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太地いさな組合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
太地いさな組合
Taiji Isana Union
太地漁港
種類 漁協所属の漁業種別組合
本社所在地 日本の旗 日本
太地町漁業協同組合内
設立 1988年
業種 漁業
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太地いさな組合(たいじいさなくみあい)とは、和歌山県太地町の太地町漁業協同組合に所属する分野別の組合。小型鯨類の追い込み漁をすることで知られる、追い込み漁業共同体[1]。一部に勇魚組合とも報道[2]。「いさな」(勇魚)とは奈良時代から続くクジラの古い呼び名[3][注釈 1]。近年は反捕鯨団体シーシェパードなどに連日のデモや撮影をされながら漁業を行う[4][5]

歴史と沿革

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太地の沖は鯨の南下と北上の通路にあたる位置にあり、中世の人々はこの沖を「鯨が昼寝をするところだ。」と言うほど、鯨が見られた[6]

(太地の)古式捕鯨蒔絵

小型鯨類の漁の発展

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太地町では漁業者により,網捕り式捕鯨が衰退する江戸時代末期頃から,漁閑期に副業として,ゴンドウ漁が行われていたが,網捕り式捕鯨が消滅した後は,網を使った追い込み漁でも捕獲されるようになった[7]
太地町史によると,太地港には,毎年季節に応じてムロカマスコガツオイワシの他に,サカマタ(シャチ)に追われたマグロゴンドウなどが大群で押し寄せてくることがたびたびあった[7]。地元ではこれらを「寄せ物」と呼んだ。寄せ物を発見する山見には,常時山見番人が置かれ,寄せ物を発見したときは,旗をふったりホラ貝を吹いて村中にそれを知らせ,それを知った村人は,総がかりで「建網」という漁法でこれら寄せ物を捕獲する慣習があった[8]。「寄せ物」の水揚金の処分は,漁獲に夫役した者の賃金,諸経費を差し引き村の収入とされていたが,明治末期ごろより,寄せ物の回遊は,機械船の航行により減少した[8]。ゴンドウの湾内追い込みも,テント船仲間による追い込み活動となり,捕獲頭数は,1933年86頭,1936年25頭,1944年35頭と記録されている。これら捕獲されたゴンドウは,南海電鉄阪神電鉄に,阪神地方での見物用として販売されていた[8]

上記以外にも、太地町史の493頁に書かれた1899年(明治32年)の追い込み漁は、「山見」(見張り)が61頭のゴンドウクジラの群れを発見し行われている。

日本では原始時代から小型鯨類の捕獲があったため、太地町での小型鯨類の捕獲がいつごろからはじまったかはわかっていない[9][注釈 2]。 太地町沿岸では、1606年(慶長11年)に大規模組織編成の捕鯨(突捕り式)が始まり[注釈 3]、次いで1675年(延宝3年)に網取り式の捕鯨が開発され、江戸時代の日本国内に知られるほど盛んになったが、同時期に既に、手銛や網を使用した小型鯨類の捕獲(漁猟)が行われていた[12][6][13]。 この漁はその後、

  • 動力船や捕鯨銃を使用する小型沿岸捕鯨業へ[13]
  • 捕鯨銃や捕鯨砲を使用しない手投げ銛漁法は、突きん棒漁業へ[13]
  • 網を利用した漁法は、追い込み漁業へ[13]

とそれぞれに継続・発展した。

戦後

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東京農業大学嘱託准教授の宇仁義和によると、1951年7月31日のNHKの放送『ごんどう鯨の生捕り』は、太地町での7月20日の漁の様子が写され、この時は港に迷入した小型鯨類を追い込み、子供らを含めた地域総出で追い込み漁を行っている様子がみられ[14]、また、同じくNHKが1957年8月16日に放送した『鯨の群れを生捕り』では、太地沖合いで捕鯨船がゴンドウクジラの群れを見つけ港に追い込んだことをナレーションが伝え、浜には漁の見物人や遊泳して見物する子供らがおり、更に、漁を見物する遊覧船がみられた様子が報道されたという[14]

