ウィングドフットゴルフクラブ

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ウィングドフットゴルフクラブ
ウィングドフットゴルフクラブ
正面エントランス(2006年)
所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州
ママロネック
概要
開業 クラブ創立1921年、ゴルフコース開場1923年
運営 会員制
設計 A. W. ティリングハースト
コース
イーストコース
ウェストコース

その他
公式サイト [1]
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ウィングドフットゴルフクラブ(Winged Foot Golf Club)は、ニューヨーク州ウェストチェスター郡ママロネックにある会員制クラブで、2つの18ホールゴルフコースを持つ。設計はバルタスロールゴルフクラブベスページブラックコースなどメジャー大会が開催されるコースの設計で有名な A. W. ティリングハーストである。

クラブは1921年、ニューヨークアスレチッククラブ (NYAC) のメンバーを中心とした有志により設立された。クラブ名とロゴは NYAC のそれ(翼の付いた足、winged foot)を使用しているが、これら二者に直接の提携関係はない。1923年6月にゴルフコースが開業した。クラブから招待された者のみがクラブメンバーとなることができる。

ウェストコースは7,426ヤードでパー72、コースレートおよびスロープレートはそれぞれ76.4と140。イーストコースは6,808ヤードでパー72、コースレートとスロープレートはそれぞれ73.6と140となっている。ゴルフダイジェスト誌による 2009年 - 2010年米国内ゴルフ場ランキングではウェストコースが8位、イーストコースが65位となっている[1]

2019年に米国国家歴史登録財に指定された。クリフォード・チャールズ・ウェンデンハック設計のクラブハウスと、ティリングハーストが最後に設計したコースであるという点が指定される理由となった[2]

ヘッドプロ[編集]

名前
ダン・マッキー 1923
マイク・ブレイディ 1924–1939
クレイグ・ウッド 1939–1945
クロード・ハーモン 1945–1978
トム・ニーポート 1978–2006
ジョン・バチェク 2006–2009
マイク・ギルモア 2010–

ウィングドフットのメンバーであるトミー・アーマーはメジャー大会に3勝している(1927年全米オープン、1930年PGA選手権、1931年全英オープン)

クロード・ハーモンは1948年のマスターズに優勝して賞金 2,500ドルを得たが、この当時彼はウィングドフット所属のヘッドプロだった。メジャー優勝者のクラブプロはハーモンが最後となった。それ以前は1941年にマスターズと全米オープンの両方を同年に優勝した初めてのプレーヤーとなったクリーク・ウッドが所属していた。

開催されたメジャー大会[編集]

ウェストコースはこれまでに全米オープンが5回、PGA選手権が1回開催されている。イーストコースは全米女子オープンが2回と全米シニアオープンが1回開催されている。

更に全米アマチュア選手権も2回開催している(ウェストとイーストでそれぞれ1回ずつ)。1949年にはウォーカーカップがウェストコースで開催された。

2013年1月、全米ゴルフ協会 (USGA) は2020年開催の第120回目の全米オープンをウィングドフットで行うと発表した[3]。これで都合6回目の開催となるが、それ以上の回数の全米オープンを開催したコースはバルタスロールゴルフクラブオークモントカントリークラブの2か所だけである。

USGA 主催の選手権クラスの大会が行われる際のウェストコースはパーが70に設定される。この設定だと514ヤードの9番ホールはパー4になり、選手権史上最長のミドルホールになる。12番640ヤードのパー5は選手権史上2番目に長いロングホールになる[4]。また、16番ホールは、本来は短いパー5だが、大会では距離を変えずに長いパー4として使用される。その後コース改造が施され、2020年大会では、5番の短いパー5(516ヤード)が、502ヤードのパー4として使用された一方、2006年大会まで長いパー4だった9番ホールが572ヤードのパー5に変更され、大会では565ヤード、パー5で使用された。

オギルビーが2006年の全米オープンに優勝した時のスコアは5オーバーパー、1974年にアーウィンが優勝した時は7オーバーパーであり、近年のメジャー大会においても群を抜いて打数が多い。なお、ジュリウス・ボロスの1963年全米オープン(開催地はボストンのザカントリークラブ)の優勝スコアは293打(9オーバー)で、これが近年における打数及びパー基準のスコア両方の最多記録となっている[5]

