園田武彦

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園田武彦
そのだ たけひこ
生年月日 1887年1月24日
出生地 イギリスの旗 イギリス ロンドン
没年月日 (1977-12-04) 1977年12月4日(90歳没)
出身校 グラスゴー高等工業学校機械科卒業
前職 機械技術者
所属政党 公正会
配偶者 園田京子
親族 祖父・富永発叔(衆議院議員)
義兄・林博太郎(貴族院議員)
叔父・富永鴻(長崎県知事)

在任期間 1930年6月7日 - 1939年7月9日
1946年5月11日 - 1947年5月2日
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園田 武彦(そのだ たけひこ、1887年明治20年)1月24日[1] - 1977年昭和52年)12月4日[1][注 1])は、日本の機械技術者政治家華族貴族院男爵議員

経歴[編集]

本籍鹿児島県[2]外交官園田孝吉、銈子夫妻の二男としてロンドンで生まれる[1][3][4]1910年(明治43年)イギリス、グラスゴー高等工業学校機械科を卒業[3][4]

その後、イギリスで造船所、機械工場の職工として働く[4]。飛行機への情熱を掻き立てられ父へ援助を申し出ると、飛行士にはならないこと、飛行機の製作は一機のみとする条件で資金の提供を受けた[4]。飛行機はハンドレページの工場において共同で製作し、1911年(明治44年)はじめに完成した(園田式飛行機)[4][5]ヘンドン飛行場英語版で三度目の着陸の際、左翼が地面と接触して破損し使用不能となる[4][5]。父との約束どおり飛行機製作を断念して、帰国時に無事であったグリーン50馬力エンジンを持ち帰り、奈良原三次の奈良原式4号鳳号飛行機に搭載された[4][5]

父の死去に伴い、1923年(大正12年)12月20日、家督を相続し男爵を襲爵した[1][6]1930年(昭和5年)6月7日、貴族院議員補欠選挙で当選し貴族院男爵議員に就任し[7][2][8]1939年(昭和14年)7月9日まで在任[2]1946年(昭和21年)5月11日、貴族院議員補欠選挙で当選し貴族院男爵議員に就任し[9][10]公正会に属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

1917年(大正6年)園池製作所取締役社長に就任[2]。その他、模範ベルト工業代表、国際トーキー社長、帝国内燃機社長などを務めた[3]

親族[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』75頁では昭和51年(1976年)死去。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成 上巻』807頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』75頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』ソ9-10頁。
  4. ^ a b c d e f g 『日本民間航空史話』16-17頁。
  5. ^ a b c 『世界の翼・別冊 航空70年史』28頁。
  6. ^ 『官報』第3401号、大正12年12月22日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。
  8. ^ 『官報』第1032号、昭和5年6月10日。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。
  10. ^ 『官報』第5815号、昭和21年6月5日。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『日本民間航空史話』日本航空協会、1966年。
  • 『世界の翼・別冊 航空70年史―1 ライト兄弟から零戦まで 1900〜1940』朝日新聞社、1970年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
園田孝吉
男爵
園田(孝吉)家第2代
1923年 - 1947年
次代
華族制度廃止