Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/皇族の身分を離れた人物の記事名について

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論点整理[編集]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/呆庵入道にて論点整理の要望がありました。以下の二つの意見が対立しています。

  • 1889年2月11日の旧皇室典範裁定以降に皇族の身分にあった者で、その後皇族の身分を離れた者の記事名は一律皇族の身分を離れて以後の姓名とするべき。
  • 一律皇族の身分を離れた後の姓名をもって記事名とすべき根拠が示されておらず、むしろ記事内容に合わせて皇籍離脱前後いずれかの適当な名を記事名とすべき。

現時点で前者への賛同者は提案者のみです。--Jms 2008年6月7日 (土) 03:10 (UTC)[返信]

議論finish提案。提案に対する賛同者なく、議論のための議論となっている。提案却下、でfinishとすべき。--アダモステ 2008年6月9日 (月) 18:31 (UTC)[返信]
論点整理の場で新たな提案は不適切だと思います。--Jms 2008年6月9日 (月) 20:32 (UTC)[返信]

議論[編集]

標題のことについて、下記のとおり統一基準を定めることを提案します。

  1. 1889年明治22年)2月11日裁定の皇室典範が定められて以降に皇族の身分にあった者であって、
  2. その後、皇族の身分を離れた者の記事名については、
  3. 一律に例外なく、皇族の身分を離れて以後の姓名をもって記事名とする。
附則:当基準について合意がなされた時点ですでに存在し、記事名が当基準に抵触している記事は可及的速やかに一括して改名作業を行う。

現状では本件のような記事名の命名方法について統一基準が存在せず、事実上編集者の恣意的判断に任されています。混乱回避のため、統一性・整合性を確保する必要があると考え、提案いたします。

第1条で皇室典範の下で皇族であったものに対象を限っているのは「皇族とは何か」という根本的な問題について、前提が共有されているのがこの範囲の皇族に限られると考えるからです。1889年の皇室典範の制定は、それ以前には流動的だった、皇族というものの性格・範囲・社会的位置づけを明確にした歴史上最大の画期であったと言えます。そして、このとき確立した「皇族とは何か」についての理解は、現在までほぼ不変であると考えます。

逆に、これ以前の「皇族」については、まず「皇族とは何か」という“そもそも論”から入る必要があります。臣下出身の后妃・女院は死ぬまで父の氏を名乗り続けるけれども、それでも皇族と言えるのか。天皇・皇族の妻妾のうち、どの範囲までを皇族とするのか。皇后はどうか。妃はどうか。夫人はどうか。嬪はどうか。女御はどうか。更衣はどうか。東宮御息所はどうか。准三宮は皇族なのか。白川家の当主は皇族なのか。鎌倉時代や室町時代に王氏爵にあずかって叙位された者は皇族なのか。伊勢使王に任ぜられた地下官人は皇族なのか。六世王、七世王であって氏を名乗らず王号を称し続けた者は皇族なのか。親王や王が臣下の養子や猶子になった場合はどうか。これは必要なら別にサブページを立てて議論すべき問題です。ここで論ずべき問題ではありません。

第2条は、標題をそのまま引き写しただけの当然の規定です。

第3条の「一律に例外なく」というのは、第1条・第2条に該当する者は100人を少し越えるくらいの数ですが、ざっと見回したところ、わざわざ例外規定や特例を設けて「この場合はこう、その場合はまたこう」というかたちでさらに細分化したカテゴリ分けをする必要はないと考えられます。皇族の身分を離れるにあたっての事情や理由、皇族の身分を離れたあとの後半生などに、他の元皇族と区別して例外的な記事名をつける必要があるような、Wikipediaの記事としてなんらかの特筆性を持った人物は見当たりません。ほぼ全員が「かつて皇族であって、その後皇族の身分を離れた」ということ自体が、その人物の記事において最大のトピックであると考えられます。統一性・整合性を最優先すべきだと考えます。

皇族の身分を離れて以後の姓名をもって記事名とするのは、それがもっとも正確性の高い記事名であると考えられるからです。また、社会通念として「現在皇族である者」と「かつて皇族であった者」との峻別はきわめて厳密に行われています。後者はあくまでもただの民間人です。その意味で、たとえば元皇族と元華族のあいだに大差はありません。

附則の改名作業については、リンクの修正、残骸となったリダイレクトページの削除なども含めて、私自身で行いますので、みなさんのお手をわずらわせることはありません。

以上、ご審議をお願いいたします。--呆庵入道 2008年3月23日 (日) 06:52 (UTC)[返信]

(コメント)改名も結構ですが、記事で残さなくてもよい人物も含まれてる気がするので、その人物の記事の削除も含めて考えてはどうでしょうか。皇族だから必ず記事にしなければいけないわけでもないでしょうし。あと、この提案には賛成も反対もしません。--巴投 2008年3月27日 (木) 04:35 (UTC)[返信]
記事内容に皇族の身分を離れた後の事が含まれないのに、記事名は皇族の身分を離れて以後の姓名というのは、一般読者には著しく理解しがたく、WP:NCが最重要とする「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」に反すると思います。皇族の身分を離れて以後の姓名を記事名とする記事は、皇族の身分にあった頃の内容を実質として含むべきではないと思います。記事名は、記事内容を適切に表したものであるべきで、それ以外の基準による命名は可能な限り避けるべきだと思います。その意味で、記事の内容によらない一律規定は不適切だと思います。このことは、皇族の身分であった時代を記述する記事と、皇族の身分を離れた後の記事に異なる記事名を与えて分離記述することを排除するものではないのはもちろんですが、皇族の身分を離れた後についてウィキペディアの単独記事とするに足るものがあるかどうか疑問であるというのは、第3条についての説明で御指摘の通りだと思います。以上より、皇族の身分にある頃を主題とする記事である限り、皇族の身分を離れて以後の姓名を記事名とするべきではないと思います。--Jms 2008年3月27日 (木) 10:57 (UTC)[返信]
(コメント)法人・団体のような「無生物」であれば、たとえば「警察庁」の記事と「警察庁刑事局」の記事、「フジテレビ」と「フジテレビのドラマ一覧」のような記事はあってもいい。また「人間」についても「ザ・ドリフターズ」と「志村けん」の記事、「作家某」と「作家某の小説一覧」の記事は併存してもいい。でも一人の人間に複数の記事を作るのは「人間の平等・公平性」から考えて、ダメなんじゃないだろうか。「加山雄三」と「弾厚作」、「ピーター」と「池畑慎之介」、そういうのを二つの記事として作るというのは、(すいませんウィキペディアの方針でうまく探せないので一般論で言いますが)方針とかそういうこと以前の「基本的人権」的な観点で、ダメじゃなかろうか。--無言雀師 2008年3月27日 (木) 11:17 (UTC)[返信]
どの部分に対するコメントでしょうか、もしわたくしが書いた部分についてなら、読み間違えがあるのではないかと思いますが…。--Jms 2008年3月27日 (木) 11:24 (UTC)[返信]
記事名を与えて分離、という部分が貴殿の本体的なご趣旨でなく例示の一部であることはわかっておりますので、本質的な部分への異論ではありません。。ただ、「分離」が「東久邇宮稔彦王」と「東久邇稔彦」の併存であれば容認できない、ということを言いたかったのです。たとえば「昭和天皇」から節を分離して「昭和天皇の摂政時代」のように「人物と時代」なら併存ありで、前掲の「作家の小説一覧」みたいな感じでイイけど、直接的な併存である「昭和天皇」と「摂政宮裕仁親王」なら「人物と人物」だからダメじゃないだろうか、と言いたかったんです。--無言雀師 2008年3月27日 (木) 11:37 (UTC)[返信]
なるほど、しかし、併存の可否も記事内容によると思います。たとえば、ある個人 X が、「A山B夫」という名前の彫刻家として活躍し、かつ「C川D子」という名の作家として活躍していて、それぞれについて単独の記事たるに十分な量があり、それら以外の「X」という名の記事でなければならない部分が百科事典的には皆無であった場合、あるべき記事は「A山B夫」と「C川D子」であって、決して単一の「X」なる、ほとんど知られてない名前での記事ではないでしょうし、相互参照は「作家C川D子と同一人物」「彫刻家A山B夫と同一人物」で十分な筈です。従って、「人物と人物だからダメ」ということはないと思います。結局は、記事としてどういう対象が適当か、その上で、その記事の内容を最も適切に表す記事名は何だろうか、ということでしょう。内容優先であるべきです。--Jms 2008年3月27日 (木) 11:48 (UTC)[返信]

一般論としては、Jmsさんの仰せのとおりだと思います。ただ、本件提案は、「かつて皇族であってその後皇族ではなくなった者」という非常に狭く限定された範囲内での話なので、あくまでその枠組に沿って話を進めたいと思います。

要するに、問題の核心は、同一人物に2つの名前がある。それもいずれかが筆名でいずれかが本名だというのではなく、いずれも本名である。記事名としてはいずれかひとつを選ばなければならない。どちらを選ぶべきか。そういうことです。

