アレイからすこじま
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アレイからすこじま | |
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所在地 | |
座標 | 北緯34度13分33.4秒 東経132度32分58.3秒 / 北緯34.225944度 東経132.549528度座標: 北緯34度13分33.4秒 東経132度32分58.3秒 / 北緯34.225944度 東経132.549528度 |
開園 | 1985年 |
「アレイ(ALLEY)」は英語で路地を意味し、「からすこじま」は昔呉浦にあった「烏小島」が名前の由来[1]。ちなみに烏小島は当時周囲40m程の小島で大正時代に魚雷発射訓練場として用いるため埋立てられて消滅している[1]。
概要
[編集]海上自衛隊第1潜水隊群司令部のすぐそばにあり、日本で唯一間近で潜水艦を見ることができる公園である[1]。
戦前この地は呉海軍工廠本部と兵器製造所前の岸壁で、切石積護岸は1895年(明治28年)に作られたもの[2][3]。戦後は1956年(昭和31年)まで呉市に進駐したイギリス連邦占領軍が用いていた[3]。呉市が公園として整備したのは1985年(昭和60年)のことになる[3]。
アレイの名の通り護岸沿いに整備された細長い公園で、煉瓦色のインターロッキングブロックが敷き詰められている。潜水艦見学用に突き出したデッキもある[1][2]。また園内には、魚雷積載用クレーン、係船柱など旧海軍が用いていたものをモニュメントして置かれている[1][2]。「旧呉鎮守府兵器部護岸および関連施設」として2009年土木学会選奨土木遺産選定[4]。
海の反対側道路向かいが「昭和町れんが倉庫群」は、旧呉海軍工廠電気部の建造物で、明治30年代(1897年~)に作られたものである[5]。イギリス産のレンガ、基礎には国会議事堂と同じ倉橋島産の御影石が使われた建物もある[6]。呉空襲によって半壊したが、戦後民間の手によって補修され、ダイクレ、呉貿倉庫運輸などの民間会社が工場や倉庫として使用している[7]。2018年9月には、倉庫の1つを利用して観光客相手の商店がオープンしている[6]。
ギャラリー
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夜景。艦艇の夜間照明装飾が行われている。
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潜水艦桟橋の門。
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アレイからすこじまからみた潜水艦桟橋。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “アレイからすこじま、呉の潜水艦や護衛艦に萌えまくる公園”. 広島ニュース 食べタインジャー. 2016年11月26日閲覧。
- ^ a b c “【9】アレイからすこじま”. 呉市. 2016年11月26日閲覧。
- ^ a b c “日本遺産を巡る <5> アレイからすこじま 呉市昭和町”. 中国新聞 (2016年8月22日). 2016年11月26日閲覧。
- ^ “旧呉鎮守府兵器部護岸および関連施設”. 土木学会中国支部. 2018年1月17日閲覧。
- ^ “【10】昭和町れんが倉庫群”. 呉市. 2016年11月26日閲覧。
- ^ a b 呉貿倉庫運輸 れんが倉庫群にショップ開店、呉への思いを形に 物流産業新聞社 2018年11月9日掲載 2019年10月21日閲覧
- ^ “鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~” (PDF). 文化庁. 2016年11月26日閲覧。
交通
[編集]- 広電バス
- 呉探訪ループバス(くれたん)「潜水隊前」バス停下車、徒歩約1分
- 広電バス「潜水隊前」バス停下車、徒歩約1分
- 車
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- アレイからすこじま - 呉市