Wikipedia:コメント依頼/Nakata88

利用者:Nakata88会話 / 投稿記録さんの行った差し戻し及び参加姿勢についてコメントを求めたいと思います。出来れば 「ザ・コーヴ」の記事編集に関わりのない方からのご意見をお聞かせ下さい。--Tougo55 2010年11月17日 (水) 08:29 (UTC)[返信]

経緯[編集]

まず、実際の記事「ザ・コーヴ」を見ていただきたいのですが、新参者でも分かるくらいに「中立的な観点」「独自研究は載せない」方針からかけ離れた編集及び出典に基づかない記述が多くみられたため、全ての立場を明確に提示するように心がける必要性を感じ、出来るだけ内容を変えずに表現を修正したり抜け落ちた観点の追加を行いました。その編集に対し、Nakata88さんが繰り返しリバート(差し戻し)を行った件についてコメント依頼をお願いしたいと思います。

問題とする点[編集]

  • 差し戻された後、問題があるならその部分を適切に改めたり対処を仰ぎたい、差し戻しは控えてほしいとお願いしたのですが、保護依頼が出された後にもNakata88さんは再び差し戻しを繰り返されました。
  • 「差し戻し前には熟慮し第三者から見ても明らかな荒らし行為にとどめる」といったWikipediaに書かれてあることを説明しても、この部分はスルーされ、私がバランスを崩す偏った編集を強行しているから差し戻しは当然という主張を繰り返されています。このような考え方では今後も編集合戦となる可能性が強く建設的な対話が全くできない状態です。(Nakata88さんはNPOVを強調されていますが、その中立的観点のポリシーがそもそも守られていなかったから私が編集に参加することになったわけで、NPOVを強調するNakata88さんがこのような問題をスルーしたり、私の編集を批判・攻撃としかみられないこと、差し戻しという一方的な手段で排除するのは個人的な思いが強いからではないかと思われます)
  • 私は初めの編集で問題の部分を一度除去しており、その際Nakata88さんから差し戻しとともに削除で対応するのではなく適切に書き直すか新たなソースを探したらどうかと提案されました。Nakata88さんのご指摘のおかげで、削除ではなく記述を修正するという方向に持っていくことが出来たのですが、当のNakata88さんは私の編集に対し差し戻しという矛盾した行動をとられました(Nakata88さんが私の編集を問題とするなら、同じく私に指摘したような対処を自ら試みるべきではないかと思います)
  • Nakata88さんは修正には限度があると仰っていますが、修正はおろか除去さえ試みないのは考慮に欠けていると思われますし、こちらにしてみれば編集を一方的に妨害されたように感じます。これは私との問題に限った話ではなく、Nakata88さんのこうした参加姿勢は利用者に対して不誠実なもので、今回のように不毛な衝突を招くことに繋がると思います。私には、Nakata88さんからはこの記事を改善しようとする意思が感じられませんでした。

今後について[編集]

私自身の編集が全てうまくできたとは思っていないので、それを正していただいたり指摘を受けて考え直したりしたいのですが、差し戻しという冷静さに欠けたやり方で対処されてしまってはどうしようもありません(明らかな間違いや出典の誤りを訂正した箇所もあり、それらを含め丸ごと差し戻すのはあまりに乱暴です)Nakata88さんには荒い対処方法を続けられるのではなくそうした姿勢を改めていただけないかと思っております。

Nakata88さんのコメント[編集]

わたしも、Tougo55さんについいてコメントを依頼(Wikipedia:コメント依頼/Tougo55) しておきました。なお、この議論は個人攻撃にするべきではなく、ザ・コーヴのノートで展開されるべきものです。コメントをされる方は、ノート:ザ・コーヴ にお願いします。Nakata88 2010年11月17日 (水) 19:36 (UTC)[返信]

Tougo55(依頼者)[編集]

このページは利用者の行為についてコメントを求める場所であり、個人攻撃の場ではありませんし私も全くそのつもりはありません。9月に「合意形成のためのコメント」も依頼し(結果的にコメントはいただけなかったのですが)、その後もノートで合意を目指して対話を続けています。繰り返し私が問題にしているのはあくまでNakata88さんが行った差し戻しという特定の行為に対するものなので、利用者の行為についての方にコメント依頼を行いました。何とか合意形成を目指して私なりに努力してきましたが、最近では私が返したコメントを見てくれているのかと思えるほど会話が噛み合わなくなってきました(私がしていないことまで書き連ねるなど、ノートだけでなく私が行った編集さえまともに見ていないと思われる発言が多い)記事に修正が必要な以上、合意を目指して対話を続けたいと思っています。引き続き当該記事やノートを参照の上、行為に対するコメントをお願いいたします。