何かしらの基準が必要なのはまちがいありません。たとえば、東久邇盛厚と東久邇成子という夫婦がいます。2人とも生まれながらの皇族です。2人とも、皇族としても民間人としても、これといった顕著で著名な事績を残したわけではありません。ごく平凡に生まれ、成長し、結婚して、1947年10月14日に夫婦揃って皇族の身分を離れ、その後も平凡に生活して子女を生み育て、平穏に亡くなりました。両者の記事を読み比べても、特に特筆すべき差異があるわけではありません。しかし、現在、夫の記事名は「盛厚王」であり、妻の記事名は「東久邇成子」です。何かしらの基準がなければ、このような混乱と無秩序は温存され、再生産されます。Jmsさんのご意見を実践していけば、そのような状態はいっさい改善されません。

記事の内容に応じて記事名を定める。まったく正論ですが、言うは易く行うは難いことでもあると考えます。記事の内容と一口に言っても、量的な比較と質的な比較があり得ます。

本件で議題としている元皇族たちの場合、皇族時代の事跡は、公私にわたって生活のすみずみまで宮内省(当時)の管理下にありますから、さまざまな公文書にその動静が残ります。皇統譜への記載、官報での告示、枢密院や皇族会議での審議の議事録など。政府高官や宮中関係者の日記や回顧録にも残ります。新聞もその動静を追いかけて詳細に報じます。史料が豊富に残る。そしてその多くは公刊されます。宮内省自身も『皇室制度史料』『明治天皇紀』などをまとめていますし、残った史料を使った出版物は無数にあります。もしもその人物が男性で、職業軍人として栄達した者であれば、さらに軍歴という材料が加わります。これも、旧軍や防衛庁が詳しく記録を残しており、民間の研究者や愛好者による調査も広範に行われていて、無数の出版物にまとめられている。それは図書館に行けば簡単に閲覧できる。特に専門家というわけではない一般のウィキペディアンにも容易に情報として入手でき、Wikipediaの記事に反映させることができます。

皇族の身分を離れたあとの事情は一変します。宮内庁もいちいちその動静を管理することはありません。犯罪や事件、スキャンダルを起こしたり、それに巻き込まれたりしない限り、一民間人としての平穏な生活とプライバシーを尊重して、新聞などのマスコミも相手にしません。専門の歴史学者やジャーナリストが仕事として取り組むのでなければ、詳細な調査は難しい。いきおい記事は断片的なものになりがちです。

このような前提の違いを無視して、単に記事のバイト数だけで「内容」を比較するのであれば、皇族であった時期の記事の量のほうが皇族ではなくなった時期の記事の量よりも多くなるのはあたりまえです。しかし、このような比較はナンセンスです。ほとんどの元皇族の記事において、皇族だった時期の事跡なるものは、家族構成と閨閥、軍人としての履歴の無味乾燥な羅列に過ぎないからです。「歴史はしょせん暗記科目だ」と嘲笑する連中に恰好の材料を提供するだけの記事です。皇族ではなくなったあとの時期の事跡は、当然少なくなるでしょうが、それだけに逸話としてはおもしろく、質的な価値は高いのではないでしょうか。何よりも、たとえば「1947年10月14日に皇族の身分を離れた」という一文のみで、皇族としての履歴をだらだら羅列しただけの長文の記事を根こそぎ吹き飛ばすだけの深い意味と重大性を持っているはずです。

ひとりの人間の記事に2つの記事名を付けるわけにはいきません。いずれにせよどこかに線を引かなければならないのです。どうせ線を引かなければならないのなら、なるべく客観的で、なるべく正確で、なるべくぶれの少ない線であるべきです。本件提案は、この要請を満たします。「内容優先」というのは、要するに「何も決めない」のと同じことです。各編集者の恣意に任せて、混乱した現状を放置せよ、というのと同じです。

一律で例外のない基準を定めることこそ、「Wikipedia:記事名の付け方」の言う「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という条件を満たすものであると信じます。そして、本件提案の基準は、「正式な名称を使うこと」というガイドラインの要請にも合致するものです。すべての元皇族にとって、皇族の身分を離れたあとの姓名はまがうことなく戸籍上の本名であり、その名で以って世に知られたものであるからです。

付け加えるなら、本件提案の親ページである「Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族」でのこれまでの数年間の議論では、わかりやすさよりも正確さを重視する議論が基調になっており、本件提案もその路線を引き継いでいるものであることを申しあげておきます。皇太子妃殿下の記事名は「徳仁親王妃雅子」であり、三笠宮妃百合子さまの記事名は「崇仁親王妃百合子」です。はっきり言ってわかりにくくなじみの薄い記事名です。しかし完璧に正確です。皇族の記事においてはそのような要素を考慮する必要があることも指摘しておきたいと思います。--呆庵入道 2008年3月30日 (日) 11:17 (UTC)[返信]

途中から論旨がおかしくなっているような気もしますが、ほとんどの旧皇族が皇族時代とその後のどちらにも特筆すべき活動をしていないならば絶対に有名であるほうが記事名となるべきでしょう。薀蓄を増やすのは良い考えだと思いますが、「記事名から宮をとればその後の薀蓄が増える」というような論理には反対です。少なくとも経歴などを除いて皇族時代よりそれ以後の記述が多くなった人物については個別に改名すればよろしい。東伏見慈洽はまさに呆庵入道氏の言うとおり、「皇族以後」も充実しているから記事名に反映されているのでしょう。私には東久邇宮稔彦王‎を改名すれば「その後」の薀蓄が増えるとは到底思えません。彼と大多数の旧皇族にとって間違いなく皇族時代の名のほうが「曖昧でない、理解しやすい名前」でしょう。
しかしながら例として挙げられている盛厚王の改名についてはおやりになってもよいと思います。短い記事ではありますが、「皇族以後」のが長い記事です。こういった判断に経歴の羅列や概説部分を加えることのおろかさは呆庵入道氏の言うとおりだと思いますよ。
まあそもそもたかが数十人の記事の名称をもってして(しかも今後増えることはありえない)混乱状況にあるというのが恣意的な見方なような気もしますが。--R-H 2008年3月30日 (日) 14:14 (UTC)[返信]
旧皇族に対する記事名の指針作りは必要だと思いますし、基本的に提案に賛成します。「XX宮xx王」「yy王」「XXyy」が乱立するのは、記事を立てるときにも迷いますし不便だからです。記事名を個々にノートで提案・議論・合意を経て改名するには、対象者が多過ぎると思います。
全ての旧皇族及び血縁者に対する記事が必要だとは思いません。例えば「肇子女王」の場合、今上天皇の有力なお妃候補であったこと以外、特記すべき事項がないからです。さらに彼女は、今上天皇・皇后関連の書籍の中では「北白川肇子」として紹介されることも多く、決して旧名の方が知名度が高いとは言いがたいものがあります。
しかし、イメージとして高年齢に達してから皇籍離脱した人物は、皇族としての印象の方が強いと思いますし、皇族としての情報を求めて検索する人もいるでしょう。ですから、附則として例外を認める旨を併記するというのもアリかと思います。桜の国 2008年3月31日 (月) 05:49 (UTC)[返信]
論旨を誤解されてしまったようなので急いで訂正しておきます。私は「記事名から宮をとればその後の薀蓄が増える」などとは毛頭考えていませんし、一言も言っていません。むしろ逆です。これはもちろん極論で、たとえ話として申しあげるのですが、たとえば、皇族だった時期の記事が100メガバイトあって、皇族の身分を離れてから時期の記事が100バイトしかなくても、それでもなお、元皇族の記事名は、皇族の身分を離れてからの姓名を採るべきだ、というのが私の主張の主旨です。紙の百科事典ならば、特定少数の編集者が、一定の締め切りを決めて原稿を書き、ある期限が来たら印刷にまわして完成となりますから、記事の分量に応じて、というのは、ある程度は意味のある基準になるでしょうが、Wikipediaは不特定多数の編集者が半永久的に執筆し続けるわけですから、記事の分量に応じて記事名を決めようというのはなんの意味もない、ナンセンスだ、と言いたいのです。その論理では、記事量の増減に応じて記事名が常時猫の目のように変転する、ということにもなりかねません。また「有名かどうか」という基準も客観性や正確性に欠けるものです。まさにそれは主観的な「印象」でしかないからです。繰り返します。どうせどこかに線を引かなければならないのであれば、それは、なるべく客観的で、なるべく正確で、なるべくぶれの少ない線であるべきです。「元皇族の某氏は、皇族であった時期と皇族の身分を離れてからの時期とどちらが有名だったか」などという不毛な論争は、未然に防止する措置を採るべきですし、編集者が新たに記事名を付けるときにどんな記事名にするか迷う余地はなるべく少ないものであるべきです。--呆庵入道 2008年3月31日 (月) 12:13 (UTC)[返信]
「Wikipediaは不特定多数の編集者が半永久的に執筆し続けるわけですから、記事の分量に応じて記事名を決めようというのはなんの意味もない、ナンセンスだ」、という主張は受け入れられません。記事の内容を反映しない記事名になり得、更に悪いことに、その場合に改名する事を排除する論理だからです。不特定多数の編集者が半永久的に執筆し続けるからこそ、記事の内容と記事名は整合していなければなりません。なぜなら、記事名が記事内容を執筆する上での暗黙の指針を与えるからです。「その論理では、記事量の増減に応じて記事名が常時猫の目のように変転する、ということにもなりかねません」というのは杞憂だと思います。それが起こり得るのは、記事名が内容と解離しているか、あるいは、項目のたてかたにそもそもの問題がある場合でしょう。実質的に皇族の身分の時の内容しかないのに、いついつ皇族の身分を離れて某という名前になった、という一文があるがゆえにその某を記事名にするというのは、一般読者には理解しがたいものでしょう。あくまで、読者あっての百科事典です。--Jms 2008年3月31日 (月) 20:16 (UTC)[返信]

