マグダレーナ・アバカノヴィッチ
Magdalena Abakanowicz マグダレーナ・アバカノヴィッチ | |
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マグダレーナ・アバカノヴィッチ(ヤロスラフ・ピヤロフスキ撮影) | |
生誕 |
1930年6月20日 ポーランド ファレンティ |
死没 |
2017年4月20日 (86歳没) ポーランド ワルシャワ |
国籍 | ポーランド |
教育 | ワルシャワ美術アカデミー |
著名な実績 | 彫刻、ファイバー・アート、絵画 |
受賞 |
ヘルダー賞(1979年) レオナルド.ダ.ヴィンチ国際芸術大賞(1999年) |
公式サイト | http://www.abakanowicz.art.pl |
マルタ・マグダレーナ・アバカノヴィッチ=コスモフスカ(Marta Magdalena Abakanowicz-Kosmowska、1930年6月20日 – 2017年4月20日)とは、ポーランドの彫刻家、ファイバー・アーティスト、画家。ポーランドを代表する国際的アーティストの一人。
生涯
[編集]ファレンティの地主の家の生まれ[1]。母親は古くからのシュラフタ(貴族)の血筋。父親はリプカ・タタール人出身。祖先は13世紀モンゴル帝国のアバカまで遡る。元はロシアに住んでいたが、十月革命で独立した独立したばかりのポーランド第二共和国に移住していた[2][3]。
アバカノヴィッチが9歳の時、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻が起こる。戦時中、家族はワルシャワ郊外で何とか耐え忍び、終戦後はポーランド北部、グダニスクに近いトチェフで新生活を始める。
1947年、トチェフの中学校を卒業したアバカノヴィッチは、グディニャの高校に進学し、絵を学ぶ。1949年にソポトの美術アカデミー[4]、1950年にはワルシャワ美術アカデミーに入学[4][5][6]。入学にあたっては貴族出身であることが妨げとなったので、会社員の娘と偽った[7]。当時のポーランド政府はヨシフ・スターリンが推し進める「形式においては民族的、内容においては社会主義的」な社会主義リアリズムのみを芸術として容認し、芸術家たちにはその研鑽を求めていた[8]。モダニズムなど西側の芸術はポーランドに限らず東欧諸国で禁止されていた。アバカノヴィッチはアカデミーの雰囲気が融通がきかない保守的なものに感じられた。
私は線をいくつも描いて、その中から形を探す描き方が好き。でも教授は、輪郭だけ残して、それ以外の線は要らないと消しゴムで消してしまった。そのことで彼が大嫌いだった。[9]
アカデミーでは、テキスタイルのデザインも受講する。具体的には、機織法、シルクスクリーン、織物デザインで、Anna Sledziewska、Eleonora Plutymska、マリア・ウルバノヴィチらに師事した[10]。
1955年にワルシャワ美術アカデミーを卒業。本格的に創作を始めるが、住居を転々としたため、初期の作品の多くは紛失したり破損したりして、わずかに植物の素描が数点残っているだけである。
1953年にスターリンが死んだことで、ポーランド政府はソビエト連邦からの政治的圧力から脱しはじめた。1956年、ヴワディスワフ・ゴムウカが就任すると、劇的な社会的・文化的変化が起きた。芸術の形式と内容にも自由化の波が押し寄せた。
1956年から1959年にかけてアバカノヴィッチは『biomorphic』という絵画のシリーズを創作する。これは想像上の植物、鳥、エキゾチックな魚、貝殻、その他のバイオモーフィック[注 1]な形態を組み合わせたコンポジションで、大きな紙や縫い合わせたリネンにガッシュ(グワッシュ)と水彩で描いたもの[10][注 2]。アバカノヴィッチはこのシリーズについてこう語っている。
私のガッシュ画は壁いっぱいの巨大なものでした。アカデミーの勉強ですっかり意気消沈していて、自分自身のためにガッシュ作りに打ち込みました。長い間したいことができなかった、そのお返しとして大きなものを描く必要があったのです。頭の中の植物の間を歩きたかった。[11]
自由化によって、パリ、ヴェネツィア、ミュンヘン、ニューヨークなど西欧の芸術を知るようになると、アバカノヴィッチは自分の絵画が「けばけばしく、構成不足」と感じるようになった[11]。幾何学・構造の手引としてロシア構成主義を学んだが、あくまで参考のため、自分自身の「芸術言語と、より触覚的、直感的、私的な芸術を生み出すための方法」のためだった[12]。その結果、新たな芸術的表現に"織物"を選んだ。
1960年春のコルデガルダ・ギャラリー(ワルシャワ)[注 3]で開催された初の個展で、アバカノヴィッチはガッシュ画、水彩画に加えて4つの織物作品を出展する。さほど世間の注目を浴びるものではなかったが、ポーランドのテキスタイル、ファイバーデザイン界における彼女の地位は高まり、1962年にスイスのローザンヌで催された第1回国際タペストリー・ ビエンナーレ(ローザンヌ・ビエンナーレ)に参加。これが彼女の国際的成功に繋がる[13]。
1965年のサンパウロ・ビエンナーレでグランプリ受賞を皮切りに多くの賞を受賞。また、1965年から1990年までポズナン芸術大学教授、1984年にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授を勤めた[14]。
2017年に死去。
作品
[編集]画像は公式ホームページ参照。
アバカン
[編集]1967年から創り始めた巨大な三次元ファイバー・アートのシリーズ。美術界におけるアバカノヴィッチの地位を確立した。以後のアバカノヴィッチ作品の原点ともいえる作品[13]。素材はサイザル麻[13]、ロープ、麻、リンネル、ウール、馬の毛[5]。大きさは13フィートに達する場合もあり、天井から吊るすと下が地上すれすれにまで達する。
人体彫刻
[編集]「頭」「背中」「群衆」などのシリーズがある。素材はファイバーの他、ブロンズ、石、粘土など。
『Caminando』(1998年/1999年)はロビン・ウィリアムズ夫妻がコレクションしていたが、ロビンの死後、ポーランドでオークションにかけられ、800万ズウォティという最高額をつけた[15]。
戦争ゲーム
[編集]枝葉を取り除いた古い木の幹で作られた作品群。ボロ布を巻いたり、鉄の輪をかぶせたりして、金属製のスタンドなどの上に乗せる。
受賞
[編集]- 1965年 - サンパウロ・ビエンナーレ(ブラジル) グランプリ
- 1979年 - ヘルダー賞(オーストリア)
- 1982年 - Jurzykowski Prize(アメリカ)
- 1993年 - Award for Distinction in Sculpture, granted by the Sculpture Center(アメリカ)
- 1998年 - ポーランド復興勲章(ポーランド) 星付きコマンドルスキ十字勲章
