大村純顕
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 文政5年11月5日(1822年12月17日) |
死没 | 明治15年(1882年)4月2日 |
改名 | 伊織・民部(幼名)、純顕 |
戒名 | 慈徳院温厚愨翁日栄大居 |
墓所 | 長崎県大村市の本経寺 |
官位 | 従五位下丹後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 肥前大村藩主 |
氏族 | 大村氏 |
父母 | 父:大村純昌、母:福田頼之の妹・仙 |
兄弟 | 純鑑、純徴、純享、純顕、阿部正備、道純、松平乗懿正室、相良長福正室、高木正功、小出英教、孝純、純熈、九鬼隆能室、植村家興 |
妻 |
正室:溝口直諒の娘・菊姫 継室:秋田肥季の養女・セイ |
子 |
松前徳広婚約者、純一、浅田安尚室、大村泰室、岐丸、武純 養子:純熈 |
大村 純顕(おおむら すみあき)は、肥前国大村藩の第11代藩主。
生涯
[編集]文政5年(1822年)11月5日、第10代藩主・大村純昌の4男として玖島城で生まれた。天保7年(1836年)11月23日、父の隠居で家督を継いだ。
藩を挙げて職制改革・知行制改革、商業流通統制など、様々な藩政改革を行なっていたが、病気を理由に弘化3年(1846年12月に隠居し、翌弘化4年(1847年)2月21日に同母弟で養子の純熈に家督を相続させた。同年3月5日、純顕は病を理由に幕府に帰郷を願い、7日に許可が下りたため15日に江戸を出発して、翌月27日に大村に到着、隠居生活に入った。
明治15年(1882年)1月に純熈が死去し、4月2日に純顕も死去した。享年61。
系譜
[編集]父母
正室、継室
子女
養子
- 大村純熈 ー 実弟