一般読者の観点を問題にするのであれば、ますます記事の内容、それも記事の質でなく量で記事名を決定しようという論理はナンセンスなものになります。そもそも、Wikipediaの記事に手を加えようなどと考える人は、その時点ですでに「一般読者」ではありません。「愛好者」とか「好事家」とか「マニア」とか「オタク」とかに分類される種類の人間です。それが社会通念というものです。そういうわれわれが「一般読者」の観点でモノを論ずるのは無理というものです。一般読者というのは、まず「東久邇稔彦?誰それ?」という反応を示す人のことを言うのです。そういう人々の存在を念頭に置くのであれば、記事の質こそ問題にされるべきです。東久邇稔彦であれば、GHQの民主化方針についていけず首相になってわずか54日で内閣を投げ出したという逸話があります。朝香鳩彦であれば、南京大虐殺の現場に軍司令官として居合わせながら惨劇を防止できなかったという逸話があります。北白川房子であれば、夫の運転する自動車に同乗していて事故に遭い夫は即死し自身は重傷を負ったという逸話があります。しかし、そういうものをいくら積み重ねても「1947年10月14日に皇族の身分を離れた」という一文で根こそぎ吹き飛びます。彼らは「一般読者」から見れば、単に“11宮家51名”として十把一からげ、一山いくらで扱われるだけの人物です。1947年の皇籍離脱が人生最大のトピックとして世に知られている人物です。繰り返します。問題は記事の量ではありません。質です。いまそこにある記事の文面のバイト数ではなく、その記事が記述し描写しようとしている対象そのものが記事名を規定するべきです。元皇族の記事の記事名として、その人物の本質を最もよく表現するのは元皇族としての姓名です。皇族としての名ではありません。記事名が記事内容を執筆する上での暗黙の指針を与える、というのであれば、ますますもって現状の記事の内容がかえって将来の記事の内容を拘束するような論理は採るべきではないと思います。「ページの編集は大胆に」です。--呆庵入道 2008年4月1日 (火) 13:23 (UTC)[返信]

提案に賛成出来ません。理由については現時点ではJmsさん、桜の国さん、R-Hさんの意見に賛成です。--Kliment A.K. 2008年4月1日 (火) 14:58 (UTC)[返信]
お三方のご意見は三者三様かと私には思われます。Kliment A.K.さんの反対理由が私にはわかりません。--呆庵入道 2008年4月2日 (水) 11:55 (UTC)[返信]

内閣総理大臣一覧によれば、首相であったのは東久邇宮稔彦王であって、東久邇宮稔彦という首相は存在しなかったと思います。「その記事が記述し描写しようとしている対象そのものが記事名を規定するべきです」という表現の意味することが、呆庵入道さんとわたくしとでは異なる様です、というのは、この表現には (対象、というのが何を指すのかを留保した上で) 概ね同意できるのですが、結論が全く異なるからです。「元皇族の記事の記事名として、その人物の本質を最もよく表現するのは元皇族としての姓名です」の論拠を示してください、なぜ一律そう言えるのか、わたくしにはわかりません。「皇籍離脱が人生最大のトピックとして世に知られている人物」の記事は、離脱前の名称が適当な場合だと考えます。なお、わくしは「一律」に反対しているのであって、皇籍離脱後の名を記事名とした方が良い場合と、そうでない場合があると考えています。「一般読者」については、当該分野について執筆していなければ、執筆経験があっても一般読者に準じて考えてよいと思います。--Jms 2008年4月1日 (火) 15:27 (UTC)[返信]

なぜおわかりいただけないのか、私にはわかりません。元皇族の記事の記事名として、その人物の本質を最もよく表現するのは元皇族としての姓名である、と私が断言する理由は、きわめて単純かつ明快です。元皇族はどこまで行ってもあくまでも元皇族なのであって、結局のところ皇族ではないのだ、というその一点に尽きます。皇族は皇族として記し、元皇族は元皇族として記す。それはごく自然なことだと私は考えます。しかも、曖昧でもなく、わかりにくくもなく、不正確でもありません。--呆庵入道 2008年4月2日 (水) 11:55 (UTC)[返信]
>お三方のご意見は三者三様かと私には思われます。Kliment A.K.さんの反対理由が私にはわかりません。
仰る通り三者三様です。ですがその三者三様ともに、反対意見の方に説得力が感じられるという事です。
>記事内容に皇族の身分を離れた後の事が含まれないのに、記事名は皇族の身分を離れて以後の姓名というのは、一般読者には著しく理解しがたく、WP:NCが最重要とする「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」に反すると思います。Jmsさんによる)
>私には東久邇宮稔彦王‎を改名すれば「その後」の薀蓄が増えるとは到底思えません。彼と大多数の旧皇族にとって間違いなく皇族時代の名のほうが「曖昧でない、理解しやすい名前」でしょう。R-Hさんによる)
>イメージとして高年齢に達してから皇籍離脱した人物は、皇族としての印象の方が強いと思いますし、皇族としての情報を求めて検索する人もいるでしょう。ですから、附則として例外を認める旨を併記するというのもアリかと思います。桜の国さんによる)
桜の国さんにも私が賛意を示している事で分かりますように、私は全ての記事について現状維持を主張するものでは毛頭ありません。何人かが仰っておいでですが、個別の記事については改名が適当な場合もあると思います。しかし「統一的な指針に則って全て一律に規則を作る」というのには賛成出来ませんし、そこまでのメリットを感じないという事です。それと、
>皇族は皇族として記し、元皇族は元皇族として記す。それはごく自然なこと
とのお話ですが、そうそう簡単な話でもありません。まず、この点が全然私の理解し難いところです。
ニコライ2世アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)アレクセイ・ニコラエヴィチ (ロシア皇太子)オリガ・ニコラエヴナ (ニコライ2世皇女)ペータル2世 (ユーゴスラビア王)コンスタンティノス2世 (ギリシャ王)など、退位させられたり銃殺されたりした人物であっても、皇族たる身分を示す称号が記事名に付されているケースは海外の王侯の記事ではごく一般的です。--Kliment A.K. 2008年4月2日 (水) 12:14 (UTC)[返信]
ニコライ2世につき補足ですが、ツァーリでなかったニコライ・ロマノフは居なかったのですから、もし元皇族は皇族名を用いない事とするというのであれば、「2世」すら要らないだろう、という事です。あくまで君主としてのニコライ「2世」なのですから。--Kliment A.K. 2008年4月2日 (水) 12:17 (UTC)[返信]

「元皇族はどこまで行ってもあくまでも元皇族なのであって、結局のところ皇族ではないのだ、というその一点に尽きます」というのは、ある人物の、状態に関する記述であって、その人物に関しての記述ではありません。統一体たる人物、つまり、かつて皇族であり、ある時点をもって皇族ではなくなった、その人物についての記述をする記事については、不適切な判断基準でしょう、「あくまでも元皇族」というのは、少なくとも過去のある時点において皇族であったわけです。「結局は」という言葉の意味に二重性がレトリックとして使われていると思います。皇族は皇族として記し、元皇族は元皇族として記す、というのは、皇族としての記述ばかり元皇族としての記述でいついつ皇籍離脱程度しかない様な記事については皇籍離脱後の名前を用いることは、わかりにくく、不正確といってもよい位ミスリードでしょう。--Jms 2008年4月2日 (水) 15:40 (UTC)[返信]

