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岡部長和

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岡部長和
岡部長和肖像(泉光寺所蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 文化4年7月3日1807年8月6日
死没 嘉永3年9月24日1850年10月29日
改名 直吉、弥次郎、長和
墓所 大阪府岸和田市泉光寺
官位 従五位下内膳正
幕府 江戸幕府 奏者番
主君 徳川家斉家慶
和泉岸和田藩
氏族 岡部氏
父母 岡部長慎、側室
兄弟 長和長寛長発池田定保正室、
松浦曜正室、賀子ら
中川久貴娘貴
楠子ら
長発賀子
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岡部 長和(おかべ ながより)は、江戸時代後期の大名和泉国岸和田藩10代藩主。官位従五位下内膳正。岸和田藩岡部家11代。

略歴

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9代藩主・岡部長慎の長男として岸和田にて誕生。幼名は直吉、弥次郎。母は側室と言われている。

天保4年(1833年)11月24日、父の隠居で跡を継いだ。天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱では、軍を出して大坂城の守備を務めた。藩政では倹約に努めている。天保14年(1843年)、奏者番となる。弘化4年(1847年)の孝明天皇の即位では献金して尽力している。

嘉永3年(1850年)9月24日、44歳で死去した。実子が早くに死去していたため、実弟で養嗣子の長発が跡を継いだ。墓所は大阪府岸和田市の泉光寺。

系譜

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