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小林徹弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小林徹弥
2011年
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県
生年月日 (1974-05-05) 1974年5月5日
死没 (2024-06-01) 2024年6月1日(50歳没)
身長 165.0cm(2019年)
体重 51.0kg(〃)
血液型 B型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 栗東・目野哲也(1993 - 1996)
栗東・フリー(1996 - 2018.11)
栗東・山内研二(2018.11 - 2019.5)
初免許年 1993年
免許区分 平地・障害[1]
騎手引退日 2019年5月20日
重賞勝利 5勝
通算勝利 7931戦423勝
(JRA7637戦383勝、地方競馬294戦40勝)
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小林 徹弥(こばやし てつや、1974年5月5日 - 2024年6月1日)は、日本中央競馬会 (JRA) の元騎手・元調教助手

愛称は「バヤシコ」(または「8845」「バヤ」)。これは藤田伸二が名付けた[2]

来歴

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1993年目野哲也厩舎所属騎手としてデビュー。同期には飯田祐史伊藤直人宗像徹や、後に競馬学校世代で史上初の学士騎手となった川合達彦らがいる。

1年目こそひと桁勝利に終わったが、2年目の1994年から途中落馬負傷による長期戦線離脱もあったなか、毎年勝利数を2桁に乗せ関西の中堅騎手として活躍を続ける。

またデビュー年より障害競走にも騎乗し、重賞への出走経験も数回あったが2003年を最後に障害競走への騎乗はない(免許は平地・障害双方を保持していた)。

1994年には短距離馬ニホンピロスタディとのコンビでオープン特別を4勝、その2年後となる1996年、同じニホンピロの冠号ニホンピロプリンスにて重賞初勝利を記録している。

2003年6月1日、チャクラ日本ダービーに騎乗(6着)[3]

2009年9月12日13日韓国ソウル競馬場で実施された第5回韓国馬事会国際騎手招待競走で合計4鞍に騎乗し最終第4戦目で勝利をあげた(総合5位)[4]

2018年11月21日付けで、山内研二厩舎所属となる[5]

2019年5月20日付で騎手を引退、千田輝彦厩舎で調教助手となる[6]。同日、フリータレントの山内菜緒が、小林と前年9月13日に入籍していたことを自身のブログで報告[7]

2024年6月1日午後11時50分に死去。50歳没。訃報は妻・菜緒のX(旧Twitter)で公表された[8][9]。死因は明かされなかったものの、菜緒はXの投稿で「大好きなお酒を少し飲みすぎてしまったようです」と発言しているほか、所属先であった調教師千田輝彦によれば、死去した当日も普通に朝・昼と作業をこなしており、以前からも調教も普通に行っていて体調の異変を感じさせなかったと取材に答えている[10]

騎乗成績

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順

初騎乗 1993年3月6日 1回阪神3日2R 4歳未勝利 キャプテンハゼオー 15頭 5 5着
初勝利 1993年5月2日 3回京都4日4R 4歳未勝利 マーチングラン 12頭 6 1着
重賞初騎乗 1994年7月17日 2回札幌4日11R 札幌スプリントステークス カズノシラオキ 12頭 10 6着
重賞初勝利 1996年3月3日 1回阪神4日11R マイラーズカップ ニホンピロプリンス 14頭 9 1着
GI初騎乗 1995年11月19日 8回京都6日11R マイルチャンピオンシップ ニホンピロプリンス 18頭 14 14着

初騎乗 1993年9月26日 4回阪神6日5R 障害未勝利 ワンダースラソス 9頭 4 中止
初勝利 1993年10月23日 5回京都5日5R 障害未勝利 ワンダースラソス 7頭 1 1着
重賞初騎乗 1994年3月5日 1回中京3日9R 中京障害ステークス(春) ワンダースラソス 11頭 7 中止
年度 平地競走 障害競走 備考
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1993年 5 10 16 160 .031 .094 .194 1 3 1 7 .143 .571 .714
1994年 22 37 32 321 .069 .184 .283 0 0 1 4 .000 .000 .250
1995年 33 19 28 296 .111 .176 .270 1 0 0 11 .091 .091 .091
1996年 17 27 21 262 .065 .168 .248 0 0 0 2 .000 .000 .000
1997年 17 22 21 278 .061 .140 .216 -
1998年 19 25 23 294 .065 .150 .228 2 2 1 25 .080 .160 .200
1999年 21 26 16 352 .060 .134 .179 3 3 1 28 .107 .214 .250 フェアプレー賞(関西)
2000年 25 19 26 357 .070 .123 .196 0 0 0 11 .000 .000 .000 フェアプレー賞(関西)
2001年 31 25 30 458 .068 .122 .188 -
2002年 21 22 39 481 .044 .089 .170 -
2003年 24 37 36 485 .049 .126 .200 0 0 0 1 .000 .000 .000
2004年 20 21 20 379 .053 .108 .161 -
2005年 16 16 27 421 .038 .076 .140 -
2006年 13 20 28 430 .030 .077 .142 -
2007年 22 20 25 329 .067 .128 .204 -
2008年 16 16 19 331 .048 .097 .154 -
2009年 11 15 10 360 .031 .072 .100 -
2010年 10 10 7 284 .035 .070 .095 -
2011年 9 8 10 224 .040 .076 .121 -
2012年 2 5 5 164 .012 .043 .073 -
2013年 4 6 2 179 .022 .056 .067 -
2014年 8 10 11 232 .034 .078 .125 -
2015年 3 4 7 137 .022 .051 .102 -
2016年 3 2 4 153 .020 .033 .059 -
2017年 2 3 4 95 .021 .053 .095 -
2018年 2 3 0 65 .031 .077 .077 -
2019年 0 0 0 21 .000 .000 .000 -
中央 376 428 467 7548 .050 .107 .168 7 8 4 89 .079 .169 .213
地方 40 39 29 294 .136 .269 .367  

主な騎乗馬

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その他

脚注

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  1. ^ 平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月6日閲覧。
  2. ^ 『競馬番長のぶっちゃけ話』(2009年 宝島社)
  3. ^ 小林徹弥騎手の引退セレモニー「一番の思い出はチャクラで挑戦したダービー」”. スポーツ報知. 2022年5月28日閲覧。
  4. ^ 小林徹弥騎手、韓国の招待レースで勝利 - netkeiba.com
  5. ^ “小林徹弥騎手、山内研二厩舎所属へ”. ラジオNIKKEI. (2018年11月21日). https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/post_16425.html 2019年5月13日閲覧。 
  6. ^ 小林 徹弥騎手が引退”. 日本中央競馬会 (2019年5月9日). 2019年5月10日閲覧。
  7. ^ 「ご報告」”. Ameba. 2022年5月28日閲覧。
  8. ^ 元騎手で調教助手の小林徹弥さんが死去 50歳”. デイリースポーツ (2024年6月2日). 2024年6月2日閲覧。
  9. ^ 山内菜緒 3y50y♂のママ [@naonao0528] (2024年6月2日). "夫・小林徹弥が永眠いたしました。". X(旧Twitter)より2024年6月3日閲覧
  10. ^ JRAの小林徹弥元騎手が50歳で死去 千田調教師「急すぎて何も言えません。昨日も仕事を…」 - UMATOKU(報知新聞社)2024年6月2日

関連項目

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