黒田清子は黒田清子であって紀宮清子内親王ではありません。島津貴子は島津貴子であって清宮貴子内親王ではありません。東久邇稔彦は東久邇稔彦であって東久邇宮稔彦王ではありません。東伏見慈洽は東伏見慈洽であって邦英王ではありません。小松輝久は小松輝久であって輝久王ではありません。明治、大正、昭和、平成と時代は変わっても、皇族ではなくなった者は皇族とは峻別して扱われます。「皇族ではなくなった」という事実の持つ意味は日本においてはきわめて重大であり、だからこそ元皇族の本質は、現在(あるいは死の時点で)元皇族であることにもっとも重い意味があり、かつて皇族であったことはより軽い要素であると私は考えます。そのような彼らのあいだにどのような差異があるのか私にはわかりません。私は愚直な性質ですから、難しい抽象論はわかりませんし、巧みなレトリックも使えません。私が主張していることはきわめて単純です。同じものは同じものなのであるから、同じものとして同じように扱うべきだ、という、ただそれだけのことです。違うものは違うものとして違う扱いをするのは当然ですが、同じものをわざわざ違うものとして扱う必要はありません。「元皇族」という個別の論点について、抽象的でわかりにくい一般論を持ち込んで、同じもののなかにことさらに差異を設けて分別して論じようとする理由が、私にはわかりません。しかも、その差異を設けるための基準が、記事のバイト数であるとか、知名度であるとか、曖昧で、流動的で、客観性の低いものばかりなのは理解に苦しみます。
逆に、Kliment A.K.さんが海外の王侯との比較で本件を論じようとするのは、違うものを同じものと誤認して論じようとする典型です。ヨーロッパの王家の成員は、王位を失い国を追われてから100年も200年も300年も経ち、かつて国を追われた君主やその一族の孫の代、曾孫の代、玄孫の代になってもなお、自らプリンスと名乗り、殿下と敬称されることを求め、皇室典範のごとき独自の家法の定める継承順位に従って真剣に王位請求権を相続し続けます。そして社会もそれを許容して、彼らの名を呼びまたは記すときは、プリンスの称号と殿下の敬称をきちんと付けて呼びまた記します。日本にはそのような慣習はありません。皇族の身分を離れた者は、元皇族自身の認識としても、社会の彼らに対する扱いも、その瞬間からただの人になります。その子孫については言うまでもありません。日本では、皇族と元皇族は本質的に異質なものなのです。このような誤解や混同を避け、同じものは同じものであり、違うものは違うものであることを明示するためにも、平易で客観的で、しかも容易にぶれることのない確乎たるルールが必要です。--呆庵入道 2008年4月4日 (金) 13:10 (UTC)[返信]
呆庵入道さんは全然皆さんのお話を読んでいらっしゃらないように思うのですが…そう感じるのは私だけですか?
黒田清子氏について言えば、既に黒田清子氏は黒田清子氏として著名なのですから記事名の改名は当然です。
Jmsさんのお話をもう一度精読して下さい。「現在の状態」が必ずしも「記事名」に反映されるとは限らないのです。呆庵入道さんの御言葉は、全て御自分の価値観「元皇族は元皇族なのであって、ただの人。従って記事名も元皇族の名であるべき」の羅列にしかなっていません。ここに居る人は誰も元皇族が皇族だなどと主張していません。ですからこの言葉は無意味なのです。あくまで「記事名」として相応しいかが論点なのである以上、問題は後段の従って記事名も元皇族の名であるべきの部分です。
>皇族の身分を離れた者は、元皇族自身の認識としても、社会の彼らに対する扱いも、その瞬間からただの人になります。
現実はそうなっていません。管轄は皇宮警察ではありませんが、今でも黒田清子氏には身辺警護がついています。「ただの人」という見解すら当たりません。
>違うものを同じものと誤認して論じようとする典型
ソレ位の違いは存じております。議題は「ウィキペディアにおける記事名の扱い」なのであり、その事に則った例示だということに注意して下さい。--Kliment A.K. 2008年4月4日 (金) 13:33 (UTC)[返信]
呆庵入道さんの「日本においてはきわめて重大であり」というのは日本 POV であり、日本語版ウィキペディアにおいて記事名を定める根拠としては適切ではないでしょう。「同じものは同じものなのであるから、同じものとして同じように扱うべきだ」というのは、個々の元皇族がそれぞれに有する様々な属性のうち「かつて皇族であり、ある時点から皇族でなくなった」という属性だけが同であるに過ぎないのに、その属性だけをとりあげて同じだとしているので、ある意味では違うものを同じだと主張していることにもなります。「東久邇稔彦は東久邇稔彦であって東久邇宮稔彦王ではありません」という文の論理を解釈すると「東久邇稔彦という名の指し示す対象は元皇族である。東久邇宮稔彦王は皇族の名前であるから、東久邇宮稔彦王という名の指し示す対象は元皇族ではあり得ない。したがって東久邇稔彦が指し示す対象である元皇族を東久邇宮稔彦王と呼称することは、元皇族は皇族であるという論理の主張になり、論理矛盾である」といったところでしょう。これはバートランド・ラッセル#記述理論 Theory of Descriptionで解決のつく問題だと思いますが、この指示対象はあくまで個人であって、その指示された個人についての記事の名称の問題ではない、というのは Kliment A.K.さん御指摘の通りです。--Jms 2008年4月4日 (金) 15:20 (UTC)[返信]
新たに出されたWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/「美智子 (皇室)」の改名提案についてに反対意見を提出。並びに「美智子」をリダイレクトではなく曖昧さ回避ページとして作成し直しました。--Kliment A.K. 2008年4月4日 (金) 20:31 (UTC)[返信]

決して読んでいないわけではありませんが、いくら読んでも理解できない部分が多いのは確かです。非常に晦渋で高踏的で、あまり実践的でない議論がなされているという感覚がどうしても拭えないでいます。バートランド・ラッセルの記述理論についても、一読しただけではなんのことかさっぱりわかりませんでしたので、もう少し熟読・熟考してみます。

現時点では、記事名が水準以上の正確性を担保しているにもかかわらず、記事の内容が記事名と乖離するのは、記事がいまだにスタブであるからだ、という程度の認識しかありません。元皇族が皇族と峻別される、という事実は、単に私個人の価値観であるだけでなく、確かに事実として存在するという認識も変わりません。黒田清子さんが警察の保護下に置かれているという事実は、本件の議論になんの関連性も持たないと考えます。島津貴子さんや黒田清子さんが「殿下」と呼ばれることはありません。

元皇族にさまざまな属性があることは当然ですが、その各属性にはおのずから軽重があるものと考えます。その最も重いものを基準として記事名を律する、という発想法は、Wikipediaにおいては、それほどまでに、あるべき規範を逸脱した異常なものなのでしょうか。いまだによくわかりません。

なお、「日本においてはきわめて重大」云々というのは、Kliment.A.K.さんがロマノフ家の皇族の例を引き合いに出したので、日本の元皇族と欧州の亡命皇族とでは社会的位置づけが大きく異なり、同列に論じ得ない、ということを主張したいために持ち出した修飾句です。「日本語版Wikipediaには他言語版Wikipediaとは異なる独自のルールがあってしかるべきだ」と主張したいわけではありません。逆に、そのような考え方は私の最も嫌うところです。そのことは、私がWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/当代天皇の項目名についてでの議論において、日本は特殊な国であり、天皇は特殊な君主であるから、「明仁」という記事名は不敬であって日本語版Wikipediaにあっては許されない、改名すべきだ、という主張に強硬に反対したことからご理解いただけるものと思います。--呆庵入道 2008年4月5日 (土) 09:44 (UTC)[返信]