- 1999年 - 芸術文化勲章(フランス) オフィシエ
- 1999年 - レオナルド.ダ.ヴィンチ国際芸術大賞[16]
- 2000年 - イタリア共和国功労勲章(イタリア) カヴァリエーレ
- 2000年 - ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン Visionaries! Award
- 2005年 - Lifetime Achievement in Contemporary Sculpture Award, International Sculpture Center, (Hamilton, NJ, USA)
- 2010年 - Germany's Star of the Grand Cross for Service to Germany(ドイツ)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ “biomorphicとは”. 英辞郎 on the WEB. アルク. 2020年3月3日閲覧。
- ^ 画像は公式ホームページの「drawings and paintings」を参照
- ^ Kordegarda Gallery Kordegarda Gallery
出典
[編集]- ^ Becherer, Joseph (2005). Confessions: Sculpture and Drawings. New York, NY: Marlborough Gallery. pp. 2
- ^ Inglot, Joanna. The Figurative Sculpture of Magdalena Abakanowicz: Bodies, Environments, and Myths. Berkeley and Los Angeles, Calif.: University of California Press, 2004. ISBN 9780520231252, p. 12.
- ^ Phaidon Editors (2019). Great women artists. Phaidon Press. p. 16. ISBN 978-0714878775
- ^ a b Grimes, William (April 21, 2017). "Magdalena Abakanowicz, Sculptor of Brooding Forms, Dies at 86". New York Times. Retrieved 2017-08-13.
- ^ a b “Original visions : shifting the paradigm, women's art 1970-1996 : Magdalena Abakanowicz, Mary Beth Edelson, Janet Fish, Agnes Martin, Pat Steir, Carrie ...” (英語). hdl:2027/bc.ark:/13960/t4hn0sq4z
- ^ Inglot, p. 28. Inglot characterizes the Warsaw Academy of Fine Arts as "the most important training center for young artists" in Poland at that time.
- ^ Rose, Barbara (1994). Magdalena Abakanowicz. New York: Harry N. Abrams, Inc. Publishers. pp. 12. ISBN 0-8109-1947-8
- ^ Inglot, p. 31.
- ^ Inglot, p. 27.
- ^ a b Inglot, p. 28.
- ^ a b Inglot, p. 34.
- ^ Inglot, p. 39.
- ^ a b c Brenson, Michael, Magdalena Abakanowicz's Abakans, Art Journal. Volume 54. Issue: 1, 1995
- ^ Muchnic, Suzanne (March 25, 2001). “She's Turned Her Backs on the World”. Los Angeles TImes March 24, 2018閲覧。
- ^ “Artwork sets record at Polish auction” 31 October 2019閲覧。
- ^ “Leonardo da Vinci World Award of Arts 1999”. June 26, 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。August 14, 2013閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- マグダレーナ・アバカノヴィッチ(Magdalena Abakanowicz)ヤッポランド(ポーランド情報センター)
- 「マグダレーナ・アバカノヴィッチ」の詳細情報 徳島県立近代美術館
- アバカノヴィッチ展 1991年5月19日 ~ 1991年7月7日滋賀県立近代美術館
- Magdalena Abakanowicz at culture.pl
- Women Artists and Postwar Abstraction | HOW TO SEE with MoMA curator Starr Figura
Museums
- Magdalena Abakanowicz at The Metropolitan Museum of Art, New York
- Magdalena Abakanowicz MoMA
- Magdalena Abakanowicz at the National Gallery of Art, Washington, DC[リンク切れ]
- Magdalena Abakanowicz at the Nelson-Atkins Museum of Art, Kansas City, MO
- Magdalena Abakanowicz collection - イスラエル美術館 September 2016閲覧。.
Works
Articles
- Magdalena Abakanowicz's 'Abakans.' (fiber sculptures)[リンク切れ], Art Journal
- Magdalena Abakanowicz, artnet
- The Jackboot Has Lifted. Now the Crowds Crush, By Rita Reif, The New York Times, June 3, 2001
- Magdalena Abakanowicz
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