黒明良光

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黒明良光
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県
生年月日 (1947-11-15) 1947年11月15日(71歳)
身長 166cm
体重 63kg(現役時)
血液型 B型
競艇選手情報
所属 岡山支部
登録番号 2090
登録期 22期
特徴 自在
選手実績
デビュー日 1966年11月
選手引退日 2005年4月6日
記念優勝  20 回
SG優勝   2 回
GI/PGI優勝  18 回
GII優勝   2 回
GIII優勝   0 回
一般戦優勝  53 回
通算優勝  75 回
通算勝率  6.75
通算勝利 出走7001回 2049勝
主要獲得タイトル
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黒明 良光(くろみょう よしみつ、1947年11月15日[1][2] - )は、岡山県倉敷市出身[2]の元ボートレーサー
登録番号2090。22期[3]

来歴[編集]

1947年11月15日岡山県倉敷市に生まれる[2]。3歳の時に父親が死亡。母親は鹿児島県の実家に戻り、家業の運送店を切り盛りした[4]。黒明によるとトラック運転手から「ケンカやる時は命がけ」と教わりながら育ち、中学・高校時代は番長であったという[5]。中学卒業後、岡山県立児島高等学校に進学。競艇選手志望の同級生の影響と、賞金を稼いで母親に楽をさせたいという思いから競艇選手を志すようになり、高校卒業後、養成所の試験に合格[6]

5か月の養成期間を経て[6]1966年10月に選手登録。翌11月に児島競艇場でデビューし、デビュー1節目で初勝利を挙げた[7]。しかしデビューから3年ほどは「C級とB級の間を行ったり来たり」[8]の選手で、何度も引退を考えたという[9]。4年目に、それまで持っていたアウトコースからの弾丸スタートへの拘りを捨て、無事故でのレースを心掛けるようになってから10連勝や完全優勝を遂げるなど成績が上昇し、A級に昇級した[10]

しかし黒明によると34、5歳までは「地方区の選手」[9]で、地区レベルの記念レースでは通用しても全国レベルの記念では通用せず[11]、「プロ野球でいうならブルペンピッチャー」であったという[9]。転機が訪れたのは36、7歳の頃で、今村豊の影響を受けておよそ2年の間全速ターンの練習を積んだ結果、SGに勝てるという感触をつかむことができるようになり、1985年に第20回鳳凰賞を勝ってSG初優勝を果たした[12]。黒明は自身を「典型的なカメ型の選手」と評している[9]
2001年6月より2005年3月まで(社)日本モーターボート選手会会長を務める。
2005年4月6日付けで引退を表明。
2007年(平成19年)、ボートレースの殿堂入りを果たした。[† 1]
現在は児島競艇オフィシャルアドバイザーの肩書で、解説者として活躍中。

生涯成績[編集]

エピソード[編集]

  • 現役時代の愛称は『黒い弾丸[13]。由来は競艇選手としては体重が重く[† 2]、その迫力のあるレーススタイルから。
  • 岡山県所属の選手によるプロペラ研究グループである「イーグル会」を立ち上げた人物としても知られる。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ボートレース大村 六十周年記念
  2. ^ 黒明の体重は60kgを超え、若手時代には先輩選手から「お前みたいな巨漢が走れるわけがない」と言われることもあったという[9]

出典[編集]

  1. ^ 蛭子能収『競艇入門』、ポケットブック社、1992年11月、P161。
  2. ^ a b c 木村1992、78頁。
  3. ^ 木村1992、85頁。
  4. ^ 木村1992、78-79頁。
  5. ^ 木村1992、79-80頁。
  6. ^ a b 木村1992、80頁。
  7. ^ 木村1992、80-81頁。
  8. ^ 木村1992、82頁。
  9. ^ a b c d e 木村1992、77頁。
  10. ^ 木村1992、82-83頁。
  11. ^ 木村1992、83頁。
  12. ^ 木村1992、83-85頁。
  13. ^ 蛭子1992、161頁。

参考文献[編集]