【追記】あれから合意形成に向けて対話を継続し、再編集を行う運びとなりましたが、その再編集に対してもNakata88さんはふたたびリバートを繰り返されました。Nakata88さんが問題とする点は全て改善や妥協をして再編集にあたり、事前に『改善の必要なところがあれば編集やノートに提示下さい』と伝えてあったにも関わらずのリバートであること、実際の編集内容や出典を確認もしないで的外れにただ批判するなど、相手にきちんと向き合おうとしない態度が明白にありました。自分が認めない編集は一方的に排除し、維持したい記述にいたっては「残した上で改善するのが当然でしょう」「ソースある記述を削除するな」など言動に全く一貫性がみられないことからも個人的な意図からこの記事に関わり、自身の中立的基準によった独善的ふるまいを繰り返しているものと考えられます。実際にザ・コーヴには修正不可欠な記述が多く含まれていますので、このような編集妨害ともいえる行為を強行するユーザーがいれば記事に必要な修正自体がストップされてしまいます。Nakata88さんのリバートは当然という姿勢は記事の改善にとって明らかにマイナスです。当事者だけではどうにもなりそうにないので、第三者からの対話を望みます。--Tougo55 2010年12月31日 (金) 06:53 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • コメント 「利用者の行為に対するコメント」ではなく「合意形成のためのコメント」とすべき。既に依頼者、被依頼者の相互依頼という形で報復的な行為に出ており、互いに客観的な見方はできないものと思われます。依頼者、被依頼者とも当該記事から一旦離れ、クールダウンされてはいかがでしょうか。--maryaa 2010年11月21日 (日) 23:11 (UTC)[返信]
  • コメント差分を一通りざっと読みましたが被依頼者(Nakata88さん)の編集の方が中立的な配慮がなされていると強く感じました。もし依頼者が自身の編集を中立的と考えているのであれば、その依頼者の観点自体が大きく偏向しているのではと感じます。ノートも少し読みましたが個人的に被依頼者の苛立ちが非常に良く理解できます。もっとも、このような私自身の見解も中立的である保障はありません。しかしながら、このように中立的というのはその実現が非常に難しいものであるからこそ、中立的たるべく内省し、相手との議論を重ねていく手段をとるべきであって、依頼者のように自身の中立性を疑わず、一足飛びに、客観的な瑕疵のない議論相手をコメント依頼にかけるというのは依頼者自身の中立性に対する認識の甘さを自ずから物語っている行為に思えます。--Truesight 2011年1月11日 (火) 13:25 (UTC)[返信]
  • コメント特に問題点は見受けられない。たしかに一見右よりといった感もあるが、そもそも依頼者自身のほうがよほど政治的に中立でないように見える。ノートにきちんとした反論を書いているだけであるのに「コミュニティを消耗させる利用者」呼ばわりするのはいかがなものか?--肉欲獣 2011年1月13日 (木) 04:33 (UTC)[返信]
  • コメントを読ませて頂きましたが、被依頼者の頑な姿勢を感じました。他の記事(南京事件関係、在特会関係、朝日新聞など)での議論なども見てきましたが、非常に偏った記述が見られます。私自身、南京事件関係で議論になった際、突然、「釈明」「自己批判」を求められ、大変戸惑いました。この様なトラブルは、Nakata88さんの関わっている記事で多く見られるのも事実だと思います。--ちゃんこなべ 2011年1月16日 (日) 14:20 (UTC)[返信]
  • コメント私は、Nakata88さんの編集姿勢には右派・保守的な傾向があると感じていますが、それ自体は問題視していません。よく言われるように、左から見たら中道は右ですし、右から見たら中道は左であり、相対的なものでしかありません。ザ・コーヴにおける編集内容についても、この映画の内容自体が相当問題あることもあり、Nakata88さんの編集が偏っているという印象は受けません。問題なのは、意に沿わない部分以外の修正個所もまとめてリバートする編集方針。Nakata88さんの意に沿う記述を維持する場合はソースを不要と見なす、もしくは信頼性・検証可能性に欠けるソースで充分と主張するのに対し、意に沿わない記述の場合はその反対の傾向が見られるということです。--ラッパラー 2011年1月16日 (日) 15:07 (UTC)[返信]
  • コメント(的なもの):各位の表明される考えをざっと見ただけで、ご本人が左派・右派どちらに属するかがよく分かるという一例ですね。ここまで明確なのも珍しい。これでは意見の一致など永遠にないでしょう。喧嘩両成敗と言わざるを得ない。--113.197.140.165 2011年1月19日 (水) 10:38 (UTC)[返信]
