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挨拶はたいへんだ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
挨拶はたいへんだ
著者 丸谷才一
イラスト 和田誠
発行日 2001年6月1日
発行元 朝日新聞社
ジャンル 挨拶、スピーチ
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 並製本
ページ数 230
コード ISBN 4-02-257627-8
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挨拶はたいへんだ』(あいさつはたいへんだ)は、丸谷才一の著書。「挨拶」シリーズの第2作目。

2001年6月1日に朝日新聞社より刊行された。装丁と絵は和田誠。収録された挨拶の数は49。巻末に井上ひさしとの対談が付されている。2004年10月に朝日文庫として文庫化。2013年9月には本書と1作目の『挨拶はむづかしい』(朝日新聞社)を一冊にした『合本 挨拶はたいへんだ』(朝日文庫)が刊行された。

内容の一部

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村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド谷崎潤一郎賞贈呈式での選考委員祝辞
1985年10月16日、東京會舘にて。丸谷は以下のように述べる。「言ふまでもなく、われわれの文学風土においてこのやうな長篇小説を書くことは、大変な冒険であります。そして、この文学賞が記念する作家である谷崎潤一郎には、極めて喜劇的な角度から男女の仲を考察する『痴人の愛』前衛的な暗黒小説とも言ふべき『』などにあらはに示されてゐる、果敢な冒険家としての側面がたしかにありました」[1]
東京人」月刊になる会での祝辞
1989年4月3日、東京都迎賓館にて。丸谷の『文章読本』(中央公論社、1977年9月)の発案者であり、『東京人』の生みの親である粕谷一希について多く触れられている。
色川武大葬儀での弔辞
1989年4月13日、千日谷会堂にて。
山本甚作葬儀での親族代表挨拶
1996年10月6日、取手セレモニーホールにて。山本甚作は1915年生まれの画家。いとこであった山本を丸谷はこう評している。「二十代の若者である彼が、十代の少年であるわたしに最も情熱的に教へたのは、美と藝術が尊いといふことでした。それは人生において一番大事なもので、それに対して無関心であることは程度の低い恥しいことであり、ましてそれに敵対し対立することは野蛮なことでした」「わたしの人生は山甚によつて決定され、山甚によつて導かれたのでした」[2]
宮本陽吉葬儀での弔辞
1996年12月22日、桐ヶ谷斎場にて。
小津次郎氏を偲ぶ会での挨拶
1998年9月26日、如水会館にて。
永川玲二を偲ぶ会での挨拶
2000年5月20日、法政大学第二学生食堂にて。永川玲二は1928年生まれの英文学者。丸谷の國學院大學時代の同僚である。『ユリシーズ』を丸谷と高松雄一と共に訳している。本書の解説文にはこう書かれてある。「永川は他人の悪口を言はない男だつた。その能力が先天的にないのかもしれないとわたしは疑つた。今でもさう思ふ」[3]

脚注

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  1. ^ 本書に掲載されているのは贈呈式における祝辞だが、選評は次のような言葉が述べられている。「村上春樹氏の『世界の終りとハードボイルド・ワーンダーランド』は、優雅な抒情的世界を長篇小説といふ形でほぼ破綻なく構築してゐるのが手柄である。われわれの小説がリアリズムから脱出しなければならないことは、多くの作家が感じてゐることだが、リアリズムばなれは得てしてデタラメになりがちだつた。しかし村上氏はリアリズムを捨てながら論理的に書く。独特の清新な風情はそこから生じるのである。この甘美な憂愁の底には、まことにふてぶてしい、現実に対する態度があるだらう」(『丸谷才一全集』第12巻、文藝春秋、2014年9月10日、307頁)
  2. ^ 本書、単行本、124-125頁。
  3. ^ 本書、単行本、187頁。

関連項目

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