末岡精一
表示
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1855年8月2日(安政2年6月20日) 周防国熊毛郡宿井村(現・山口県熊毛郡田布施町) |
死没 |
1894年1月21日(38歳没) 東京府東京市(現・東京都) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京大学文学部 |
配偶者 | サダ(久保断三長女) |
子供 | みつ(娘・吉村幹三郎妻)、惟精(長男) |
学問 | |
研究分野 | 法学(憲法学、国法学、行政法) |
研究機関 | 帝国大学法科大学 |
学位 | 法学博士(日本・1891年) |
主要な作品 | 『比較国法学』(1899年) |
学会 |
国家学会 法学協会 |
末岡 精一(すえおか せいいち、旧字体:末岡 精一、1855年8月2日(安政2年6月20日) - 1894年(明治27年)1月22日)は明治時代の日本の法学者。法学博士。
帝国大学法科大学教授、東京図書館(現・国立国会図書館)館長。日本法律学校(現・日本大学)の創立者の一人。東京大学にて、日本人として初めて国法学の講義を担当した[1]。
経歴
[編集]- 1855年(安政12年)6月20日、周防国熊毛郡宿井村(現・山口県熊毛郡田布施町宿井)の庄屋・末岡太兵衛景徳の次子に生まれる。
- 1867年(慶応3年)明倫館小学舎で学ぶ。
- 1872年(明治5年)芝育英校で英学を学ぶ。
- 1874年(明治7年)東京外国語学校入学。
- 1875年(明治8年)東京開成学校入学。
- 1881年(明治14年)7月、東京大学文学部理財学・哲学科卒業。文部省准判任御用掛に任じられ、文学部講師、法学部准講師。
- 1882年(明治15年)3月、文部省特別留学生となりドイツへ渡航。ドイツ・ベルリン大学、オーストリア・ウィーン大学で国法・行政学を研究する。その後、私費をもって、ベルギー、イギリス、フランス、イタリア各国視察。
- 1886年(明治19年)12月、帰国。帝国大学法科大学教授に就任。
- 1887年(明治20年)10月、正七位。東京図書館長を兼ねる。文官試験委員、高等文官試験委員を委嘱される。
- 1889年(明治22年)日本法律学校(現日本大学)の創立に参画する。行政学担当。
- 1891年(明治24年)8月、法学博士。
- 1892年(明治25年)4月、従六位。同年9月、東京専門学校講師を兼ねる。
- 1894年(明治27年)1月22日、病気のため逝去。享年40。正六位。墓所は青山霊園(1ロ8-45)。
著作
[編集]- 『行政法汎論講義』 日本同盟法学会
- 『行政裁判法』 日本法律学校
- 『比較国法学』 博文館、1899年11月
- 『比較国法学』 博文館、1900年3月再版 / 信山社出版〈日本立法資料全集〉、2019年7月、ISBN 9784797273519