大分県立由布高等学校
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大分県立由布高等学校 | |
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中央奥が大分県立由布高等学校 | |
北緯33度10分55.8秒 東経131度27分11.8秒 / 北緯33.182167度 東経131.453278度座標: 北緯33度10分55.8秒 東経131度27分11.8秒 / 北緯33.182167度 東経131.453278度 | |
過去の名称 |
私立庄内実科高等女学校 大分県立大分上野丘高等学校庄内分校 大分県立碩南高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大分県 |
校訓 | 誠実・友愛・努力 |
設立年月日 | 1941年 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 連携型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D144210000237 |
高校コード | 44120B |
所在地 | 〒879-5413 |
大分県由布市庄内町大龍2674-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大分県立由布高等学校(おおいたけんりつ ゆふこうとうがっこう)は、大分県由布市庄内町大龍にある県立高等学校。
沿革
[編集]- 県立碩南中学校
- 1885年(明治18年)- 6月5日、大分郡大分町字荷揚町に大分県立大分中学校が開校。
- 1886年(明治19年)- 10月、大分県尋常中学校と改称。
- 1894年(明治27年)- 3月、中津分校を設置(下毛郡中津町)。新校舎に移転する(大分郡豊府村字津院)。
- 1897年(明治30年)- 大分県大分尋常中学校と改称.。杵築、臼杵、竹田に分校を設立。中津分校は独立。
- 1900年(明治33年)- 3月、分校がそれぞれ独立。
- 1901年(明治34年)- 大分県立大分中学校と改称。
- 1941年(昭和16年)- 学内に県立夜間中学校を併設。
- 1943年(昭和18年)- 11月11日、県立夜間中学校が大分県立碩南中学校と改称。
- 1948年(昭和23年)- 4月1日、 学校改革により、大分中学校・碩南中学校・他2校が合併し大分県立大分第一高等学校となる。7月30日、定時制の由布院分校、野津原分校が開校。
- 1949年(昭和24年)- 分校が上野校舎、大道校舎と改称。稙田分校が開設。
- 1951年(昭和26年)- 大分県立大分上野丘高等学校と改称。
- 私立庄内実家高等女学校
- 1941年(昭和16年)- 4月11日 - 私立庄内実科高等女学校開校。
- 1951年(昭和26年)- 4月、大分県立大分上野丘高等学校の庄内分校となる。
- 県立上野丘高等学校
- 1955年(昭和30年)- 4月1日、上野丘高等学校のうち由布院、野津原、稙田、庄内の定時制分校が統合独立し、定時制の大分県立碩南高等学校となる[1]。
- 1962年(昭和37年)- 4月1日、定時制から全日制普通科に転換。
- 2006年(平成18年)- 4月、前年10月1日の由布市発足に伴い、大分県立由布高等学校に改名。
設置科
[編集]高校再編
[編集]2008年(平成20年)1月9日に大分県教育委員会が公表した2010 - 2014年度の後期高校再編計画の検討素案においては、本校を廃止することが提案されていたが[2]、同年8月27日に決定された最終案では、2011年度(平成23年度)から連携型中高一貫教育を導入し、存続することとなった[3]。
卒業生
[編集]- 木津悠輔 - ラグビー選手。
- 野畑美咲 - ライフル射撃選手。2024年パリオリンピック射撃の女子個人・混合団体10mエアライフル日本代表。
脚注
[編集]- ^ 上野丘高等学校同窓会資料。
- ^ 県教委 後期高校再編素案を発表 - 大分合同新聞、2008年1月10日
- ^ 由布高、中高一貫で一転「存続」 - 大分合同新聞、2008年8月28日
関連項目
[編集]- 大分県高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (大分県)
- 大分県師範学校(1898 - 1943)
- 大分県女子師範学校(1907 - 1943)