  • コメント私は実際に被依頼者と議論して思っていることですが、被依頼者はご自身の主張に反する記述には徹底的に、たとえ出典が示されていてもあげつらうにも関わらず、自分の意に沿う記述はたとえ出典がなくてもとことん擁護するという困った性質をお持ちのようです。こういうダブルスタンダードはよくありません。具体的に樺太朝鮮人虐殺事件では、出典のある事件の記述を改変して、事件が崔吉城らの主張だという趣旨の記述を自身の根拠となる出典もなしに入れようとするくせに、出典のない、事件に否定的な主観的記述をなぜ削除しないのかと聞かれても[1][2]一度は削除すると言いながら[3]、右翼的な記述は消したくないらしく、論点をごまかしてうやむやにしています[4]ノート:南京大虐殺論争では中国の30万人説に科学的根拠がないという記述には出典がないのにも関わらず、それは信頼できる情報源に基づいていると嘯くばかりか、「ソースは探せばいい」などと開き直る始末[5]。あきれるばかりです。思想が右翼だろうが左翼だろうがどうでもいいのですが、検証可能性という基本的なことはよく理解して欲しいと思います。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 11:31 (UTC)[返信]
  • コメントいくつかのノートページで被依頼者を交えて議論をしたことがありますが、思想的な主張が見受けられるのは確かに感じました。がしかし、それと同時にここのコメントで被依頼者を批判している方々の中にも同様の、対立する思想を持って主張していらっしゃるようにも見受けられました。どちらが悪いと断ぜられるようにも思えず、逆に言うとどちらも悪いようにも思えました。両者の冷静な対話が一番望ましいように思います。--はぬまん 2011年1月26日 (水) 08:44 (UTC)[返信]
  • コメントわたしも、個々の編集については批判されるところもあるかもしれませんが、議論の当事者のひとりKanbunさんの樺太朝鮮人虐殺事件の編集については、彼自身の編集が問題があると感じています。とくにソースの出展を不明にしてしまう行為は看過できません。このページにいる方でもコメントをいただけたら幸いです。このままであれば、いずれ、kanbunさんについてもコメント依頼に出そうと思ってます。
  • その他については、個々の問題をこえて具体的問題があれば指摘されたらできるだけ返答しますが、Tougo55さんが編集で見かけなくなってもこの議論を継続していること自体知りませんでした。
  • 気づいていないと思われた場合は、お知らせください。返答はできるものはするつもりですので。
  • 基本的に、ソースの欠如、バランスの欠如について回復する方向でかかわっているつもりですが、総じて、個人的リソースの問題から基本的に今バランスのかけている方向から関与することになりわたしの行為自体がバランスを欠けているように見えるかもしれないという批判だと思います。しかし、これは、記述の結果回復した記事についてバランスがかけていなければ妥当な編集だと私は思っています。記事の、結果が大事です。
  • 総じて、ある程度批判を受ける理由はわかりますし、改善したいと思いますが、花蝶風月雪月花警部さんのような、個々の問題編集の指摘による改善の示唆ではなく、「コミュニティを消耗させる利用者」などと、レッテル張りをされるのであれば、そのような行為には反論しておかざるをえません。花蝶風月雪月花警部さん自身が私に以前、付きまとい行為をされたことがあり、冷静な判断力を時に喪失されてしまう傾向があるため、その思いを強くします。花蝶風月雪月花警部さんには、なるべく冷静に具体的に議論されることを求めます。Nakata88 2011年1月28日 (金) 16:57 (UTC)[返信]
  • いくつかの最近の議論を見させていただきましたが、かなり問題のある議論姿勢と見ます。この直上のコメントを見ましても、検証可能性など各種の方針を出されても、そうした論点を横に流し、完全に無視したまま、とにかくがんばり続けておられるようです。投稿対象のページやその内容および会話ページの情報等を見させていただきますと、在特会への一定の興味(ただの好奇心レベルのものであるのか、または思想的な共鳴を持たれているのか、または会員として各種活動までされている方であるのかまでは存じませんが)、しかしそうした会に象徴される一種の極端な方法で、ウィキペディア上の記事を強引に、(ウィキペディアが目指す方向を越えて)持っていこうと努力をされているよう見ました。こうした編集方法および議論パターンはすでにかなりに長期に渡っているようですが、ぜひ編集方法に一定の変更を加えていただきたいと思います。不毛な部分(ウィキペディアの方針上消すべきでない情報を消そうとしたり、加えようとしたり)して力を浪費されるより、ぜひ記事の作成、または文献を探してくる作業に力を注いでほしいと個人的に思います。--Was a bee 2011年1月31日 (月) 22:35 (UTC)--Was a bee 2011年2月1日 (火) 13:59 (UTC) 謝罪して取り消します。[返信]
  • コメントちょっと上のWas a beeさんのコメントは失礼すぎないでしょうか。『がんばり続けておられるようです。』とかはまだしも、ご存じないことを『(ただの好奇心レベルのものであるのか、または思想的な共鳴を持たれているのか、または会員として各種活動までされている方であるのかまでは存じませんが)』などと、コメント依頼の範疇を超えており、個人攻撃ともとれます。また『不毛な部分(ウィキペディアの方針上消すべきでない情報を消そうとしたり、加えようとしたり)して力を浪費されるより』というようなことを言うのであればきちんと具体的な箇所を挙げるべきかと思いますがいかがでしょうか。--Truesight 2011年2月1日 (火) 13:00 (UTC)[返信]