実践は単純で、「一律などといわず、記事内容にあわせた適切な名称をそれぞれ用いる」です。理解しにくいのには、一つには記事の名前と、記事が対象としているものの名前の分離というのがわかりにくいというのがあるかもしれませんが、なにより、提案なさっている内容に名付けの難解さの核心に迫る部分があるからです。直接的な解説ではありませんが、『同一性・変化・時間』ISBN 9784886790811 に、近い問題についての読みやすい解説があります。
属性のうち「最も重いものを基準として記事名を律する」というスタンスは理解できますが、「もっとも重い」ものとして記事内容ではなく皇族であったことをとる、という部分が恣意的であると思います。さらに受け入れ難いのは、皇族であったことがもっとも重要だといいながら、記事の名前としては「皇族でない」名前を用いるという提案だということです。たとえていえば「地面」について扱った記事に「天空」という記事名をつけようという提案に近いものがあり、その意味では「あるべき規範を逸脱した異常なもの」でもあると思います。--Jms 2008年4月5日 (土) 10:25 (UTC) たとえの間違い訂正、それにしても良いたとえではないが…--Jms 2008年4月5日 (土) 17:48 (UTC)[返信]
誠に申し訳ないのですが、やはり、記事内容にあわせた適切な記事名を、というのは、一般論、理想論としては正しくても、実践的な行動規範として機能するのだろうか、という疑問がどうしても拭えません。Jmsさんが以前からおっしゃっている「記事名は、記事内容を適切に表したものであるべきだ」というご意見と「記事名が記事内容を執筆する上での暗黙の指針を与える」という以前のご指摘が、私のなかではうまく整合しないのです。記事内容が記事名を規定し、記事名が記事内容を規定する、という関係があるとすると、いずれか一方が決まらなければ他方も決まらない、ということになり、やはり私が以前に述べた「記事量の増減に応じて記事名が常時猫の目のように変転するということになりかねない」という懸念が残るのです。Jmsさんは私の懸念を「杞憂」として一蹴されましたが、その理由として、それはそもそも記事名が間違っていた場合の話だ、という意味のことをおっしゃいました。しかし、記事名が間違っているかどうかが記事内容によって決まるのだとすると、やはり、記事内容が変動すれば記事名も変動し、記事名が変動すれば記事内容も変動する、という堂々めぐりになってしまうのではないでしょうか。そうであれば、記事名を一定の基準で固定することもときには必要なのではないでしょうか。もちろん、すべての記事にそのようなことが可能だとは考えておりません。ただ、元皇族というごく限られた範囲の記事にのみあてはめられる基準はあってもよいのではないか、そして、すでに縷々述べた理由から、おそらく元皇族についてはそれが可能なのではないか、ことに、本件に関しては、ことさらにイデオロギー的な偏見が持ち込まれて記事名の確定にいたる議論が混乱する可能性が否定できない(これは「明仁」の記事名をめぐる議論で私がつくづくと痛感したことです)ことから、あえて機械的な基準が必要なのではないか、というのが、本件提案を提示したときの私のそもそもの考えでした。
私の提案に「名付けの難解さの核心に迫る部分がある」というのはまったく自覚しないところでしたが、そうだとすると、Wikipediaの根幹をなす部分に、素人にもわかるように噛み砕いて説明することがむずかしい、ブラックボックスのようなものがどっかりと据えられていて、それがすべてのウィキペディアンの編集行為を拘束している、というのは、なにやら薄気味悪いものを感じます。それはともかく、ご紹介の文献はひとまず近所の図書館を探して読んでみることにしたいと思います。ご教示ありがとうございます。
なお、私が元皇族の各属性のなかでもっとも重いものとみなしているのは「かつて皇族であったこと」ではなく「その後皇族ではなくなったこと」です。Jmsさんには些細な違いかもしれませんが、私には重大な違いです。--呆庵入道 2008年4月7日 (月) 11:39 (UTC)[返信]
「記事名は、記事内容を適切に表したものであるべきだ」と「記事名が記事内容を執筆する上での暗黙の指針を与える」とがうまく整合しない、とのことですが、その二つは矛盾しませんので、整合させてください。整合しないとしたら、それはその記事自体に問題があります。もしかしたら記事が矛盾を含んでいるのかもしれません。機械的な基準からイデオロギーを排除できる保証はありません。ある人にとっては機械的でも、別の人にとってはイデオロギーに基づいた基準であり得るでしょう。もちろん、内容に即した記事名というのもこれまた一つのイデオロギーです。記事名と内容の堂々めぐりである、というのは、実際にそういう記事を書いてから心配してください。堂々めぐりが実際に発生して解消不能なら、それは記事分割すべきだということです。
「かつて皇族であったこと」と「その後皇族ではなくなったこと」とに重大な違いがあるというのは全くの錯誤です。ある時点で皇族でなくなった、ならば、必然的にかつて皇族でなけばなりません。かつて皇族であることなくその後皇族でなくなることはできませんので、この二つは完全に等価であるのに、それについて「その後皇族ではなくなったこと」だけを重視するのはイデオロギー以外のなにものでもありません。「元皇族というごく限られた範囲の記事にのみあてはめられる基準はあってもよいのではないか」というのには、自己矛盾しているに近い、錯誤に由来する基準なので同意しかねます。--Jms 2008年4月7日 (月) 14:23 (UTC)[返信]
ますますわからなくなってきました。Jmsさんは、理を以って私を説こうとされているのでしょうか。それとも、これは決まっていることだから理非曲直は考えず黙って従いなさい、とおっしゃりたいのでしょうか。
「その二つは矛盾しませんので、整合させてください。」とのことですが、それはご無理というものです。それができるくらいならとっくにしております。記事名と記事内容が整合しない場合は、おっしゃるとおり記事自体に問題があるわけですから、記事内容を記事名に合わせて編集すればいい話だと思います。記事内容に合わせて記事名を決める、というのは、どうも話がさかさまに思えます。
思いきり単純化して言えば、馬鹿でも理解でき、馬鹿でも実践できるルールがよいルールだと思います。一定水準以上の教養と論理思考がなければ理解できないルールは悪いルールだと思います。私は、前者のようなルールでなければ理解も実践もできない種類の人間のようです。
さまざまにご指導をいただいたことには深く感謝しておりますが、いまの私の力量では、Jmsさんの理論を完全に咀嚼することはまだ難しいようです。それがWikipediaの公のルールなのか、Jmsさんの個人的な見解なのかを見分ける眼識もまだ持っていないようです。いまのところは、ご意見に対して諾とも否ともいずれとも申しあげられません。申し訳ありません。いろいろご指導ありがとうございました。--呆庵入道 2008年4月10日 (木) 12:18 (UTC)[返信]

わたくしはことわりを述べています。そのことわりは、個別記事名はどうあるべきかという議論の一つ上のメタなレベルなので、その意味では個別記事名レベルの理非曲直に対して「黙って従いなさい」かもしれません。しかし、メタなレベルではやはりことわりですので、理解可能であると思います。

A という名前の記事があったとしましょう。われわれはそこには B でも C でも…Z でもないことが書いてあると期待します。さて追記により、B や C は入ってきませんでしたが、A がちょっと広がって A' とでも呼ぶべき記事になったとしましょう。その場合、A よりは A' の方が記事名は適切でしょう。でもそこに B や C は入ってきていませんから、曖昧さはありません。その意味で、A や A' というのは、「A かつ非B非C…非Z」の省略形です。A や A' といった、非B非C…非Zについて、A や A' といった名前で代表させ、また、「非」の列挙の部分で、A と A' の差異を吸収させているのです。さて、呆庵入道さんが提案なさっているのは、「かつて A で後に非A」な存在について、一律「非A」という記事名をつけようと言っているのと同じことです。これは、「A かつ非A非B非C…非Z」というのと同じ事です。「非A」という記事を見ると A についての記述がほとんどなのに、それに対して「かつて X で後に非X」というその属性だけをことさらとりあげて一律「非A」という名前をつけようという提案は、非論理的でしょう、と言っているのです。呆庵入道さんが整合させることは無理と仰る原因はここにあるのかもしれないと思っています、A についての記述を主とする記事なのにそれに非Aという名前を与えたら、整合は難しいでしょう。

記述対象が集合ではなく個体なので A でも非A でも等価と思われるかもしれませんが、記事名は記事が記述する個体ではなく記事を指す名前ですので、個体に関する記事であっても名付けの対象はその個体に関する記述の集合であって、その意味で集合としての名付けを行うべきです。

さて、提案取り下げという理解でよろしいですか。--Jms 2008年4月10日 (木) 16:58 (UTC)[返信]

私の基本的な立脚点は「どんなに論理として精緻で完璧であっても、記事のバイト数とか知名度とかいった、執筆者の恣意によってどうにでもなり、そのほかの偶然的な要素によって簡単に左右されてしまうような物差しは物差しとして役に立たない」というものです。その点は変わりません。提案取り下げはいまのところ考えておりません。--呆庵入道 2008年4月13日 (日) 03:13 (UTC)[返信]
取り下げてはいない旨、了解しました。「そのほかの偶然的な要素」というのには、当然、皇室典範がどうか、というのも含まれるのですよね。そういう必然的命名という論点ならば、『名指しと必然性』ISBN 9784782800225 が参考になると思います、残念ながら読みやすいとはいえませんが。互いに相手の主張を理解できない様ですので、いつまでも平行線ですね。どうしましょう。--Jms 2008年4月13日 (日) 03:52 (UTC)[返信]
呆庵入道さんの意見でわたくしにとってももっともわかりにくいのは、かつて皇族であり、ある時点で皇族でなくなった人の記事について、一律に皇族でなくなってからの名前を記事名とすることはなぜ恣意でなく、記事内容に応じてどちらかの名前を選ぶことは恣意的なのか、という点です。「○○のち××」とか、「○○/××」という記事名にしよう、というのなら (それが受け入れられるかどうかは別として) 恣意性がない、といのは理解できるのですが、元皇族というのはかつて皇族であったということと必然的に同義なのに、皇族でなくなってからの名前を選ぶことがなぜ恣意的でないと言えるのか、そこが全くわかりません。以前も書きましたが、皇族であったということだけを一律とりあげるのは、元皇族特異的という意味でも恣意的だと思います。--Jms 2008年4月13日 (日) 07:39 (UTC)[返信]

 議論が止まっているようですが…提案は取り下げていないとのことですので、新参者ですがコメントさせていただきます。

 これまでの議論を読ませていただき、呆庵入道さんは「元皇族は皇族ではなく一般人だから一般人としての姓名を記事名にすべきだ」と主張されていると理解しましたが、一般的に言って、記事名は世間で知られている名前がふさわしいと思います。ほとんどの元皇族の記事は、皇族であったということで記事が立てられたように感じます。他の記事には「戸籍上の本名を記事名にしなければならない」とか「後からつけた(つけられた)呼び名を優先しなければならない」といった基準がない中で、これまでの議論から「元皇族だけは皇族を離れて以降の戸籍上の本名を記事名にしなければならない」とする根拠を見つけることができませんでした。記事名をつけるのにイデオロギー的偏見を持ち込ませないために機械的な基準が必要だともおっしゃっていますが、「皇族」か「非皇族」かが重要だという主張は天皇や皇室を特別視するイデオロギー的偏見ではないでしょうか? --あるふぁるふぁ 2008年5月13日 (火) 16:18 (UTC)[返信]