組合の設立

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戦後、太地町の漁師は、テント船[注釈 4]で沿岸域に生息するゴンドウ漁を行ったり、南氷洋捕鯨に従事したのち、太地の沿岸域で、鉄砲銃(捕鯨銃)による「イルカ突きん棒漁業」が始まり、「イルカ突きん棒組合」(太地突棒船組合)が設立された[8]。 そして、1969年太地町立くじらの博物館で飼育するイルカの捕獲を要請されたのを契機に、生け捕り捕獲ができる追い込み漁を再開させ[8]、7月22日と7月27日とに、漁を12年ぶりに成功させた[16]1971年以後は「突きん棒組合」において追い込み漁を行った(当初の船は7隻だった)[17]。また当時は、(生活できるほど)追い込みの成功率が上がらず、伊豆に研修に行き、鉄管の造作の仕方、叩き方、船のまわし方などを教わり、その甲斐もあって、次第に成績が上がったという意を関係者は語る[18]。その後、小型鯨類の商品価値があがり、別の捕獲グループもできたが、資源保護などを理由[注釈 5]に両者は合併し、1988年[注釈 6]に太地いさな組合として発足[8]。当初は、15隻程度の追い込み漁船団で小型鯨類の追い込み漁を行った。

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小型鯨類の追い込み漁が中心となる。

漁期

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大まかな漁期は、ゴンドウ類の漁期が9月から4月までの8ヶ月間。イルカ類の漁期が9月から2月までの6ヶ月間[20][注釈 7]。 ゴンドウ漁の最盛期は9月から12月[20]。1月から3月にゴンドウ類の来遊は途切れるが、4月になると再び最盛期となる[20][注釈 8]

捕獲対象

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マゴンドウ[注釈 9]ハナゴンドウオキゴンドウ[注釈 10]ハンドウイルカスジイルカ[注釈 11]マダライルカカマイルカ[注釈 12]の小型鯨類である[8][注釈 13]

捕獲枠

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※数字は和歌山県全体の数字、カッコ内が太地分。

小規模沿岸捕鯨業の捕獲対象種・捕獲枠(2007年)[27]
和歌山県の追い込み漁 和歌山県の突きん棒漁業
船隻数 13隻 100 (29)隻
マゴンドウ 300 -
ハナゴンドウ 300 250 (26)
オキゴンドウ 70 -
ハンドウイルカ 890 100 (29)
スジイルカ 450 100 (24)
マダライルカ 400 70 (15)
カマイルカ 100 -

小型鯨類の追い込み漁

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漁の方法

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出漁
小型鯨類の追い込み漁は、例年9月1日に解禁される[28]。海域は沿岸から15マイル以内[8]。通常は発見情報なしに毎日出漁する[8]。十数隻の漁船で早朝、太地港を出船する[28]。1-2時間かけ、探鯨される[27]。沖合でハンドウイルカなどの群れを発見すると、船団はフォーメーションを組んで、鉄パイプで海面を叩くなどして音を出して、捕獲網を仕掛けた畠尻湾に追い込む[28]。追い込み時間は1時間から、丸一日を要する場合もある[27]。ベテランが追跡中の鯨類を挟んだ船間の距離や、どの船が威嚇音を鳴らすかなど指示する[27]。ベテランの漁師は、海面から出るクジラの尾の方向から、クジラが次に浮上する場所が読める(予想できる)といわれる[29]
捕鯨船は5-9.9トンの小型グラスファイバー船で、音を出して鯨類を威嚇する者と舵を取る者の2名が一艘に乗る[27]
捕獲成功率は、イルカ類は種類によっては高い捕獲率を示すが、ゴンドウ類はオキゴンドウが約2割など、ゴンドウ類はイルカ類に比べ捕獲が難しいと結論されている[27][注釈 14]
2006年、"腹びれイルカ"として知られる「はるか」も、いさな組合により水揚げ(生体捕獲)された[30]
捕獲頭数の調整
いさな組合は300頭追い込んだとしても100頭余りしか捕獲せず、残余は逃がす[24]。これは値崩れの防止や、資源保護の意味がある[24]
解体
湾を天然のいけすにして追い込んだ小型鯨類は、内臓を取り除き血抜きされ、市場に出荷される[27](家畜、狩猟動物、と同様である)。解体は陸上で行う[20]。解体の所要時間は、イルカ類は5-10分、ゴンドウ類は15分程度[20]。原則として、イルカ類は一頭丸売り、ゴンドウ類は部位ごとに入札となる[20]
捕殺については、苦痛がなるべく少なくなるよう、「脊髄切断法」[注釈 15]2000年ごろから取り組む[31]。過去には、湾が血で赤くなったが、太地では2008年から、フェロー諸島の捕鯨を参考に、血が出ない形に改善した[32][注釈 16]
水族館などへ
追い込み漁は、生きたまま捕獲できるため、水族館などへも販売される。飼育用の小型鯨類、例えばハンドウイルカでは、「雌でかつ体長が2.45 - 2.55 メートルの個体」などの条件があり、水族館販売用の小型鯨類は条件を満たすのが困難とされる[24][注釈 17]