  • コメント 大変失礼しました。理解が浅いまま一部の情報で判断したようです。まずNakataさんに謝罪して取り消します。再度さかのぼって読んだ上で、コメントさせていただきます。--Was a bee 2011年2月1日 (火) 13:59 (UTC)[返信]
  • コメントイデオロギーの関わる記事においてありがちな議論相手(敵)を封じ込めたいというコメント依頼でしかないように見える。ノートで解決すべきもの。--清涼里588 2011年2月1日 (火) 18:18 (UTC)[返信]
  • コメント Nakata88さんは検証可能性についての方針を知られており、この混沌とした領域の中で、数多くの記事において、長い間それらを使用して議論を行われています。それらにつきまして、議論の単独の節だけを追いますと妥当な主張が多いと思います。ですが、記事記事、情報と情報、トピックとトピックの間を見比べたとき、各節の中でアドホックな形で理由付けをされている、つまり情報を記述する際に必要である出典について、記事・情報ごとに変化があり、そうした変化を通して全体として一定の立場からの編集が行われている点があると見えます。たとえば(恣意的なごく一部の例ですが)こちらではネットに投稿された動画のキャプションを二次資料[6]として扱えるといった主張があると同時に、またこちらでは議論の出ている文献がない・つまり論争があるという状況がまだない中で[7]より厳格な方針の適用を持って扱うべきようにも言われてもいます。もちろんそれぞれの内容は個々のケースで独特の特徴を持っているものでもあり、一定の理解ができますが、結果として要求されるソースの強さやという部分の違いが立場として現れておられるのかと思います。そして(これ自身は全く問題あるものとは思いませんが)それがいわゆる右と言われるような立場からのものであり、親在特会的なもの、となっていると見ました(再度言いますが立場自体は何でも良いです)。この分野自体が非常に混沌とした領域ですので、あまり合理的な編集は難しい所もあるようにも思いますが、要求するソースの厳しさが情報ごとに変化してしまうことは、WP:NPOVに関わってくる問題となってしまうでしょう。--Was a bee 2011年2月1日 (火) 19:06 (UTC)[返信]
  • Was a beeさんは、この現代における暴行事件を報告したケースと[8]、過去の事件の存在を報告したケースの取り扱いが違うとおっしゃってるみたいですが、[9]、これはウィキペディアの原則とおりです。
  • 前者についてはビデオのキャプションが信頼できる二次情報源であり、ビデオ自体は一次ソースです。そして、キャプションを書いているのは、著名人です。また、暴行事件の存在は、多数の人々の言及、対抗集会主催者の自己批判的文書の発表やビデオなどで確認できることなどにより、その存在はよく知られています。
  • これにたいして、後者の事件では、その存在自体が二人の報告者によって世に提起されたものであり、まだ、よく知られていないため、厳格なチェックが必要になることはウィキペディアの記述原則に書いてあることです。
  • したがって、Was a beeさんは、この件についてのわたしへの批判は、ウィキペディアの方針についての無理解によるものだと判断せざるを得ません。
  • もちろん、わたしが間違うこともあると思いますが、その点についての誤解は解いておいてもらいたいと思います。Nakata88 2011年2月14日 (月) 20:16 (UTC)[返信]
  • コメント Nakata88さんとは昨年4月ごろ、ノート:在日特権でお話させて頂いています。その少し前、Nakata88さんはこの記事にパチンコについての加筆をされており、その典拠に『パチンコ無間道(むげんどう)』を挙げていらっしゃいます。この本が漫画であることはオンライン書店で分かりましたが、典拠として挙げているぐらいですので、最近流行の論説漫画のようなものだと思っていました。しかし、現物を確認してみると、普通のストーリー漫画でした。これを知り、正直なところがっかりしました。フィクションを典拠にできないというのは、ウィキペディアのルール以前の問題でしょう。これ以上Nakata88さんと議論をするのは時間の無駄だと思ったため、この件はそれきり返事もしませんでしたが、自分の不勉強をルールの強弁で補うような行為をまだよそでもやっているなら話は別です。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用を改めて御確認頂きたいと思います。また、「在特会のHPを走り読みしたくらいで、嫌韓流も読んだことないですよ(笑)」とのことですが、自分が典拠にしたものぐらいは読んで下さい。よろしくお願いします。--Freetrashbox 2011年2月16日 (水) 12:00 (UTC)[返信]


