ボワ=ド=セネ
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Bois-de-Céné | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
県 (département) | ヴァンデ県 |
郡 (arrondissement) | レ・サーブル=ドロンヌ郡 |
小郡 (canton) | シャラン小郡 |
INSEEコード | 85024 |
郵便番号 | 85710 |
市長(任期) |
ヨアン・グラル (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | Pays de Challans |
人口動態 | |
人口 |
1903人 (2013年) |
人口密度 | 45人/km2 |
住民の呼称 | Cenéen |
地理 | |
座標 | 北緯46度56分20秒 西経1度53分03秒 / 北緯46.9388888889度 西経1.88416666667度座標: 北緯46度56分20秒 西経1度53分03秒 / 北緯46.9388888889度 西経1.88416666667度 |
標高 |
平均:m 最低:0m 最高:42m |
面積 | 41.89km2 |
公式サイト | Site officiel |
ボワ=ド=セネ (フランス語: Bois-de-Céné[1])は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、ヴァンデ県のコミューン。
地理
[編集]町は異なる環境で構成されている。西側はマレ・ブルトン地方の一部である沼地、東側はボカージュの風景が広がる農地である。町はロワール=アトランティック県と接している。
歴史
[編集]1000年前のボワ=ド=セネは海に面していた。修道士たちはブルニューフ湾に浮かぶショーヴェ島に修道院を創設した。島は徐々に島ではなくなっていった。
1120年代、ベルナール・ド・マシュクールとピエール・ド・ラ・ガルナシュとの間で交渉が行われた。ブルターニュとポワトゥーの境界にある、アシス・ド・ボワ・ド・セネ(Assises de Bois-de-Céné)の名で知られるこの小さな教区の処遇についてであった。交渉で、ブルターニュとポワトゥー間にまたがる辺境のコミューンの領主権、予防機関、権限と中立性の基礎が置かれることになった。
アンシャン・レジーム時代、ボワ=ド=セネは辺境のコミューンとしての地位を謳歌した。宗教上はポワトゥーのリュソン司教区に属していたが、司祭の処遇はブルターニュの管轄に依存していたのである。
ボワ=ド=セネの住民たちは最近まで、ポワトヴァン語のマレサン方言を話していた。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2008年 | 2013年 |
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1377 | 1301 | 1214 | 1251 | 1232 | 1263 | 1535 | 1903 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2004年以降INSEE[3][4]
史跡
[編集]-
リル・ショーヴェ修道院
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教会
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鐘楼
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鐘楼
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モットの頂上にある聖母像
脚注
[編集]- ^ コミューン名をブルトン語で訳すとKoad-Kenegとなるが、歴史的な価値はない。ブルトン語が話されたことはないし、この地ではポワトヴァン語そしてフランス語が話されてきたからである
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=4640
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr