YXIMALLOO

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

YXIMALLOO(イシマルー)は、日本ミュージシャンである。本名は石丸尚文 (いしまる なおふみ)。アイルランド在住。

経歴[編集]

1970年代後半より活動を開始し、1980年から90年にかけて宅録によるカセットテープの作品を発表していた[1]。その後1990年代には作品群がCD化されている。1990年代中頃に活動を中止したが、現在再び活動を開始している。

本人曰く“九州の片田舎”出身[2]。1970年代、17歳の時にフォーク・ジャンボリーに出演[3]。 大学進学で上京[3]。1975年頃からシュガー・ベイブ細野晴臣松任谷由実キャラメル・ママのマネージメント事務所に入り[2]、コンサートを企画[3]。しかし自身が音楽家として活動するため1年で退職[2]山下達郎の初期ツアーで弾き語りを披露[2]シド・バレット風、キャプテン・ビーフハート「ミラー・マン」風のものをフォークでやっていたという[2]荻窪ロフトを作るのに参加[3]

1981年より本格的にライヴ活動を開始。西麻布の地下にあったニューウェイヴ・ディスコ、青山のクーリー・スクリークなどに出演し、その録音を1983年にカセットでリリース。この最初のカセットは、海外ラフ・トレードにより1000本ディストリビュートされた[3]

1987年、フィラデルフィアの友人のところに居候をしていたイシマルーが、モー・タッカーとツアー中だったジャド・フェアにコンタクトを取り、2本目のカセットを送り[2]、以降、ジャドとテープのやり取りを開始[4]。イシマルーのほとんどのテープのジャケットイラストはジャドが描いている。1987年、1988年、1990年に海外ツアー。1992年に共同名義によるCD『JAD&NAO』をリリース[4]。この音源は1990年の6月と9月に行われたスタジオ録音10曲と、ジャドのこれまでのボツ曲などを組み合わせたもので、全75曲入り[4]。この録音にはダニエル・ジョンストンも誘っていたが、ダニエルの体調が良くなかったため実現しなかった[4]

1990年代に起きたローファイブームにおいて、日本におけるローファイの先駆者として注目された。1995年にはコステスとツアー。コステスはボアダムスのオファーを断ってイシマルーとの共演を選んだ[5]

ディスコグラフィー[編集]

  • ざ わーすと おぶ 一九八一
  • ざ わーすと おぶ 一九八二
  • ざ わーすと おぶ 一九八四
  • ざ わーすと おぶ 一九八六
  • ライブ
  • キッチュ シャーマン
  • テクノ シュライン コアイアー
  • Unpop

出典[編集]

  1. ^ 屋根裏、どどいつ文庫、伊藤ばるぼら、タコシェ、野中モモ、ダブロイド、福井康人 『世界のサブカルチャー』 翔泳社2008年ISBN 4798113581
  2. ^ a b c d e f 『ミュージック・マガジン』1995年4月号、ミュージック・マガジン社、1995年。p110-111「People イシマルー」
  3. ^ a b c d e 『remix』21号、アウトバーン、1993年。p109「ジャドとの共作『JAD&NAO』を発表した石丸尚文インタビュー」
  4. ^ a b c d 『remix』22号、アウトバーン、1993年。p39「キング・オブ・チープ・アヴァンギャルド王、イシマルー」
  5. ^ 『D'artie』2号、TRANSIT D'artie編集部、1996年。p28-33「YXIMALOO INTERVIEW」

外部リンク[編集]