  • Freetrashboxさんの議論についての批判は、さんざん在日特権の議論で繰り返された論点です。いまだ、その点について御理解いただけていなかったのか落胆してます。
  • 具体的にいうと、在日特権と言う記事では、在日特権かどうかが問題にされているのではなく、在日特権だと主張するソースがあるということが証明対象なのです。したがって、そのような批判が書かれているのであれば、マンガだとしてもソースになるということです。
  • そもそも、記事の冒頭でそう宣言されています。再読ください。Nakata88 2011年2月16日 (水) 12:27 (UTC)[返信]
  • ノートにも書きましたが、パチンコを批判するマンガは、パチンコに対する批判が存在するというソースになります。これは言い換えれば、「鉄腕アトム」というマンガの存在は、ロボットマンガが存在するということの証明にはなるということです。証明対象が批判の存在ですからもちろん、批判があるということの例にはなります。Nakata88 2011年2月18日 (金) 00:44 (UTC)[返信]
  • コメント 先ほど、コメント依頼において、Nakata88さんが行った適切でないリンクを(過去の同名の依頼にリンクしていたため)差し戻した件[10]に端を発する私の会話ページでの言動は、最終的には撤回されたものの、Freetrashboxさん言うところの「自分の不勉強をルールの強弁で補うような行為」と私は見なしております。Nakata88さんは、当該編集の要約が途中で切れて見えなかったと言い訳されています[11][12]が、前述の差分や「コメント依頼の変更履歴」[13]を見れば明らかなようにそのような事実はありません。自分の行った行為に少しでも否定的な対応に対し、即座に「あらしである」等々と抗議される姿勢がこのコメント依頼を含め、他の参加者との会話でも散見されます。『Wikipedia:安易に荒らしと呼ばない』や『Wikipedia:礼儀を忘れない』をよくお読みになり、この点について改めていただきたく思います。--森藍亭 2011年2月16日 (水) 13:27 (UTC)[返信]
  • 切れていると書いたのは最初におこなった、コメントで熟読を求められた内容が不明だった部分です。あとでコメントで触れられている部分です。その部分が切れているのだとおもっていました。
  • 即座に否定的な対応をとるのは、たしかにそのようなケースがあるきがします。ご指摘ありがとうございます。Nakata88 2011年2月16日 (水) 14:21 (UTC)[返信]