「戸籍上の本名を記事名にしなければならない」とか「後からつけた(つけられた)呼び名を優先しなければならない」とかいった基準が存在しないのは当然です。Wikipedia:記事名の付け方に「記事名は基本的には日本語での正式名称を使用します」と明記してあるので、そのような基準をわざわざ定める必要がないからです。Wikipediaの記事が「NHK」ではなく「日本放送協会」であり「JR東日本」ではなく「東日本旅客鉄道」になっているのはこの規定に基づきます。日本国籍を持つ自然人であれば、本名を非公表にしてもっぱら芸名や筆名で世に知られている人や、まったくの一私人で戸籍上の本名自体がプライバシーとして保護される人などを除けば、ほぼまちがいなく戸籍上の本名が「日本語での正式名称」であり、そのまま記事名となるはずです。もちろん改名によって「正式名称」を複数持つ人もいるでしょうが、通常は改名後の名前の方が正式名称になるのではないでしょうか。もちろんWikipedia:記事名の付け方には、最優先事項として「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。」と書いてありますので、正式名称でさえあればいい、というわけではありません。「世間で知られている名前かどうか」というのも重要な判断材料になることには私も同意します。私が問題にしているのは、その「世間で知られている」というのは、いったい誰が、どのような基準で、客観的な判断をくだしてくれるのか、まったくわからない、ということです。知名度というのは曖昧模糊としていて雲のようにつかみがたく、数量的に測定できるものではありません。それでは基準として役に立ちません。要するに「そんなの常識だろ」というのと何も変わりません。東久邇稔彦が「東久邇宮稔彦王」なのに、山階芳麿が「芳麿王」ではなく「山階芳麿」であることについて、両者を区別するものが知名度以外に何もないのだとしたら、それは単なる無秩序です。基準とは呼べません。
私が「イデオロギー的偏見」ということばを使ったときに念頭に置いていたのは、1947年10月14日の11宮家51名の皇籍離脱をなかったことにしたい連中のことです。そういう連中に記事名や記事本文を恣意的にいじくりまわされてはたまったものではありません。もちろん私のこの考え方自体もひとつのイデオロギーですが、Wikipediaのガイドラインの要求する姿勢や一般的な社会通念からそれほど隔たった考え方だとは思いません。
「「皇族」か「非皇族」かが重要だという主張」が「天皇や皇室を特別視するイデオロギー的偏見」であるならば、ひとりの人間の生涯を、皇族であった時代と、皇族ではなくなってからの時代とに峻別して、前者と後者の知名度や記事のバイト数を比較考量して記事名を決定しようとする主張も「天皇や皇室を特別視するイデオロギー的偏見」ということにならないでしょうか。--呆庵入道 2008年5月17日 (土) 13:55 (UTC)[返信]
「元皇族だけ恣意的に編集される恐れがあると俺が思うから」というだけであれば呆庵入道さんの主張は「皇籍離脱をなかったことにしたい連中」が「を恣意的にいじくりまわ」すから新しいガイドラインを作ろうという演説になってしまいます。
山階芳麿の記事、確かに一般人は誰も知らないかもしれませんが、彼は戦前に若くして皇籍離脱し、その後鳥類の研究者として大成、相当の役職を歴任し「鳥類のノーベル賞」を受賞。死後、山階芳麿賞(芳麿王賞ではない)が作られるほどの人物なのですから、どちらとして有名かという論点でブレが生じることは全く無いでしょう。
私も東久邇宮稔彦王を東久邇稔彦に改名する必要を感じないのと同様に、山階芳麿を芳麿王に改名する必要を感じません。東久邇宮稔彦王と東久邇稔彦はどちらも正式名称で、その個人が「最も曖昧でなく、最も理解されやすい」名前とは首相を務めた東久邇宮稔彦王ではありませんか?
また、知名度を記事名の策定の根拠から外すのであれば村上龍の記事名は当然村上龍之介にならなくてはいけないはずです。そんなガイドラインの作成には賛成しかねます。--R-H 2008年5月17日 (土) 15:28 (UTC)[返信]
新参者の、それも少々嫌味な発言に丁寧にお返事いただきありがとうございます。
ただ、私も知名度を考慮しないというこの提案には賛成できません。また現状が統一基準を作らなければならないほど混乱しているとも感じないのです。それぞれの記事で、皇籍離脱前後でどちらが著名かによってふさわしい記事名が付けられれば、無理に統一しなくても良いと思うのです。議論も平行線のようですし、少なくとも「一律に例外なく」という点では賛成された方はいないようです。--あるふぁるふぁ 2008年5月19日 (月) 12:14 (UTC)[返信]
「演説」なのは自分でも百も承知なのでご安心ください。たまたまあるふぁるふぁさんが、私のコメントのなかの「イデオロギー的偏見」という部分に言及されたので、私がそういう下心を持ちながらそれを隠して議論を続けるのはアンフェアだと思ったからカミングアウトしたまでです。不適切なコメントである、とお考えであれば、そうおっしゃっていただければいつでも撤回いたします。こんな屁理屈で提案をごり押しできるとは毛頭考えていません。
さて、本題に戻ります。R-Hさんが「確かに一般人は誰も知らないかもしれませんが」とおっしゃっているのは、知名度という基準の本質を見事に衝いていると考えます。ここでいう「一般人」というのが具体的にどういう人々を指すのかいささか不明確ですけれども、要するに大多数の人は山階芳麿なんか知らない、ということでしょう。そういう人々にとっては「芳麿王」でも「山階芳麿」でも同じことです。知っているのは一握りの皇室オタクと愛鳥家だけ。そういう状況で知名度を云々してなんの意味があるでしょうか。元皇族のなかでは比較的知名度が高いと思われる山階芳麿でさえこのありさまです。少なくとも元皇族の記事について、知名度が記事名を定める基準として使えるとは思えません。東久邇稔彦にしても同じことです。「一般人」にとっては「百科事典の付録の歴代内閣総理大臣一覧表に並んでいる名前」以上のものではないでしょう。なお「山階芳麿賞」が「芳麿王賞」ではなくて「山階芳麿賞」なのは、賞が創設された時点で彼が芳麿王ではなくて山階芳麿だったからです。それだけです。
それと、村上龍のケースは例示として不適切です。村上龍は元皇族ではないからです。
確かに私の提案に積極的に賛成してくださった方はまだおられませんが、もう少し長いスパンで気長に議論していこうと思っています。そのなかから、何かもっといいアイディアが出てくるかもしれませんし。--呆庵入道 2008年5月21日 (水) 14:08 (UTC)[返信]
同じ事の繰り返しになりますので要点だけ。皇族であったということが一番重要なことだとしながら、その重要なことがらでない皇族でなくなってからの名前を記事名にしようという、ある意味で論理的に矛盾している主張なので、理解されるはずがありません。「演説」なのは自分でも百も承知、なら、ウィキペディアの明らかな目的外使用ですから、やめてください。--Jms 2008年5月21日 (水) 14:49 (UTC)[返信]
1.一応反論
元皇族のなかでは比較的知名度が高いと思われる山階芳麿でさえこのありさまです。←別に高くないですよ。高いと言い切れるのは東久邇程度、あと最近では竹田宮の子孫だったかが少し表に出ているか、というところでしょう。あと山階芳麿は戦前に臣籍降下してますから1947年10月14日の11宮家51名の皇籍離脱をなかったことにしたい連中のことです。…という主張とは全く関係の無い人物です。あなたの最初の提案がどうであれ、あなたの提案の真意は上記の通りなのだから、関係の無い人物を出さないでいただきたい。
なお「山階芳麿賞」が「芳麿王賞」ではなくて「山階芳麿賞」なのは、賞が創設された時点で彼が芳麿王ではなくて山階芳麿だったからです。←ソースが無いんですが。
ところで旧皇族の中に呆庵入道さんが考える恣意性と有名性の衝突事例である、「執筆者が選んだ記事名と読者が検索してきた記事名に差異があるまたはありそう」な記事はあるんですか?例えば日中戦争の本で朝香宮鳩彦王を知って、ウィキペディアに来た人が朝香鳩彦と検索するとはにわかには信じられないのですが。
2.全体的な反論
何故執筆者の恣意的判断で旧皇族の記事名をつけてはいけないのか。それは『また「有名かどうか」という基準も客観性や正確性に欠けるものです。まさにそれは主観的な「印象」でしかないからです。』とおっしゃっていながら、あなたのその主張は『1947年10月14日の11宮家51名の皇籍離脱をなかったことにしたい連中のことです。そういう連中に記事名や記事本文を恣意的にいじくりまわされてはたまったものではありません。』という極めて恣意的で主観的な主張に基づくわけですね。
あと、村上龍のハナシを皇族で無いということだけで退けていますが、それは皇族を過度に重要視する恣意的な視点であり(ウィキペディア風にはNPOVというんでしたっけ?)、総じてこのような恣意的な提案には絶対に賛成できません
一般人は有名なペンネームで記事名を作って一向に構わない、それは皇族で無いからだ、一方、旧皇族は絶対最も新しい正式な(戸籍の)名称で書かなくてはいけない、それは有名さというのは恣意的なものだからだ。この論理で良く改名主張が出来ますね。--R-H 2008年5月21日 (水) 17:10 (UTC)[返信]

同じことの繰り返しになりますが「皇族であったこと」と「皇族ではなくなったこと」とは違います。

要するに、R-Hさんも「元皇族は誰であれいずれも知名度は高くない」という点では私と同意見なわけですね。それならばなおさら知名度などというものが基準として使えないことはご理解いただけると思います。

山階芳麿が山階芳麿として死去し山階芳麿として埋葬されたのは1989年です。山階芳麿賞が創設されたのは1993年です。その4年間のあいだに山階芳麿が皇族の身分を追贈されて「芳麿王」に改名されたという事実でもありましたか。そういう事実があるのならば「芳麿王賞」だったでしょうが、そういう事実がなければ「山階芳麿賞」になるのはあたりまえです。

なお、もともとこの提案は、1947年に皇籍離脱した11宮家51名だけを対象にしたものではありませんから、山階芳麿も東伏見慈洽も音羽正彦も、当然対象に含まれます。関係ない人物ではありません。

