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マニ教宇宙図

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『マニ教宇宙図』
作者不明
製作年元代(1271年 - 1368年)前後
種類絹本着色
寸法137.1 cm × 56.6 cm (54.0 in × 22.3 in)
所蔵日本・個人蔵

マニ教宇宙図[1](マニきょううちゅうず)または『宇宙図[2]は、元代前後の中国で描かれた、マニ教宇宙観を示した絵画[2]

長らく失われていたが、2010年、日本仏教画として伝存していたものを、京都大学教授の吉田豊らが発見し、学界で国際的に注目された[2][3]

日本への伝来時期は不明[2]。個人蔵[2]

成立

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3世紀メソポタミアに起こったマニ教は、シルクロードを経由して中国にも伝わった[3]。中国では諸王朝に弾圧されつつも、江南浙江福建秘密結社的に存続した[4]

本図は元代前後の江南で描かれた[2]。これは当時の仏教画との比較などに基づく[2]。宗教に寛容だった元代に、マニ教徒が仏画工房に絵画を発注したと推測される[4]

内容

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縦137.1cm、横56.6cmの絹布に彩色で描かれている[2]

マニ教は絵解きを伝統的に重視しており[3]、本図には多くの情報が詰め込まれている[5]

マニ教の宇宙である「十天八地」(10層の天と8層の大地)に[5]須弥山に似た大樹[5]十王に似た審判官が描かれている[6]。白衣を着たマニと思われる人物が繰り返し登場する[5]

ギャラリー

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発見

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発見されたマニ教絵画英語版

従来、マニ教絵画英語版トルファン出土の断片的な絵画しかなく[8]、宇宙観の全体像も不明だった[2]

2006年、東北大学教授の泉武夫が、山梨県臨済宗棲雲寺奈良県大和文華館に、仏教画に紛れた異教の絵画があることを指摘した[9]。2010年、京都大学教授の吉田豊らが、これを受けて追加調査するなかで、個人蔵の本図を発見し、『宇宙図』の呼称を与えた[2][9]

本図のほか『聖者伝図1英語版』『聖者伝図2英語版』『聖者伝図3』『マニ像英語版』なども発見されている。

参考文献

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脚注

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  1. ^ Kósa 2015.
  2. ^ a b c d e f g h i j “国内にマニ教「宇宙図」 世界初、京大教授ら確認”. 47NEWS. (2010年9月26日). オリジナルの2013年6月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130615215517/http://www.47news.jp:80/CN/201009/CN2010092601000366.html 
  3. ^ a b c 吉田豊. “ポケット・ゼミの紹介|京都大学国際高等教育院”. www.z.k.kyoto-u.ac.jp. 2024年3月21日閲覧。
  4. ^ a b 塚本和人収蔵庫に眠る地蔵菩薩絵画、実はマニ教創始者像 奈良博」『朝日新聞デジタル』2019年5月1日。2024年3月22日閲覧。
  5. ^ a b c d 古川攝一「信仰と絵画展によせて マニ教絵画をめぐって」『美のたより』第174号、大和文華館、2011年https://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/yamato/shuppan/binotayori/pdf/174/2011_174_3.pdf 
  6. ^ Kósa 2015, p. 276.
  7. ^ Picturing Mani's Cosmology: An Analysis of Doctrinal Iconography on a Manichaean Hanging Scroll from 13th/14th-Century Southern China” (英語). Bulletin of the Asia Institute. 2020年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月7日閲覧。
  8. ^ 中国江南マニ教絵画研究―臨川書店”. www.rinsen.com. 2024年3月21日閲覧。
  9. ^ a b 森安孝夫日本に現存するマニ教絵画の発見とその歴史的背景(特別寄稿)」『内陸アジア史研究』第25号、内陸アジア史学会、6頁、2010年。 NAID 110009829134https://doi.org/10.20708/innerasianstudies.25.0_1