大会名 優勝 優勝スコア 2位との差 準優勝 優勝賞金 ($)
2020 全米オープン アメリカ合衆国の旗 ブライソン・デシャンボー 274(-6) 6打差 アメリカ合衆国の旗 マシュー・ウルフ英語版 2,250,000
2006 全米オープン オーストラリアの旗 ジェフ・オギルビー 285(+5) 1打差 アメリカ合衆国の旗 ジム・フューリク
アメリカ合衆国の旗 フィル・ミケルソン
スコットランドの旗 コリン・モンゴメリー
1,225,000
2004 全米アマチュア(a) アメリカ合衆国の旗 ライアン・ムーア英語版 2 up アメリカ合衆国の旗 ルークリスト英語版 なし
1997 PGA選手権 アメリカ合衆国の旗 デイビス・ラブIII 269(–11) 5打差 アメリカ合衆国の旗 ジャスティン・レナード 470,000
1984 全米オープン アメリカ合衆国の旗 ファジー・ゼラー 343(-7)90[6] 8打差(PO)[7] オーストラリアの旗 グレッグ・ノーマン 94,000
1980 全米シニアオープン(b) アルゼンチンの旗 ロベルト・デ・ヴィチェンツォ英語版 285(+1) 4打差 アメリカ合衆国の旗 ウィリアム・C・キャンベル 20,000
1974 全米オープン アメリカ合衆国の旗 ヘイル・アーウィン 287(+7) 2打差 アメリカ合衆国の旗 フォレスト・フェズラー英語版 35,000
1972 全米女子オープン(c) アメリカ合衆国の旗 スージー・バーニング 299(+11) 1打差 アメリカ合衆国の旗 キャシー・アハーン
アメリカ合衆国の旗 パム・バーネット英語版
アメリカ合衆国の旗 ジュディ・ランキン
6,000
1959 全米オープン アメリカ合衆国の旗 ビリー・キャスパー 282(+2) 1打差 アメリカ合衆国の旗 ボブ・ロスバーグ英語版 12,000
1957 全米女子オープン(d) アメリカ合衆国の旗 ベッツィー・ロールズ 299(+7) 6打差 アメリカ合衆国の旗 パティー・バーグ 1,800
1940 全米アマチュア アメリカ合衆国の旗 ディック・チャップマン英語版 11 & 9 アメリカ合衆国の旗 W.B.マカロー・ジュニア なし
1929年 全米オープン アメリカ合衆国の旗 ボビー・ジョーンズ (a) 435(+3)108 23打差(PO) アメリカ合衆国の旗 アル・エスピノサ英語版 1,000(e)

(a)2004年全米アマチュアは、イーストコースとウェストコースの両方を使用。

(b)1980年全米シニアオープンはイーストコースで開催。

(c)1972年全米女子オープンはイーストコースで開催。

(d)1957年の全米女子オープンはイーストコースで開催。

(e)ジョーンズはアマチュアだったので、36ホールのプレーオフで敗れて2位になったアル・エスピノーサが優勝賞金を得た。

1984年(90ホール)と1929年(108ホール)の全米オープンはプレーオフで優勝者が決まった。当時のUSGAのルールでは、プレーオフは18ホール(1984年)と36ホール(1929年)で決定されることになっていた。合計スコアはプレーされたホールの数を反映し、準優勝者とのスコア差はプレーオフ時のものとなっている。

脚注[編集]

  1. ^ America's 100 Greatest Golf Courses 2009–10”. Golf Digest (2009年5月). 2009年8月30日閲覧。
  2. ^ Weekly List 20190614”. U.S. National Park Service (2019年6月14日). 2019年6月19日閲覧。
  3. ^ U.S. Open to return to Winged Foot in 2020”. Golf.com. 2016年3月15日閲覧。
  4. ^ Longest's golf holes in majors”. Golf.com. 2016年3月15日閲覧。
  5. ^ Bonk, Thomas (1997年8月14日). “Return to the Scene of the Crime”. Los Angeles Times. http://articles.latimes.com/1997/aug/14/news/ss-22510 2009年9月12日閲覧。 
  6. ^ 4日間72ホールを終えて両者通算4アンダーパー、276ストロークで並び、翌日の18ホール・プレーオフに突入。
  7. ^ ゼラーが3アンダーパー、67ストロークで回った一方、ノーマンが5オーバーパー、75ストロークと崩れた。

外部リンク[編集]