「朝香鳩彦」という名前を知らない読者が、Wikipediaで「朝香宮鳩彦王」をキーワードに検索したとしても何も実害はないでしょう。Wikipediaの検索は本文検索ができますから簡単に記事にたどりつけます。記事検索でヒットしなければ許せない、ということであればリダイレクトで解決できるでしょう。

この提案は対象を元皇族に限ってのものですから、元皇族でない村上龍を持ち出すのは単なる論点のすりかえです。

結局のところ、R-Hさんは「呆庵入道の動機が不純だから反対だ」ということですか?それでは客観的に説得力のある理由にはならないでしょう。そもそも私は「なかったことにしたい連中」の存在を理由に本件提案に及んだわけではありませんから。最初に書いたように、違うものが違う扱いを受けるのは当然だが、同じものが違う扱いを受けるのはおかしい、というのが最大の論拠です。--呆庵入道 2008年5月24日 (土) 13:52 (UTC)[返信]

「皇族であったこと」と「皇族ではなくなったこと」とは違います、というのがわからないのですが、それは、
  • かつて皇族で「あった」にもかかわらず皇族でなくなったことは一瞬たりともない者
  • 一瞬たりとも皇族であったことはないが、皇族ではなくなった者
いずれかの、少なくとも一方を満たす者が存在するか、すくなくとも存在が可能である、という主張です。それは論理的に矛盾しているので存在し得ないと思うのですが、そういう具体例があるのでしょうか。--Jms 2008年5月24日 (土) 14:11 (UTC)[返信]
横から失礼。呆庵入道さんも、さすがに「皇族であった人の集合」と「皇族ではなくなった人の集合」が違う集合であると主張されているわけではないでしょう。ただ、同じ集合に対して、「皇族であった」という「過去の状態」を重視するか、「皇族であったがなくなった」という「過程」を重視するかは(今している議論は集合論に立脚する議論ではないのですから)峻別しうるところでしょう。Jmsさんの過度に集合論的な反論はピンボケのように思います。
ただ、峻別しうることはいいとしても、そこから先、そのどちらを重視するかという点に関する呆庵入道さんの議論が、ここで扱われている人物はみな「1947年の皇籍離脱が人生最大のトピックとして世に知られている人物」であるという主張の繰り返しでしかなく、この主張の根拠が明確ではないですから、呆庵入道さんの主張に賛意を示すこともできません。--124.102.66.218 2008年5月25日 (日) 01:32 (UTC)[返信]
なるほど。属性と過程いずれにも「こと」を用いてるからわたくしには理解できなかったと。しかしそれでも属性としての「皇族であったこと」の「あった」が「のちにそうではなくなった」を含意する以上、属性としての「皇族であったこと」と過程としての「皇族ではなくなったこと」というのは不可分であり、その意味では属性と過程の区別にはあまり意味がない場合であり、形式的に一方の状態をとりあげて記事名にとはできないでしょう。強いて言えば皇族であることの特殊性や、皇籍離脱には皇族であることが必須であるという点から皇族としての名前が記事名としては優先されるというのはあり得るとは思いますが、それは呆庵入道さんの主張とは相容れませんし…。なお、過程についての記事「○○王の皇籍離脱」と、人物についての記事を別にできるというのはもちろんです。--Jms 2008年5月25日 (日) 02:15 (UTC)[返信]

(コメント)俺はこの提案には反対です。なんかバイアスかかってるような気がするんですよね。呆庵入道さんは「皇太子妃雅子殿下」と書く一方で「三笠宮妃百合子さま」と書いてますが、百合子妃殿下も敬称は妃殿下が正しいんですけどね。旧皇族のページで東久邇宮稔彦王について、首相になったのは東久邇宮稔彦王としてなのに東久邇稔彦と書き直すことを何回も続けてますが、こだわりが強すぎるんじゃないですかね。ともかく、他の人も言ってますけど公平じゃない気がするんで反対ですよ。--アダモステ 2008年5月25日 (日) 14:40 (UTC)[返信]

私の議論は〈ここで扱われている人物はみな「1947年の皇籍離脱が人生最大のトピックとして世に知られている人物」であるという主張の繰り返しでしかな〉いように読めましたか。いや、そんなつもりは毛頭なかったのですが、そのようにしか読めないとすれば、それは私の文章力の拙さゆえです。汗顔の至りです。
私が「知名度」にかかわる問題として言わんとしているのは〈Wikipedia:記事名の付け方で言う「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という基準を適用しても、もともと揃って知名度の低い人々である元皇族たちについて、たとえば「朝香鳩彦」と「朝香宮鳩彦王」と「いずれがより曖昧でなくよりわかりやすいか」を議論しても、そんなものはもっぱら皇室オタク同士の個人的な印象に基づく水掛け論にしかならない。それならば最新の正式名称で統一すればよい〉ということです。それほど奇矯な主張だとは自分では考えていないのですが。--呆庵入道 2008年5月29日 (木) 13:39 (UTC)[返信]
「小泉純一郎(例ですので誰でも良いのですが…)」が100の知名度があるとして、10か20だから知名度に意味がないとは思いません。「朝香鳩彦」が10で「朝香宮鳩彦王」が20であれば「朝香宮鳩彦王」にすべきでしょう。知名度という基準が曖昧で基準にならない場合もあるでしょうが、Wikipediaで調べものをしようとする人が「朝香鳩彦ってだれだろう?」と思って調べることと「朝香宮鳩彦王ってだれだろう?」と思って調べることのどちらがありえそうかと考えると、「朝香鳩彦」と「朝香宮鳩彦王」での知名度の差は圧倒的だと思うのですが?--あるふぁるふぁ 2008年5月29日 (木) 14:22 (UTC)[返信]

呆庵入道さんの主張がどうもよくわかりません。わかりにくさを説明するために仮想実験をします。ある皇族 A が、皇籍離脱により A' という名前になったという状況を想定します。この人物 (A→A') には、皇籍離脱以外に百科事典的意味での特記事項がないものとします。仮に、この人物がそもそも皇族でなかったとしたら、つまり (A'→A') という人生を送った人物であったとしたら、この人物は市井の一人にすぎず、百科事典には掲載されません。逆に、皇籍離脱しなかったとしたら、つまり (A→A) という人生を送った人物であったとしたら、 皇籍にあるということで百科事典に掲載されるかもしれません (特徴なき皇族を掲載する必要があるとはわたくしは思いませんが、それは別の議論ですのでここでは置きます)。このふたつの仮想的場合を組み合わせると、A' であることによっては掲載されないのですから、 人物 (A→A') の記事名は A すなわち皇族としての名であるべきでしょう。わたくしの考え方は以上ですが、一方呆庵入道さんの主張は A' にすべきだということです。この仮想実験を使って、呆庵入道さんの主張を説明してみていただけるとすこしはわかるかもしれません。--Jms 2008年5月29日 (木) 23:24 (UTC)[返信]


(コメント)提案なんっすけどね。そろそろfinishにしませんかね。いつまでたっても話は平行線のまんまみたいだし、このままじゃ十年たっても決着はつかないでしょうよ。最初は井戸端とかから始めるべきだったんじゃないですかね。ここに来てる人はみんないい編集をする人だ。決着のつきそうにない議論は早めに終わらせて、それぞれの編集作業に戻ったらどうっすかね。--アダモステ 2008年6月1日 (日) 17:25 (UTC)[返信]

心情は理解しますが、ノート:上野の様になっても困りますから、続けるしかないでしょう。コミュニティは疲弊するだけですが。なお、決着のつきそうにない議論だとはわたくしは思いません。すでに決着のついている議論だと思います。演説といういわば目的外使用を公言している方がいらっしゃるだけです。--Jms 2008年6月1日 (日) 20:34 (UTC)[返信]
あるふぁるふぁさんの言われるとおり、知名度を具体的な数字で格付けできれば、当然、それは客観的な基準として使うことができると思います。しかし、実際には不可能です。「知名度の差は圧倒的」というのも結局のところ個人的な印象によって左右されてしまうものなので、客観的とは言えないと思います。数値化ができないからです。ことに、皇室関係の話題については、以前にR-Hさんが「一般人は知らないかもしれませんが」とうっかり口をすべらせたように、一部の好事家の間だけで話題にされることが多いテーマです。知名度を基準にすることはなおさら難しいと思います。
議論に飽きた方は、遠慮なくコメントを中止してこの場を去られたらよろしいかと思います。続けたくないという方にこれ以上議論を続けるよう強要するつもりは毛頭ありません。しかし、他人にコメントを中止するよう強要することも受け入れられません。
本件の議論は、記事名Aと記事名Bの二者択一において、AとBのいずれを選ぶべきか客観的で合理的な基準を設定できるかどうかをテーマにしたものです。BはあくまでもBであって、A´ではありません。
ところで「演説といういわば目的外使用を公言している方がいらっしゃるだけです。」というのはいったい誰のことでしょうか。--呆庵入道 2008年6月3日 (火) 13:26 (UTC)[返信]
「演説といういわば目的外使用を公言している方」とは、「演説」なのは自分でも百も承知、とお書きになった方のことです。
「続けたくないという方にこれ以上議論を続けるよう強要するつもりは毛頭ありません。しかし、他人にコメントを中止するよう強要することも受け入れられません。」というのは、コミュニティを疲弊させる行為ととられかねませんので、方針類の熟読を求められないかと心配しております。
A と A' でも、A と B でも、A と B が時刻ならびに様態を異にする同一の対象を指す異なる名辞ならば、意味としては同じことです。「時刻ならびに様態を異にする同一の対象を指す」ことを強調するために A と A' という記号を用いただけのことです。論理構造に沿った解釈と議論をしていただければと思います。--Jms 2008年6月3日 (火) 13:34 (UTC) 言い回し修正--Jms 2008年6月3日 (火) 16:01 (UTC)[返信]
私も決着はついていると思いますね。そもそも「定着している記事名に対して、統一基準を作って改名する必要がある」ということを、立証する(あるいは説得する)責任は提案者側にあり、すでに2ヶ月以上経って一人の賛同者も得られていないのですから、ここは一旦取り下げるべきかと…。反対者がみんな議論に飽きてこの場からいなくなっても賛同者が増えたことにはならないのですから…。--あるふぁるふぁ 2008年6月3日 (火) 14:41 (UTC)[返信]

