小嶋時久
表示
小嶋 時久(こじま ときひさ、1881年2月1日 - 1962年4月13日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]- 1881年(明治14年) - 小嶋啓太-セイの三男として栃木県下都賀郡旧下稲葉村(現 壬生町下稲葉)で生まれる
- 1893年(明治26年) - 稲葉尋常小学校卒業
- 1895年(明治28年) - 稲葉高等小学校卒業、代用教員となる
- 1896年(明治29年) - 旧制栃木県尋常中学校栃木分校の開校を待ち、1回生として入学
- 1901年(明治34年) - 同校を卒業、陸軍士官学校入学
- 1903年(明治36年)11月 - 陸軍士官学校を卒業(15期)
- 1904年(明治37年)3月 - 輜重兵少尉任官・陸軍運輸部配属
- 日露戦争に出征
- 1905年(明治38年) - 日露戦争より復員
- 1906年(明治39年) - 宇賀神忠三郎-キミの二女・トウと結婚
- 1907年(明治40年) - 東京で長女・久誕生
- 1909年(明治42年) - 青森県弘前市で長男・忠久誕生
- 1910年(明治43年) - 東京で二女・登志誕生
- 1911年(明治44年) - 羅南(朝鮮)に赴任
- 1912年(大正元年)11月 - 陸軍大学校(24期)卒業
- 1913年(大正2年) - 二男・清誕生(4歳で死亡)
- 1918年(大正7年) - 新宿・大久保百人町の分譲地に住居新築、三男・三郎誕生
- 1921年(大正10年) - 同地で三女・春誕生
- 1923年(大正12年) - 仙台駐在から東京に戻る
- 1924年(大正13年) - 香川県善通寺に赴任
- 1926年(大正15年)3月 - 輜重兵大佐昇進、輜重兵第11大隊長に就任
- 1927年(昭和2年)7月 - 輜重兵監部員
- 1928年(昭和3年) - 勲三等瑞宝章を授与される
- 1931年(昭和6年)8月 - 陸軍少将進級・輜重兵監部付
- 1932年(昭和7年) - 夫妻で新宿御苑での観菊会に招かれる
- 1933年(昭和8年)3月 - 陸軍自動車学校長に就任
- 1934年(昭和9年)8月 - 勲二等瑞宝章を授与される、陸軍自動車学校長を退官し、待命
- 9月 - 予備役となる
- 1935年(昭和10年) - 『輜重兵戦術とは<全>』を出版
- 1937年(昭和12年) - 『輜重兵戦術とは<続>』を出版、東京・大森に借地し、敷地内に父子で天文台を設置
- 1942年(昭和17年) - 『兵用天文 星で方角を知る方法』(初版)を出版
- 1945年(昭和20年) - 東京大空襲により被災し、栃木県下都賀郡壬生町へ移住、「拓生」開拓団地に入植
- 1948年(昭和23年) - 開拓農業組合長に就任、2町5反の自作農になる
- 1962年(昭和37年) - くも膜下出血で倒れ、死去(享年81)
栄典
[編集]- 1904年(明治37年)5月17日 - 正八位[1]
- 1905年(明治38年)8月18日 - 従七位[2]
- 1910年(明治43年)9月30日 - 正七位[3]
- 1915年(大正4年)10月30日 - 従六位[4]
- 1920年(大正9年)11月30日 - 正六位[5]
- 1931年(昭和6年)2月2日 - 正五位[6]
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 宇井純に引き継がれたDNA
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。