コメント被依頼者は自身の記事を維持したいがために意見対立者へのコメント依頼や警告テンプレートの貼り付けなどを多用し、あらゆる手段で排除しようとしているように見られます。またノートでの議論を無視して「強引に編集」→「編集保護」→保護解除され次第、論争があった部分を「ノートでの議論も経ずに編集」→「編集保護」という流れも散見されます。他にも意図的なものかは分かりませんが、たくさんの利用者より再三「プレビュー機能」を使用しての投稿確認を要請されながら、その後も短時間で編集を繰り返し、元の記事から変更された部分が分かりづらくなるなど問題行動が多いように感じます。このままではwikipediaにおける記事の信頼性を大きく損ねることにもなりますので、頭を冷やすために暫く記事編集から遠ざかったほうが良いかもしれません。

参考<依頼者が関わって編集保護となった記事>
アサヒる問題
在日特権
樺太朝鮮人虐殺事件

--kei 2011年2月17日 (木) 12:13 (UTC)[返信]

コメント樺太朝鮮人虐殺事件では、記事本文を読んだ印象だけで出典を確認せずに出典情報を勝手に書き加えています[14]Nakata88氏本人の言うところによると、記事を要約したので出典はそのまま付け加えても構わないそうです[15]。出典を確認せずに出典情報を追加するなど、私には理解できません。この御仁にはウィキペディアの常識というものが通用しないようです。上でFreetrashboxさんがコメントでおっしゃっていることと同様、Nakata88氏は「検証可能性」という言葉を相当誤解していらっしゃるように思います。--Kanbun 2011年2月17日 (木) 19:26 (UTC)[返信]

