マルセロ・アンドレス・リオス・マヨルガ(Marcelo Andrés Ríos Mayorga、1975年12月26日 - )は、チリ・サンティアゴ・デ・チレ出身の男子プロテニス選手。左利き。ATPツアーでシングルス18勝、ダブルス1勝を挙げた。。
1998年全豪オープン男子シングルス準優勝者。1998年グランドスラムカップ優勝者。マスターズシリーズ優勝5回。1998年に世界ランキング1位。初のマスターズクレーコート3大会[1]優勝者。オープン化以降唯一のグランドスラム優勝経験無しの世界ランキング1位在位者。
選手経歴[編集]
11歳からテニスを始める。1993年全米オープンジュニアシングルスで優勝し1994年にプロ転向。1994年全仏オープンで4大大会に初出場した。
1998年全豪オープンで初の4大大会決勝に進出したが、ペトル・コルダに2-6, 2-6, 2-6のストレートで完敗し、チリ人男子テニス選手としての4大大会シングルス優勝を逃した。同年の3月末にマイアミ・マスターズ決勝戦でアンドレ・アガシを破って優勝、南米の男子テニス選手として初の世界ランキング1位になる。この快挙により、リオスはピート・サンプラスの世界1位連続保持記録を「102週」で止めた。しかし彼はその位置を6週しか保持できなかった。ATPの歴代シングルス1位選手26人の中で1度も4大大会で優勝出来なかったのはリオス1人だけである。
2000年シドニー五輪に出場したが、シングルスとニコラス・マスーと組んだダブルスの双方とも1回戦で敗退している。
2002年全豪オープンではノーシードからベスト8に進出した。その後は4大大会で目立った活躍がなく、2004年7月に現役引退を表明した。
リオスは長髪を束ねた風貌が印象的で、試合中に怒りやすいタイプの選手であった。しかし南米の男子テニス界を盛り上げた存在感は大きく、ブラジルのグスタボ・クエルテンと並んで“南米の2巨頭”と呼ばれた。
リオスは30歳を迎えた2006年からATPチャンピオンズツアーに参戦。ジョン・マッケンローら往年の名選手達と世界各地で試合を行っている。
ATPツアー決勝進出結果[編集]
シングルス: 31回 (18勝13敗)[編集]
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サーフェス別タイトル |
ハード (7–6) |
クレー (9-7) |
芝 (0-0) |
カーペット (2-0) |
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結果 |
No. |
決勝日 |
大会 |
サーフェス |
対戦相手 |
スコア |
優勝 |
1. |
1995年5月28日 |
ボローニャ |
クレー |
マルセロ・フィリピーニ |
6–2, 6–4 |
優勝 |
2. |
1995年7月30日 |
アムステルダム |
クレー |
ヤン・シーメリンク |
6–4, 7–5, 6–4 |
優勝 |
3. |
1995年10月9日 |
クアラルンプール |
カーペット (室内) |
マーク・フィリプーシス |
7–6(8-6), 6–2 |
準優勝 |
1. |
1995年10月29日 |
サンティアゴ |
クレー |
スラバ・ドセデル |
6–7(3-7), 3–6 |
準優勝 |
2. |
1996年3月11日 |
スコッツデール |
ハード |
ウェイン・フェレイラ |
6–2, 3–6, 3–6 |
準優勝 |
3. |
1996年4月21日 |
バルセロナ |
クレー |
トーマス・ムスター |
3–6, 6–4, 4–6, 1–6 |
優勝 |
4. |
1996年5月26日 |
ザンクト・ペルテン |
クレー |
フェリックス・マンティーリャ |
6–2, 6–4 |
準優勝 |
4. |
1996年11月10日 |
サンティアゴ |
クレー |
エルナン・グミ |
4–6, 5–7 |
準優勝 |
5. |
1997年2月17日 |
マルセイユ |
ハード (室内) |
トーマス・エンクビスト |
4–6, 0–1, 途中棄権 |
優勝 |
5. |
1997年4月28日 |
モンテカルロ |
クレー |
アレックス・コレチャ |
6–4, 6–3, 6–3 |
準優勝 |
6. |
1997年5月19日 |
ローマ |
クレー |
アレックス・コレチャ |
5–7, 5–7, 3–6 |
準優勝 |
7. |
1997年8月24日 |
