出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリアノ・ルベン・プエルタ(Mariano Rubén Puerta, 1978年9月19日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の男子プロテニス選手。2005年全仏オープン男子シングルス準優勝者。身長180cm、体重78kg。男子テニスツアーでシングルス3勝、ダブルス3勝を挙げた。
選手経歴[編集]
5歳からテニスを始め、1998年にプロ入り。それから7年間は4大大会では3度の2回戦進出が自己最高成績だった。2005年全仏オープン男子シングルスではノーシードから決勝に勝ち上がった。決勝で当時19歳になったばかりのラファエル・ナダルと対戦(ちなみに左利き対決である)。プエルタはナダルから第1セットを奪ったが、続く3セットを落として、7-6, 3-6, 1-6, 5-7で敗れて準優勝に終わった。
ところが、全仏決勝後の検査で、彼が禁止薬物である興奮剤の「エチレフリン」に陽性反応を示したことが明るみに出てしまう。プエルタは2003年にも、ドーピング違反で9ヶ月の出場停止処分を受けたことがあった。12月21日、国際テニス連盟(ITF)はプエルタに対して「出場資格停止8年」の処分を発表した。この処分は決勝戦のあった6月5日にさかのぼって有効となり、全仏オープン準優勝で獲得したポイントと賞金を含め、それ以後のランキング・ポイントと獲得賞金がすべて没収されることになった。
1年後の2006年、スポーツ仲裁裁判所がプエルタの出場停止処分を当初の「8年」から「2年」に軽減することを決定した。処分が明けた2007年6月から現役復帰を果たし、チャレンジャー大会を中心に転戦していたが、2009年11月のペルーの大会を最後に試合から遠ざかっている。
ATPツアー決勝進出結果[編集]
シングルス: 10回 (3勝7敗)[編集]
|
サーフェス別タイトル
|
ハード (0–0)
|
クレー (3-7)
|
芝 (0-0)
|
カーペット (0-0)
|
|
結果
|
No.
|
決勝日
|
大会
|
サーフェス
|
対戦相手
|
スコア
|
準優勝
|
1.
|
1998年8月10日
|
サンマリノ
|
クレー
|
ドミニク・フルバティ
|
2–6, 5–7
|
優勝
|
1.
|
1998年10月1日
|
パレルモ
|
クレー
|
フランコ・スキラーリ
|
6–3, 6–2
|
準優勝
|
2.
|
2000年2月21日
|
メキシコシティ
|
クレー
|
フアン・イグナシオ・チェラ
|
4–6, 6–7(4)
|
準優勝
|
3.
|
2000年2月28日
|
サンティアゴ
|
クレー
|
グスタボ・クエルテン
|
6-7(3), 3-6
|
優勝
|
2.
|
2000年3月6日
|
ボゴタ
|
クレー
|
ユーネス・エル・アイナウイ
|
6–4, 7–6
|
準優勝
|
4.
|
2000年7月17日
|
グシュタード
|
クレー
|
アレックス・コレチャ
|
1-6, 3-6
|
準優勝
|
5.
|
2000年7月17日
|
ウマグ
|
クレー
|
マルセロ・リオス
|
6-7, 6-4, 3-6
|
準優勝
|
6.
|
2005年2月7日
|
ブエノスアイレス
|
クレー
|
ガストン・ガウディオ
|
4–6, 4–6
|
優勝
|
3.
|
2005年4月4日
|
カサブランカ
|
クレー
|
フアン・モナコ
|
6–4, 6–1
|
準優勝
|
7.
|
2005年6月5日
|
全仏オープン
|
クレー
|
ラファエル・ナダル
|
7–6(6), 3–6, 1–6, 5–7
|
ダブルス: 3回 (3勝0敗)[編集]
4大大会シングルス成績[編集]
- 略語の説明
W
|
F
|
SF
|
QF
|
#R
|
RR
|
Q#
|
LQ
|
A
|
Z#
|
PO
|
G
|
S
|
B
|
NMS
|
P
|
NH
|
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
外部リンク[編集]