  • 本文に書かれている内容を、まとめとして、書くのは、ウィキペディアでは相互の版の二次著作権を相互に利用することができることを宣言しているため、その版における、「まとめ」「概要」は、自明に、相互の著作権利用の範疇に入るため(その項目のまとめと宣言してるわけですから要約していることが自明です)、ウィキペディアにおける編集として全く問題がないばかりか、ウィキペディアの従うGFDL的にも問題がありません。
  • GDFLWikipedia:著作権の項目をお読みください。要するにまとめは二次引用だということです。Nakata88 2011年2月17日 (木) 19:35 (UTC)[返信]
出典を確認しないで出典を記載することは出典の捏造です。いくら取り繕おうとしてもこればかりは無理です。なお、Nakata88氏は以前にもWikipedia:井戸端/subj/コメントアウトをしたら削除荒らしと判断された件検証可能性についての無理解と、編集方針の不適切さが指摘されております。--Kanbun 2011年2月17日 (木) 19:38 (UTC)[返信]
  • Kanbunさんの主張は、ウィキペディアの編集の根幹にかかわるため、全面的に反論したいと思います。まず、「出典を確認せずに、本文を参考にまとめを書く行為」、ですが、ウィキペディアではGFDLにより、相互に、二次著作権をみとめあっています。したがって、本文に書かれていることを「まとめ」に書くことは、出典が明示されており(なにしろそのページのまとめ・概要)なのですから、本文を書いた人との間で問題ありません。
  • さらに、まとめが本文と同様の内容である場合、原典との関係で本文が捏造であれば、本文もまとめも捏造になりますし、原典との関係で本文が捏造でなければ本文もまとめも捏造ではなくなります。これは「事実のみで決定」され、二次引用かどうかでは決定されません。
  • したがって、Kanbunさんが本文を参照にまとめているという理由だけで「捏造」だというのは全く根拠がありません。Nakata88 2011年2月17日 (木) 20:09 (UTC)[返信]
上の説明はGFDLを明らかに誤解しているものと思います。ウィキペディアはGFDLのライセンスの元に改変やウィキペディア外での利用が認められているということを意味するのです。GFDLはウィキペディアの自己参照を許容するものではありません。ウィキペディア本文を勝手にまとめて新しい記述を付け加えることはウィキペディアの自己参照に当たります。また出典を確認せずに出典情報を記載するのは出典情報のねつ造です。つまり出典のある記事本文を参照してまとめたあなたの記述に、確認してもいない出典の情報を加えたこの編集は出典の捏造です。--Kanbun 2011年2月17日 (木) 20:56 (UTC)[返信]
  • KanbunさんはGFDLを完全に誤解されてます。GFDLがなければウィキペディアそのものが成り立たないのです。なぜなら、Kanbunさんが編集をされる場合、自分が新しく立てた記事や、まえの編集者の記事を全文削除したような例外的な場合でない限り、Kanbunさんはつねに大規模な引用をしながら、自分の記述を加えることになるからです。それができるのはGFDLで相互に引用を認め合っているからです。つまりGFDLがなければ、ウィキペディアは存立できないのです。Nakata88 2011年2月17日 (木) 21:05 (UTC)[返信]
引用についてNakata88氏には根本的な誤解があるので、これ以上話しても無駄と悟りました。--Kanbun 2011年2月17日 (木) 21:12 (UTC)[返信]
  • GDFL違反は大問題ですので、GDFLに反するとすれば徹底的に議論する必要があるのですが、上記のようにKannbunさんの誤解によると思われます。
  • なお、、まとめが自己参照であるという批判ですが、そもそも「まとめ」なのですから、これはそのページを参照していることが必要になります。そして、その根拠としては、信頼できるソースが本文、あるいはまとめで挙げられています。本文の内容をまとめることはそもそもまとめの目的ですから、ウィキペディアはその記述様式でまとめ部分を当然に記述している以上、問題ないことになります。さらに、信頼できる情報源を本文を参考にあげている場合、それはその情報源自体がソースとしてあがっているのであって自己参照ではありません。
  • さらに、まとめが本文と同様の内容である場合、原典との関係で本文が捏造であれば、本文もまとめも捏造になりますし、原典との関係で本文が捏造でなければ本文もまとめも捏造ではなくなります。これは「事実のみで決定」され、二次引用かどうかでは決定されません。
  • 議論が拡散するため、議論はノート:樺太朝鮮人虐殺事件やることが妥当だと考えます。Nakata88 2011年2月17日 (木) 21:19 (UTC)[返信]
  • コメント2011年2月17日 (木) 19:38 (UTC)に始まる被依頼者とKanbun氏とのやり取りについて、被依頼者は「Kanbun氏の解釈は誤りである」と主張されています。しかしながら、方針文書やガイドラインを読む限り、むしろ被依頼者の論に根本的な誤りがあると言わざるを得ません。根拠として、『Wikipedia:信頼できる情報源#情報源』、『Wikipedia:ウィキペディアへの自己言及』を挙げれば十分でしょう。関連する議論として過去に行われた下記の議論を提示します。
要は、「元記事と同様の内容を書くならば、同じ出典に基づいて書きましょう」ということです。--森藍亭 2011年2月18日 (金) 01:11 (UTC)[返信]
  • コメント樺太朝鮮人虐殺事件に関しては、Nakata88さんとKanbunさんとて長く意見の対立があり、KanbunさんがNakata88さんの望む編集には検証性がないとされるので、Nakata88さんとしてはすでに示されている出典でも問題なく記述できる事ではないか、として文章中に示されている出典をそのまま貼り付けた、というような話の流れだろうと思うのですが、既にある出典を別のところに貼るのが自己言及行為にあたるのかいささか疑問です。まあ確かに記事としては妙な形となりますし苦し紛れのような行動にも見えますが、正直私個人としてはKanbunさんの検証性への主張もやや首のかしげるところがあるので、そもそもわざわざこのような事をせずとも記述が可能ではなかったのかと思えます。出典に関して内容に誤りがあるとKanbunさんからコメント依頼にてご説明いただきまして、その点に関しては改めた方がよいと思います。あとは、Nakata88さんはリバートの応酬がいくつかのページであり、議論での問題解決を優先していただきたく思います。--はぬまん 2011年2月19日 (土) 13:17 (UTC)[返信]
私から言わせてもらいますと、ウィキペディアの常識として、出典を確認せずに勝手に出典を書き加えるという行動は検証可能性の上で明らかな問題行動であると思います。たとえ結果的にその情報があっていたとしても、出典を確認せずに内容をコピーするというのは非常に問題があります。たとえば私は何本か記事を翻訳していますが、歴史に関する外国語記事の一部にも出典を確認すると明らかに内容が間違っていることがあり、また古い文献に基づいていて、邦文文献でも確認できるような明白な誤りを含んでいることも多々あります。したがって、私は翻訳記事においても邦文文献を確認して裏付けを取るか元記事の出典を確認して翻訳していますが、現状のウィキペディアで果たして翻訳記事にどこまで信頼性が確保されているのかという問題は不安を覚えるレベルです。ウィキペディアにとってやはり出典を明示して検証可能なことのみ書き、また検証可能なのですから議論でちゃんと文献に基づいて記事の記述を確認する、そういう地道な作業をすっ飛ばして、そもそも出典を見れば間違えようのないことを故意に偽るという行動を取るのであれば、現在のウィキペディアの編集レベルから言うと適性が非常に疑われると思います。議論において相手が故意に出典を隠していない限り、出典を確認して議論をする、検証可能な文献を相手が持っているのなら、内容について相手と相談して話をする、そういう適切な行動をとるべきです。私は参考文献を所持している旨、Nakata88氏にすでに伝えているのですから、それを知っていてこういう行動を取っているNakata88氏は問題が多いように思われます。--Kanbun 2011年2月19日 (土) 13:47 (UTC)[返信]

