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マクガイヤー・ブラザーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マクガイヤー・ブラザーズ
 
ベニー(左)とビリー(右)、リンダ・カーターをはさんで。
タッグチーム
メンバー ビリー・マクガイヤー
ベニー・マクガイヤー
名称
  • マクガイヤー・ブラザーズ
  • マクガイヤー兄弟
  • The McCrary Twins
  • The McGuire Twins
  • "World's Heaviest Twins"
合計体重 666 kg (1,468 lb)
(ビリー、ベニー合計)
ホームタウン ヘンダーソンビルノースカロライナ州
デビュー 1971年
解散 1978年
団体
トレーナー ゴリー・ゲレロ

マクガイヤー・ブラザーズ(マクガイヤー兄弟[注釈 1])は、アメリカ合衆国の男性双生児プロレスラー、ビリー・マクガイヤー(本名:ビリー・レオン・マクラリー(Billy Leon McCrary) 1946年12月7日 - 1979年7月14日)とベニー・マクガイヤー(本名:ベニー・ロイド・マクラリー(Benny Loyd McCrary) 1946年12月7日 - 2001年3月26日)の2人によるタッグチームである。

本国においては、ザ・マクラリー・ツインズ(The McCrary Twins)またはザ・マクガイヤー・ツインズ(The McGuire Twins)と名乗り、ギネス世界記録に「世界一重い双子」(それぞれ330 kg(727ポンド)と339 kg(747ポンド))として記載されていた[2][3]

来歴

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二人は、ノースカロライナ州ヘンダーソンビルに生まれた。ともに、4歳の時に風疹にかかり、脳下垂体に問題が起こり、体重が増え始めた。両親は運動量を増やすために農場を購入し、1日1,000カロリーの食事制限をしたが、体重は増え続けた。10歳までに体重はそれぞれ91kg(200ポンド)、16歳までには、270kg(600ポンド)になっていた。二人は高校を中退してテキサス州に移り、家畜に焼印を押す仕事に就いた[4]

それから、彼らはラスベガスカジノサーカス・サーカス」で3年間働き、その後ロサンゼルスで数か月間ミニバイクの演技を披露した[注釈 2]。テキサス州エルパソで彼らを見たプロレスのプロモーターが、メキシコシウダー・フアレスでトレーニングプログラムを始めるよう説得し、ウェイトリフティングとランニングを頻繁に行った[5]1971年12月、25歳でテキサスでリングデビューを果たし、ブル・ラモスサイクロン・ネグロのタッグに敗れた[6]。その後、NWA世界タッグ王座などのタイトル戦に挑戦する一方で、変則タッグマッチである3対2のハンディキャップマッチをこなしている。

1974年から1978年にかけて、彼らは日本で新日本プロレスが主催する試合に出場し、星野勘太郎坂口征二木戸修長州力などのタッグチームを破った[6] 。また、1974年1月11日の藤波辰巳藤原喜明永源遙大城大五郎との4対2を皮切りに、3対2から5対2といった変則タッグマッチが連日組まれ、同年1月18日には藤波辰巳山本小鉄・荒川真(ドン荒川)・栗栖正伸・小沢正志(キラー・カーン)・木村たかし(木村健悟)ら6対2のマッチも組まれた。一方で、1975年2月6日にはアントニオ猪木との1対2の逆ハンディキャップマッチも組まれている。日本では、リングアナウンサーなどが発音しやすいという理由から、「マクガイヤー」という芸名を使用していた[4][5]

マクガイヤー・ブラザーズの必殺技は「テュペロ・スプラッシュ」と呼ばれるもので、これは片方がうつ伏せの相手に腹から飛び込み、続いて「スチームローラー」といって二人が相手の上を前後に転がる技であった[5][7]

ビリーは1979年7月14日オンタリオ州ナイアガラフォールズで当時勤務していた「リプレーのビリーブ・イット・オア・ノット博物館」へ向かう途中、オートバイ事故に遭い、32歳で亡くなった[8]

ビリーの死後、ベニーはアンドレ・ザ・ジャイアントと組んでプロレスを続けようとしたが、兄とのタッグと異なり成功しなかった。その後、ベニーは古物商質屋)を開き、ヘンダーソンビルで競売人となった。後にノースカロライナ州ウォーカータウン英語版に移り、キリスト教の親睦団体であるクリスチャン・ゴルファーズ・ミニストリーで働いた。

ベニーは、膝の軟骨がすり減って、最終的には寝たきりになり[4]2001年3月26日心不全で54歳で亡くなった[9]

兄弟はヘンダーソンビル近郊の墓地に並んで埋葬されている。彼らの墓石にはホンダのバイク2台が描かれ[注釈 2]、「世界最大の双子」と刻まれている[3]

私生活

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二人はモントリオールで出会ったマリーズとダニエル・ジュアリー姉妹と結婚した[5]。ベニーは福音派のクリスチャンで、寝たきりになる直前までゴルフを楽しんでいた[4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 「マクガイヤー」は"McGuire"の音写。多くは「マグワイア」と音写されるが、本項では日本の通用[1]に従い「マクガイヤー」と記す。なお、本文記載の通り、これは芸名であるが各個人名も「マクガイヤー」を用いる。
  2. ^ a b 各々300kgの巨体で、50ccのミニバイクホンダ・ダックスに乗って移動する姿が一種のトレードマークとなって、プロレスデビュー後もリングサイドまでの移動などに用いられた。

出典

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  1. ^ 木明勝義 (2022年8月7日). “総重量600キロ超のマクガイヤー兄弟 俊敏な動きで猪木の頭をピコピコハンマーでポカリ!”. 東スポWeb. 東京スポーツ新聞社. 2024年9月9日閲覧。
  2. ^ Breo, Dennis (1978年1月9日). “The Wrestling McGuire Twins Weigh 747 and 727 but It's Their Opponents Who Go Boing, Boing”. People. オリジナルの2016年7月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160712024727/http://www.people.com/people/archive/article/0,,20069946,00.html 2024年9月9日閲覧。 
  3. ^ a b Fowler, Hayley (2020年12月8日). “700-pound NC twins rode minibikes, wrestled with Andre the Giant. They'd be 74 today”. Charlotte Observer. https://www.yahoo.com/news/700-pound-nc-twins-rode-211509127.html 
  4. ^ a b c d “Benny Loyd McCrary, World's Heaviest Twin”. SFGATE. (2001年4月3日). https://www.sfgate.com/news/article/Benny-Loyd-McCrary-World-s-Heaviest-Twin-2935876.php 
  5. ^ a b c d “McCrary Twins Awe Wrestling Fans Across Country”. The Times-News. (1973年1月9日). https://news.google.com/newspapers?id=_qojAAAAIBAJ&pg=6910,662694&dq=mccrary-twins&hl=en 
  6. ^ a b McCrary Twins: Matches”. CageMatch. 2024年9月9日閲覧。
  7. ^ ギネス世界記録 "Heaviest Twins"(2015-08-19)[リンク切れ]
  8. ^ “Services for Billy McCrary to be Held Here Tomorrow”. The Times-News (ヘンダーソンビル版). (1979年7月18日). https://news.google.com/newspapers?nid=1665&dat=19790718&id=NFUaAAAAIBAJ&pg=2070,1517744&hl=en/ 
  9. ^ Oliver, Greg (2001年3月29日). “BENNY McCrary DEAD AT 54”. Slam Wrestling. https://slamwrestling.net/index.php/2001/03/29/benny-McCrary-dead-at-54/ 

外部リンク

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