ボストン |
ハード |
チャン・シャルケン |
5–7, 3–6 |
準優勝 |
8. |
1997年11月9日 |
サンティアゴ |
クレー |
フリアン・アロンソ |
2–6, 1–6 |
優勝 |
6. |
1998年1月18日 |
オークランド |
ハード |
リチャード・フロムバーグ |
4–6, 6–4, 7–6(7-3) |
準優勝 |
9. |
1998年2月1日 |
全豪オープン |
ハード |
ペトル・コルダ |
2–6, 2–6, 2–6 |
優勝 |
7. |
1998年3月16日 |
インディアンウェルズ |
ハード |
グレグ・ルーゼドスキー |
6–3, 6–7(15-17), 7–6(7-4), 6–4 |
優勝 |
8. |
1998年3月29日 |
マイアミ |
ハード |
アンドレ・アガシ |
7–5, 6–3, 6–4 |
優勝 |
9. |
1998年5月17日 |
ローマ |
クレー |
アルベルト・コスタ |
不戦勝 |
優勝 |
10. |
1998年5月24日 |
ザンクト・ペルテン |
クレー |
ヴィンセント・スペーディア |
6–2, 6–0 |
優勝 |
11. |
1998年10月5日 |
ミュンヘン |
ハード (室内) |
アンドレ・アガシ |
6–4, 2–6, 7–6(7-1), 5–7, 6–3 |
優勝 |
12. |
1998年10月18日 |
シンガポール |
カーペット (室内) |
マーク・ウッドフォード |
6–4, 6–2 |
準優勝 |
10. |
1999年4月25日 |
モンテカルロ |
クレー |
グスタボ・クエルテン |
4–6, 1–2, 途中棄権 |
優勝 |
13. |
1999年5月10日 |
ハンブルク |
クレー |
マリアノ・サバレタ |
6–7(5-7), 7–5, 5–7, 7–6(7-5), 6–2 |
優勝 |
14. |
1999年5月23日 |
ザンクト・ペルテン |
クレー |
マリアノ・サバレタ |
4–4, 途中棄権 |
準優勝 |
11. |
1999年10月10日 |
上海 |
ハード |
マグヌス・ノーマン |
6–2, 3–6, 5–7 |
優勝 |
15. |
1999年10月17日 |
シンガポール |
ハード (室内) |
ミカエル・ティルストロム |
6–2, 7–6(7-5) |
優勝 |
16. |
2000年7月23日 |
ウマグ |
クレー |
マリアノ・プエルタ |
7–6(7-1), 4–6, 6–3 |
優勝 |
17. |
2001年1月7日 |
ドーハ |
ハード |
ボフダン・ウリラッハ |
6–3, 2–6, 6–3 |
優勝 |
18. |
2001年9月30日 |
香港 |
ハード |
ライナー・シュットラー |
7–6(7-3), 6–2 |
準優勝 |
12. |
2002年10月27日 |
ストックホルム |
ハード (室内) |
パラドーン・スリチャパン |
7–6(7-2), 0–6, 3–6, 2–6 |
準優勝 |
13. |
2003年2月16日 |
ビニャ・デル・マール |
クレー |
ダビド・サンチェス |
6–1, 3–6, 3–6 |
ダブルス: 2回 (1勝1敗)[編集]
4大大会シングルス成績[編集]
- 略語の説明
W |
F |
SF |
QF |
#R |
RR |
Q# |
LQ |
A |
WG |
Z# |
PO |
SF-B |
S |
G |
NMS |
NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.
- ^ モンテカルロ・ローマ・ハンブルク
外部リンク[編集]
タイトル |
先代:
ピート・サンプラス
ピート・サンプラス |
世界ランキング1位
1998年3月30日 – 1998年4月26日
1998年8月10日 – 1998年8月23日 |
次代:
ピート・サンプラス
ピート・サンプラス |
男子テニス世界ランキング1位 |
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- 1973年8月23日のATPランキング導入以降の記録
- (最初に在位した年-最後に在位した年 - 在位総週)
- 現在の1位は強調表示, 2018年3月19日付
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