コメント被依頼者は、自身にとって都合の悪い発言に対して逐一反論していたり、意見対立者の個人ページへの執拗な書き込みなど[16][17][18](他にもありますが、過去ログ化されているものもあるので差し控えます。) を見て分かるように、他者の意見を受け入れようとする姿勢が少ないように見えます。これは編集作業においても同様で、被依頼者は「意見交換」や「合意形成」を目的とせず、持論を押し通すことのみに力を注いでる表れではないかと感じます。尚、本件とは関係ないにも関わらず「在日特権で、パチンコの記述を削除することを非常に強行に主張されている」と事あるごとにレッテルを貼ろうとされてます(こういった細かい部分も問題でしょう)が、「在日特権」のページは問題の部分が多いので、思い当たるところは全て手を入れていく考えです。本音を言えばパチンコ節の合意形成だけで非常に時間がかかって疲れてしまったので、いずれ気持ちを充電後、環境が整えば他の問題提起もする予定です。--kei 2011年2月18日 (金) 15:21 (UTC)[返信]

  • コメント 在日特権のノートでの議論はkeiさんの側に問題があるように思えます。”主張の存在”の記述と”特権の存在”を意図的に混同しているのがkeiさんと思われるからです。当該事象を”特権”と認める出典があるのであれば、少なくともその事実関係を書くのは問題ないと思います。別の話になってしまうのでここでこれ以上詳細にここでコメントするのは差し控えますが当該ページの状況によってはいずれ議論に参加させていただくかもしれません。--Truesight 2011年2月19日 (土) 02:13 (UTC)[返信]
提示するソースだけでは記載要件を満たさないものや、その主張そのものが無いケースが多々あり、私以外にも複数の参加者より批判されています。また、漫画本まで情報ソースだと言い張るのが良くて私に問題があるとされるのは、編集方針が似通っていることで何らかの親近感を感じ、とにかく被依頼者を擁護したいという姿勢しか見えないように感じてしまいます。あとここで私の批判をするのは見当違い過ぎるでしょう。--kei 2011年2月22日 (火) 15:54 (UTC)[返信]
「編集方針が似通っていることで何らかの親近感を感じ」たから被依頼者を擁護した訳ではありません。件の記事ではKeiさんよりもNakata88さんの論じている内容のほうが遥かに客観性が高いと評しているからこそ上のkeiさんの見当違いな批判を見過ごせなかっただけです。勿論、委細全てNakata88さんが正しいとはいっておりません。わたしの総合的な評価としてはそうだということです。--Truesight 2011年2月24日 (木) 13:29 (UTC)[返信]
  • コメント 会話ページにメッセージいただきましたので、再度コメントいたします。自分が追加したい情報であれば、ネット上の動画の中の情報でもマンガに書かれた情報でも何でも使われながら、消したい情報であれば学術書でも論文でも不十分として退ける。そしてその場その場で、そうした事を可能とするための解釈を作り上げる。これは一つの例でしかありませんが、こうした種類の取って付けた形の論法を用いた議論の長期化を今も様々なページのノートで現在進行形で継続されているようであり、長期的に見させていただいている限り、そろそろはっきりとした対応を行う必要があるのではないかと感じます。--Was a bee 2011年2月24日 (木) 21:08 (UTC)[返信]
  • 「自分が追加したい情報であれば、ネット上の動画の中の情報でもマンガに書かれた情報でも何でも使われながら、消したい情報であれば学術書でも論文でも不十分として退ける。そしてその場その場で、そうした事を可能とするための解釈を作り上げる。」と私について書かれていますが、 これは、場合によると思います。学術書でも関係なければソースになりません。漫画でも批判の存在証明にはなります。パチンコの批判があるというソースにパチンコ批判の漫画は当然なります。Was a beeさんは、漫画の価値を否定されたいようですが、表現形式にそれほどの本質的な違いないです。ある記述がソースになるかは十分な議論が必要です。一般的にソースだけですべての証明になるというような、万能ツールはありません。論証対象との関係でソースになるかどうかが決まるからです。Nakata88 2011年2月25日 (金) 21:28 (UTC)[返信]
  • 要約ができるのはGDFLに基づきます。Kanbunさんも多くの人も出展を確認せずに追記できるのもGDFLに基づいているからです。Kanbunさんはわたしにすべての出典を調べろとおっしゃっていることになりますが、ご自分はすべての出典を調べられているのでしょうか?Nakata88 2011年2月25日 (金) 21:03 (UTC)[返信]
私はNakata88氏に出典をすべて確認しろなどとは一言も言っておらず、そういう趣旨でないことはすでに当該ノートで二度にわたって確認しています(1回目2回目)。GFDLは検証不可能な記述を記載するための免罪符にはなりません(ずっと気になっているのですがGDFLというのはGFDLのことですよね。被依頼者は諸処でGDFLと誤っているのだが、そろそろ正しく言って欲しい)。--Kanbun 2011年2月26日 (土) 12:51 (UTC)[返信]
  • コメント Nakata88さんの行動に納得できない点が多々あったため、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Nakata88を提出しました。--Freetrashbox 2011年2月26日 (土) 01:39 (UTC)[返信]
  • 依頼対象者が無期限ブロックとなりましたので終了を提案します。--113.197.238.77 2011年3月5日 (土) 03:18 (UTC)[返信]
    • コメント 被依頼者は無期限ではなく定めのないブロックです。意味は同じみたいですが、ブロック解除されるのは、難しいとはいえますが、場合によっては早期に解除される道はあります。そこらへんの手続きはご本人さんがされることなので、とやかくはいえません。ただブロック依頼が104,693バイトという史上最大の記述量になったのは、被依頼者が反論されたためですが、こちらで反論をされていたらならば、流れも違っていたのかもしれません。ある意味、結論が出てしまったといえるので、終了も致し方ないでしょう。--Sky Wing Sky 2011年3月5日 (土) 12:57 (UTC)[返信]
期間が定まっていない=無期限です(無期停学・有期停学という言葉もあるでしょう?)。--220.100.68.5 2011年3月7日 (月) 08:00 (UTC)[返信]

まとめ[編集]

終了 対象者が無期限ブロックとなりましたので終了します。--220.100.55.24 2011年4月26日 (火) 05:46 (UTC)[返信]