他人のしたことを名指しで批判する勇気がないのであれば、姑息なあてこすりはなさるべきではありません。

「コミュニティを疲弊させる」つもりは毛頭ありません。無理をして気の進まない議論にお付き合いいただかなくても結構、と申しあげたまでのことで、むしろ負担軽減をお勧めするものです。

Jmsさんの「論理」が、私にとってしばしば読解困難であることはすでに申しあげました。わからない相手に「わかれ」と命令しても無駄です。--呆庵入道 2008年6月9日 (月) 15:01 (UTC)[返信]

「他人のしたことを名指しで批判する勇気がないのであれば」というのはあたりません、「演説ならばやめてください」という旨はっきり書いていますから。それに対して書き誤りだった、言い過ぎだった、誤読である、といった指摘をなさっていないのですから、本当に演説のおつもりなのでしょう。だったらやめてください。ウィキペディアの目的外使用だと思います。「コミュニティを疲弊させる」つもりがおありとは思いませんが、結果としてそうなっているかもしれないとはお考えになりませんか。
わからない相手に「わかれ」と命令する気はありませんが、どこがどうわからないか確認するために、たとえば仮想実験などを持ち出しているわけです。それに対する答えが「BはあくまでもBであって、A´ではありません」という理解でよろしいでしょうか。--Jms 2008年6月9日 (月) 15:17 (UTC)[返信]

論点三分割[編集]

呆庵入道さんの提案は、次の三点に分割できると思います。

  1. 元皇族の記事名は例外なく一律にある規則に基づいて定める
  2. 元皇族について、皇籍離脱前後それぞれについて記載すべき事項の著名性に大差ない場合は、皇籍離脱後の名前を記事名とする
  3. 記事名一律規則として皇籍離脱前後で著名性に大差ない場合の規則を用いる

この様に分割すれば、1. と 2. については独立に議論できますので、1. と 2. の分割議論を提案します。3. は 1. の結果に従属しますので、1. の結果次第で議論すればよいでしょう。--Jms 2008年6月7日 (土) 22:31 (UTC)[返信]

提案の趣旨が分かりかねます。
まず、例外なく一律な規則が必要かどうかを議論し、
  • 必要な場合、皇籍離脱前の名とすべきか皇籍離脱後の名とすべきか
  • 必要ない場合、では記事名は何を基準に決めるべきか
を議論するという流れになるのではないでしょうか。これまでの議論は、呆庵入道さんの「例外なく一律な規則は必要、それは皇籍離脱後の名とすべき」という提案に対して、他の参加者が「例外なしの一律な規則は必要ない、皇籍離脱前後での知名度を基準に記事名を決めるべき」という主張の間で論争になっていると認識しています。
Jmsさんの提案では、2.は「著名性に大差ない場合は、皇籍離脱後の名前を記事とする」ということですので「大差があれば皇籍離脱前の名前を記事とする」と読み取れますが、仮にそれで合意が得られたとしても、1.の議論の結果「例外なく一律に」となれば2.の議論の結果は吹っ飛んでしまいます。ですので1.と2.は独立して議論できないと考えます。先に1.の「例外なく一律に」決める必要があるか、について結論を出すべきです。--あるふぁるふぁ 2008年6月8日 (日) 12:46 (UTC)[返信]
「例外なく一律に」を先に決められるなら、それは独立して議論しているということだと思うのですが、違いますか。
「著名性に大差ない場合は、皇籍離脱後の名前を記事とする」ということですので「大差があれば皇籍離脱前の名前を記事とする」と読み取れますが、というのは誤読です。--Jms 2008年6月8日 (日) 13:47 (UTC)[返信]
Jmsさんの「1.と2.については独立に議論」は「1.と2.を切り離して同時並行的にそれぞれで議論」と読み取ったのですが、私の日本語読解力に問題があったかもしれません、申し訳ありません。
Jmsさんのおっしゃる「独立して議論」が、私が曲解したように「それぞれ独立して並行に議論」ではなく「1.2.3.の論点に分けて順番に議論」ということであれば異議はありません。--あるふぁるふぁ 2008年6月8日 (日) 14:11 (UTC)[返信]
並行議論を排除はしませんが、並行議論したのでは論点を分ける意味が半減してしまいますので、一つずつ議論することになると思います。--Jms 2008年6月8日 (日) 14:18 (UTC)[返信]

異論がありませんでしたので以下分割議論します。

元皇族記事名の一律規定[編集]

既に議論に出ている山階芳麿東久邇宮稔彦王の内容から考えて、元皇族記事名を一律に定めるというのは無理があると思います。呆庵入道さんの 2008年5月17日 (土) 13:55 (UTC) 付けの意見では「単なる無秩序です。基準とは呼べません」との事ですが、事実に基準を求めてもしかたないでしょう。山階芳麿といえば何といっても山階鳥類研究所の創設者であって、芳麿王としての特記事項は皆無に等しいでしょう。山階鳥類研究所の名は時々マスコミに登場しますから、それなりの知名度 (一般紙を読む程度の人には知られている) です。一方東久邇宮稔彦王は第二次世界大戦後最初の首相としての知名度が最も高いでしょうから、記事名としては「東久邇宮稔彦王」が適切です。以上二例より、少なくとも皇籍離脱前の名か皇籍離脱後の名いずれかに一律という規定は困難であると思います。--Jms 2008年6月19日 (木) 15:52 (UTC)[返信]

同感。上以外でも貴族院議員だった邦寿王、軍籍にあった守正王、治憲王などは皇籍離脱後の名にしたら検索が不便になるっすね。守正王は元帥宮の通称があるうえ東京裁判関係でも梨本宮守正王として名前が挙がるので、皇籍離脱後の名にするのはまずいと思うっす。離脱後に目立った活動が全く確認されない人物についても離脱後の名前にする理由は全くないっす。--アダモステ 2008年6月21日 (土) 16:52 (UTC)[返信]
もう一つの論点として、呆庵入道さんの 2008年3月30日 (日) 11:17 (UTC) 付けの意見には皇籍離脱後の名こそ戸籍上の名なのだから正式名称なのだ、という主旨のものがありますが、この点についてはどうでしょう。仮に存命の場合はそうであったとしても、すでに亡くなっている場合についてまで適当かどうかは疑問ですし、また東久邇宮稔彦王の場合、首相としての正式名は「東久邇宮稔彦王」なわけですから、やはり一律というのは困難かと思います。--Jms 2008年6月21日 (土) 20:56 (UTC)[返信]
確かに現時点での正式名称は戸籍上の名でしょうが、皇族であった当時は皇族としての名が正式名称であって、主としてその頃の事績によってWikipediaの記事が立てられているなら、記事名は皇籍離脱前の名であるべきでしょう。皇族・旧皇族以外の記事では、例えば戸籍上の名が津島修治で黒木舜平のペンネームも持つ人物の記事名は太宰治ですし、存命中であっても戸籍上の名が池端直亮で作曲者としては弾厚作である人物の記事名は加山雄三となっています。もちろん山階芳麿のように、皇籍離脱後の事績が記事の大部分を占めるならば皇籍離脱後の名とすべきです。いずれにせよ、ケースバイケースであるべきで一律には決められないと考えます。--あるふぁるふぁ 2008年6月22日 (日) 12:21 (UTC)[返信]

一律に、という点については上記の様に疑義が出ています。もし一律皇籍離脱後の名前とするならば、東久邇宮稔彦王を改名する必要があります。逆に、東久邇宮稔彦王の改名が受け入れられないならば、一律というのは実施不可能でしょう。そこで、抽象論を続けるよりは、東久邇宮稔彦王の改名提案が受け入れられるかどうかをもって判断するのが適切ではないかと思うのですが如何でしょう。その提案が受け入れられないなら、一律は実施不能です。東久邇宮稔彦王を例として選ぶのは首相であったからに他なりません。当該改名提案はこの記事命名方法の提案者である呆庵入道さんがなさるものと期待します。もし呆庵入道さんがなさらないなら、この記事命名方法の提案も取り下げと考えてよいと思います。--Jms 2008年6月26日 (木) 10:52 (UTC)[返信]