フォックス・モール=ラムゼイ (第11代ダルハウジー伯爵)
第11代ダルハウジー伯爵 フォックス・モール=ラムゼイ Fox Maule-Ramsay 11th Earl of Dalhousie | |
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生年月日 | 1801年4月22日 |
没年月日 | 1874年7月6日(73歳没) |
所属政党 | ホイッグ党 |
称号 | 第10代ダルハウジー伯爵、第2代パンミューア男爵、シッスル勲章士(KT)、バス勲章ナイト・グランド・クロス(GCB)、枢密顧問官(PC) |
内閣 | 第1次パーマストン子爵内閣 |
在任期間 | 1855年2月8日 - 1858年2月20日[1] |
女王 | ヴィクトリア |
庶民院議員 | |
選挙区 |
パースシャー選挙区 エルギン・バー選挙区 パース選挙区 |
在任期間 |
1835年1月6日 - 1837年7月24日 1838年2月13日 - 1841年6月29日 1841年6月29日 - 1852年4月13日[2] |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1852年 - 1874年7月6日[2] |
第11代ダルハウジー伯爵フォックス・モール=ラムゼイ(英: Fox Maule-Ramsay, 11th Earl of Dalhousie, KT, GCB, PC、1801年4月22日 - 1874年7月6日)は、イギリス・スコットランドの貴族、政治家。
経歴
[編集]1801年4月22日、スコットランド貴族ダルハウジー伯爵ラムゼイ家の分流である初代パンミューア男爵ウィリアム・モールとその妻パトリシア(旧姓ゴードン)の間の長男として生まれる[3][4]。
1835年から1837年にかけてパースシャー選挙区、1838年から1841年にかけてエルギン・バー選挙区、1841年から1852年にかけてパース選挙区から選出されて庶民院議員を務めた[4][2]。
1835年から1841年にかけて第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム内閣の内務省副大臣を務めた[3][4]。
1846年から1852年にかけてのジョン・ラッセル卿内閣においては戦時大臣を務めた[4]。1852年2月中にはインド庁長官を務める。
1852年4月に父が死去して第2代パンミューア男爵位を継承し[3]、貴族院議員に列した[2]。
1855年2月に成立した第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル内閣では陸軍大臣を務めた[3][4]。
1860年12月には従兄弟の第10代ダルハウジー伯爵ジェイムズ・ブラウン=ラムジーが子供なく死去したため、代わって第11代ダルハウジー伯爵位を継承した[4]。1861年に勅許を得てモール=ラムゼイに改姓した[3]。
1867年から1870年にかけてはフリーメイソン・スコットランド・グランドロッジ・グランドマスターを務めた[5]。
1874年7月6日に子供なく死去した。彼の死去によりパンミューア男爵位は廃絶した[3][4]。ダルハウジー伯爵位をはじめとするスコットランド貴族爵位は分流の従兄弟であるジョージ・ラムゼイが継承した。
栄典
[編集]爵位
[編集]- 1852年4月13日、第2代フォーファー州におけるブレチン=ネイヴァーのパンミューア男爵 (2nd Baron Panmure, of Brechin and Navar in the County of Forfar, 1831年創設連合王国貴族爵位)
- 1860年12月22日、第11代ミッドロージアン州におけるダルハウジー伯爵 (11th Earl of Dalhousie, in the County of Midlothian, 1633年創設スコットランド貴族爵位)
- 1860年12月22日、第12代ダルハウジーのラムジー卿 (12th Lord Ramsay of Dalhousie, 1619年創設スコットランド貴族)
- 1860年12月22日、第11代キャリントンのラムジー卿 (11th Lord Ramsay of Carrington, 1633年創設スコットランド貴族爵位)[3]
勲章
[編集]出典
[編集]- ^ 秦郁彦編 2001, p. 510.
- ^ a b c d UK Parliament. “Hon. Fox Maule” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年9月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Lundy, Darryl. “Fox Maule-Ramsay, 11th Earl of Dalhousie” (英語). thepeerage.com. 2015年9月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g Walford, Edward (1894). . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 37.
- ^ Heraldic Media Limited. “Dalhousie, Earl of (S, 1633)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年9月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 秦郁彦 編『世界諸国の組織・制度・人事 1840―2000』東京大学出版会、2001年。ISBN 978-4130301220。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Earl of Dalhousie
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 サー・ジョージ・マレー |
パースシャー選挙区選出庶民院議員 1835年–1837年 |
次代 ストーモント子爵 |
先代 サー・アンドリュー・レイス・ヘイ |
エルギン・バー選挙区選出庶民院議員 1838年–1841年 |
次代 サー・アンドリュー・レイス・ヘイ |
先代 デイヴィッド・グレイグ |
パース選挙区選出庶民院議員 1841年–1852年 |
次代 アーサー・キネアード |
公職 | ||
先代 ウィリアム・グレグソン |
内務省副大臣 1835年–1841年 |
次代 シーモア卿 |
先代 リチャード・レイラー・シール |
通商庁長官 1841年 |
次代 ウィリアム・グラッドストン |
先代 シドニー・ハーバート |
戦時大臣 1846年–1852年 |
次代 ロバート・ヴァーノン・スミス |
先代 サー・ジョン・ホブハウス準男爵 |
インド庁長官 1852年 |
次代 ジョン・チャールズ・ハリス |
先代 第5代ニューカッスル公爵 |
陸軍大臣 1855年–1858年 |
次代 ジョナサン・ピール |
戦時大臣 1855年–1858年 | ||
名誉職 | ||
先代 第9代エアリー伯爵 |
フォーファーシャー統監 1849年 – 1874年 |
次代 第13代ストラスモア=キングホーン伯爵 |
先代 第2代メルヴィル子爵 |
スコットランド王璽尚書 1853年–1874年 |
次代 第9代ロジアン侯爵 |
学職 | ||
先代 第2代ブリーダルベイン侯爵 |
グラスゴー大学学長 1842年 – 1844年 |
次代 アンドリュー・ラザフォード |
非営利団体 | ||
先代 ジョン・ホワイト=メルヴィル |
フリーメイソン スコットランド・グランドロッジ グランドマスター 1867年–1870年 |
次代 第4代ロスリン伯爵 |
スコットランドの爵位 | ||
先代 ジェイムズ・ブラウン=ラムゼイ |
第11代ダルハウジー伯爵 1860年–1874年 |
次代 ジョージ・ラムゼイ |
イギリスの爵位 | ||
先代 ウィリアム・モール |
第2代パンミューア男爵 1852年–1874年 |
廃絶 |