漁閑期

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5月から8月のゴンドウ類の閑散期(休漁期)に、次のようないろいろな漁業を行う[20]

カツオけんけん釣り[20]ウルメイワシコアジソウダガツオなどの棒受網漁[20]キンキムツなどの底釣り、モジャコ[20]アワビトコブシなどの貝類の磯潜り、テングサヒジキ採集、タコ[20]

太地町漁業協同組合

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いさな組合は太地町漁業協同組合の一部である。 太地町漁協での捕鯨は、追い込み漁以外に、「突きん棒漁」と、「小型捕鯨」とがある[34][注釈 18]

太地町漁業協同組合の年間水揚金額は約3億5,000万円であり、うち捕鯨の水揚金額が約1/3となる[7][注釈 19]

太地町における位置づけ

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太地町は紀伊半島の南端近くに位置し、熊野灘紀伊山地に囲まれた土地は狭隘で農業には適さず、また、大都市圏からのアクセスが悪く、産業の育成にも限界があり、太地町の財政は地方交付税に大きく頼る状況である[34]。このため、漁協の年間水揚げ高の約3分の1を占める捕鯨は重要な産業となる[34][注釈 20]

ボランティア

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いさな組合は、鯨肉を、イベントへの無償提供や、小中学校へ寄付も行う[24]

2011年6月、東日本大震災のおりに、かつて捕鯨基地のあった岩手県山田町鯨肉の炊き出しを行った[36][37]。肉はゴンドウクジラ2頭分計500キロ。現地で調理し、1500人に配った[36]

映像メディア

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NHKが、いさな組合が出演するドキュメンタリーを2011年5月22日に『NHKスペシャル クジラと生きる』を放送した[38]。この番組は、小型捕鯨の追い込み漁や組合の加入者と家族、地域の様子や、過激な反捕鯨団体シーシェパードの妨害活動が赤裸々に語られた[39]

『クジラと生きる』を見た和歌山県知事仁坂吉伸は「テレビを見て、挑発に乗らず耐えておられる太地の方々を見て、この人々を絶対に見棄てないぞとの決意を新たにしました。」と述べた[40]。『クジラと生きる』については、NHKの放送番組審議会で、いさな組合などの漁業関係者への同情や、シーシェパードへの非難の意見があった[4][41][42]

NHKでは同年7月24日にも『ETV特集 鯨の町に生きる』を放送した[43]。 民放ではテレビ朝日が同年2月にドキュメンタリーを制作した[44]

2009年には、ドキュメンタリーフィルム『Town of Sun, the Black Tide and Whales』(邦題:『太陽と黒潮と鯨の町』)が製作された[45]

課題

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2009年の反捕鯨映画「THE COVE」以降、シーシェパード以外にも様々な団体が漁村に訪れ、それらの妨害行為は加速しているという[44][注釈 21]

シーシェパードなどの活動

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シーシェパードなどの反捕鯨団体によって、2003年11月に捕鯨用の網が切断され、2010年9月にはいけすの網が切断される器物損壊、2011年12月には暴行事件が指摘されている[48][49]。 また、盗撮の被害も受け、2009年ごろのメディアによって、どのように盗撮されたかが明かされた[50][51][52]。 また、2011年9月には殺人予告の脅迫状も届いた[47][注釈 22]

シーシェパードなどへの対処

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2011年3月10日、いさな組合などは、過激な反捕鯨団体による嫌がらせに対し、法的な是正を求める陳情を行ったことが、評論家の森田実によって明かされた[54][55][56][57]。陳情は毎年行われた[58][59]

国会は、2011年3月24日の法務委員会で審議が行われるなど[60]、シーシェパードが議論の対象となった[61]。また、和歌山県議会はシーシェパードを非難し取り締まる決議をし[62]、和歌山県や県知事はイルカ漁を支持する立場を鮮明にした[63][40]和歌山県警は2011年9月から2012年1月の間に軽犯罪法違反・和歌山県迷惑防止条例違反の疑いで、活動家に対して約25件の指導警告を行ったという[47][64]

2014年2月、日本政府(安倍内閣)は「イルカ漁は適切」で「日本文化」だとする答弁書を閣議決定した[65]

なお、2014年2月現在で、シーシェパードなどの過激な反捕鯨組織の妨害を阻止するに至ってはいない[5][66]

注釈

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  1. ^ 万葉集#捕鯨も参照。
  2. ^ 太地に限らず、日本は6-9千年前の縄文時代(中・新石器時代)から小型鯨類を食し、遅くとも5千年前にはイルカ漁もしていた[10]。また、大きなクジラについては、沿岸に迷い込んだ、弱った「寄り鯨」を獲っていたと、推測されている[6][11]
  3. ^ これ以前は個人らが助け合いながら獲っていた[6]
  4. ^ 「てんと船」の由来について、海洋政策研究財団・政策研究グループの遠藤愛子は2つの説を紹介した。一つは「1913年に太地の小型捕鯨船の一部の船に発動機が据えられ、これらの船は、「走ること天を渡る程早い」というところからテント船(天渡船)とよばれた」というもの[15]。もう一つは、「江戸時代の末期から明治中期頃までに、五枚板造りの船が「てんとう」とよばれ明治期になって広く沿岸に普及されており、この型の船を使ってゴンドウが捕獲されていたので、その名で呼ばれるようになった」というものである[15]
  5. ^ 1983年に県知事許可漁業になり、資源管理が行われた[8]
  6. ^ 1988年は商業捕鯨モラトリアムが発行した年である[19]。遠藤は、「モラトリアム以降、全国的な鯨肉供給量減少に伴い、これまで安価であった小型鯨類は、大型鯨類の代替品として消費地市場においてその商品価値が高くなり高級嗜好品化した」と説明する[19]
  7. ^ 2006年より、漁期の始まりがこれまでの10月から9月開始に変更された[20]
  8. ^ 4月以降のゴンドウを地元では"麦刈りゴンドウ"と呼ぶ[20]
  9. ^ 太地町ではマゴンドウの刺身が人気があると調査された[21][22]
  10. ^ オキゴンドウは捕獲が難しい[23]。主に飼育用[23]。飼育用小型鯨類のうち最も商業的価値が高い[24]
  11. ^ 太地町ではイルカはスジイルカの腹肉のみが消費される[25]。これの理由はスジイルカが捕獲が容易であり、供給が豊富だったから地域の食習慣に根付いたと聞き取り調査されている[25]。地元では「真イルカ」と呼ばれる[25]
  12. ^ カマイルカは2007年1月より新規捕獲枠に入れられた[8]。主に飼育用であり[25]、また、カマイルカの捕獲は従来の漁網では難しいため、専用の漁網が必要となる[24]
  13. ^ 太地町漁業協同組合によると、太地での小型捕鯨業は、本来ミンククジラを捕るのが主流だったが、国際捕鯨委員会 (IWC) の捕獲制限により捕獲が禁止されたため、IWC管理対象外のツチクジラゴンドウクジラなどを獲るだけになったと説明する[26]
  14. ^ 漁師の表現では「知恵比べになる」という。
  15. ^ デンマークの自治領・フェロー諸島で行われている頚髄及び頚椎周囲の血管叢を切断する方法[31]。捕殺時間が短く、作業者の安全性も高いとされた[31]
  16. ^ ノルウェーの捕鯨研究者(博士)のアルネ・ビョルグは、(2010年までには)太地の漁師は迅速に屠殺するよう努力していると、作家のC・W・ニコルに説明した[33]
  17. ^ オスに比べて、若いメスの個体が調教しやすいためとされる[24]。また、求められる条件が厳しいため、水族館は慢性的に供給不足となっている[24]
  18. ^ 突きん棒漁は、手投げの銛で突きとる漁で、追い込み漁と共に、各都道府県知事の許可の下に行われる[34]。小型捕鯨は、捕鯨砲を積んだ小型捕鯨船による漁であり、農水大臣の許可を受けて行われる[34]。突きん棒は追い込み漁より効率が悪いとされ、太地では29隻が許可を受けているが通常3隻のみ従事し、捕鯨砲を積んだ小型捕鯨は2隻の船で行う[34]
  19. ^ 太地町漁業協同組合の地元市場への年間漁獲量は1,760トンであり、うち海産ほ乳類は234トンで、全体の13%を占める[7]
  20. ^ 南氷洋・北洋捕鯨の全盛期には、約400人の太地町民が捕鯨産業に従事し、また、1960年代前半の南氷洋捕鯨従事者が支払う税金は、町税収入のおよそ60%に達した[35]
  21. ^ シーシェパードの嫌がらせの始まりは2003年まで遡ることができるが[46]、2003年以後は南氷洋の日本の調査捕鯨妨害に傾注し、再び太地に戻ってくるのは、映画『コーブ』の後の2010年である[47]
  22. ^ 野村はこの脅迫をエコテロリズムだとしている[53]

出典

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  65. ^ 日本のイルカ漁「適切に実施」 答弁書を閣議決定2014/2/25 日本経済新聞
  66. ^ 反捕鯨団体の監視いまも 和歌山・太地町、漁師ら困惑遠藤雄司 2014年3月17日 朝日新聞デジタル

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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