました。これからも津競艇に足をお運びいただき、津競艇を盛り上げてください。」と述べ、会場は大きな拍手に包まれた[1]

引退後の2010年、ボートレース殿堂マイスター入りを果たす[2]

生涯成績[編集]

  • 通算出走回数 9304走
  • 通算優勝回数 66回(うちGI優勝6回)
  • 通算勝利数 2237勝(うち優出257回)
  • 通算勝率 6.20
獲得タイトル
  • 1972年 - 東海地区選手権競走(津)
  • 1981年 - 東海地区選手権競走(津)
  • 1982年 - 蒲郡開設27周年記念競走
  • 1984年 - 児島開設32周年記念競走
  • 1989年 - 津開設37周年記念競走
  • 1992年 - 宮島開設38周年記念競走

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 津競艇場・村田瑞穂引退セレモニー
  2. ^ a b 1952 村田 瑞穂 (三重) - ボートレース大村 > ボートレース殿堂・殿堂 マイスター
  3. ^ マスターズの舞台 津のマスターズ|BOAT RACE オフィシャルサイト
  4. ^ 名付け親は当時の平和島実況担当であった松永良一。
  5. ^ 1999年9月29日 蒲郡12R | 艇国データバンク
  6. ^ 2002年10月14日 常滑3R | 艇国データバンク
  7. ^ 2007年6月28日 津12R | 艇国データバンク
  8. ^ 2009年7月21日 びわこ2R | 艇国データバンク
  9. ^ 2009年8月16日 津8R | 艇国データバンク

関連項目[編集]

外部リンク[編集]