Wikipedia‐ノート:独立記事作成の目安/過去ログ6

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改名後の編集[編集]

名称変更に伴い、本文の文頭と「一般的な目安」の節(旧:一般的な特筆性のガイドライン)を編集しました[1]。推敲の過程で、大分文章も手を加えましたので、各位確認の上、ご意見お願いします。あるいは強い反対がある場合は差し戻して頂いて結構です。--背番号9会話2013年9月24日 (火) 12:28 (UTC)

一週間経過しましたので、上の編集はある程度確認頂けたのだと思います。引き続きWP:NRVEの節を編集しました[2]。ニュース速報に関しては節を分けました。これも大分手を加えたと思いますので、確認お願いします。これも差し戻して頂いても結構です。--背番号9会話2013年10月2日 (水) 06:14 (UTC)

一週間経過しましたので、上の編集も確認頂けたのだと思います。引き続きWP:NTEMPの節を編集しました[3]。こちらも大分手を加え、また私なりの解釈も加わっていると思いますので、確認お願いします。これも差し戻し、あるいはご編集頂いても、もちろん結構です。--背番号9会話2013年10月9日 (水) 08:24 (UTC)

  • 方針名を変更したのは、「特筆性がない」という言い方が余計な軋轢や誤解を招くからということだったと思います。そういう趣旨に照らしたとき、現行版の導入部の「独立記事として作成、収録するだけの価値」という言い回しは如何なものでしょうか。ここで「価値」の問題にしてしまうと、削除される記事は「価値がない」「価値が不十分」ということになってしまいます。これは、「特筆性がない」などより更にもっと刺激的で誤解を招きやすいのではないでしょうか。「特筆性」は、結局のところ「素人が記事を書くのに必要なネタが集められるか」ということでしかありません。社会的、学術的にどんなに価値があるテーマであっても、専門家があまりカバーしていないトピックでは「目安を満たさない」ことがありえます。
  • 「ニュース報道は割引いて」の記述はずいぶん昔からあるもののようですが、改めて読んでみると少しピントがずれているような気がします。「報道記事(=記者が事件を直接取材して記録したもの) 」は一次資料であって二次資料ではありませんから、「割り引いて」ではなく「カウントできない」が正しいと思います。--Dwy会話2013年10月9日 (水) 22:26 (UTC)
ご意見ありがとうございます。冒頭の「価値」という表現に関し、よりよい案があれば、是非々々ご提示ください。一応、価値と言う単語を使った理由として、編集前の特筆性の説明に「言及するに値」するものという記述があり、それを解釈しました。英語版でもWorthy of noticeとの表現もあるので。価値の他に「重要性」「意義」という他の候補やDwyさんの懸念も持っていましたが、改名後の不自然さ解消を優先し、詳細詰めは各位に期待し編集をしました。ということでDwyさん改善お願いします
ニュース報道が特筆性の根拠として「カウントできない」とするのは行き過ぎた表現に思います。ニュース報道だから何でもダメという原理主義的な解釈を取られないようにする必要があると思うからです。またen:WP:N#eventsen:WP:N(E)では報道規模によりとりあえずの特筆性を推定できるといった記述があります。次の編集で、本文章にもニュース速報記事のとりあえずの目安を追記してみます。--背番号9会話2013年10月10日 (木) 14:26 (UTC)
  • 冒頭の「価値」という表現について。私としては、「価値」のところを当たり障りのない表現に入れ替えるだけでは、少し物足りない気がしています。もし他の方から異論が出ないようなら、独立記事を立てるべきかどうかを判断する際に問題になるのは「必要なネタ」が集められるかどうかであって、「有名かどうか」や「重要かどうか」はあまり関係ないという趣旨で全体の記述を見直し、必要な箇所を修正してみてはどうかと思います。
  • 「ニュース報道」について。「ニュース報道」という言葉をどう定義するかにもよりますが、報道#報道の原則で解説されているような「客観報道」の原則に基づいた報道(取材した事実をありのまま伝えるもの)は一次資料であって、二次資料ではありません。確かに、新聞等の記事でも「ニュース解説」等は二次資料ですから、もし「ニュース報道だから何でもダメ」と言い切ってしまったら少しミスリーディングになるかもしれません(この辺りの分類・区別についてはen:WP:PRIMARYNEWSが参考になります)。でも、実際のところ新聞やラジオ・テレビのニュース報道のほとんどはいわゆる「客観報道」であって、二次資料としてカウントできないわけですから、その点は明確にしておくほうが良いと思います。ちなみに、背番号9さんが上で上げておられるen:WP:N#eventsが"Even a large number of news reports that provide no critical analysis of the event is not considered significant coverage."(出来事について批判的分析を加えていないニュース報道は、たとえ大量にあっても有意な言及とはみなされません)と言っているのも、同じ趣旨ですね。--Dwy会話2013年10月13日 (日) 16:06 (UTC)
  • 冒頭表現に関して、おっしゃることは理解しますし、理想的には私もそうした方が良いと思います。しかし、文章全体のバランス、他の特筆性関連の頁との兼ね合い、各位の合意が確認できていないといった懸念が残ります。次善策として、冒頭と一般的な目安までは、Dwyさんの思う文章を構築し、それ以降は、各位の反応と合意を確認しながら段階的に進めるというところでいかがでしょうか。
  • 通常のニュース報道の扱いに関しても、Dwyさんと私の意見は一致しています。懸念するとこは、非日常の出来事の場合です。東日本大震災の発生時、速報による混乱を嫌うなどし、日本語版だけ地震関連の記事が白紙保護化され立ち上がらないという異常事態が発生したことがあります[4]。とうとうJimboさんが介入して解消されるという苦い過去がありますノート:東北地方太平洋沖地震/過去ログ1#Hello from Jimbo (Wikipedia日本語版へのメッセージ)。そういった場合想定しています。その目安としてen:WP:N(E)から日本語版でもすぐに使えそうな箇所を幾つか参照したいと思います。通常の出来事でのどういった報道ならOKかという目安を、上記のDwyさんの意見を基に追記して貰えれば助かります。ほぼ、これでいいと私は思います。ご協力よろしくお願いします。--背番号9会話2013年10月15日 (火) 07:43 (UTC)
  • 「記事内容の特筆性」をセクション名を含めて編集しました。基本的に第一段落だけを残して他を削除しました。第二段落・第三段落は英語版にあったガイドライン名が一般的な単語であるNotabilityであることに関連した記述から発展したものですが、現在は英語版の元になった文章がなくなっています。第四段落は記事についての一般的な注意書きで特にこのガイドラインの中で記載する必要があるとは思えません。御確認の上、ご意見お願いします。あるいは強い反対がある場合は差し戻して頂いて結構です。参考のため以下に 2013-12-08T20:32:24版en:Wikipedia:Notability#Notability guidelines do not apply to content within an articlを引用しておきます。リンクは省略しています。一行目(強調)がセクション名です。デイナイスホテル東京会話2013年12月14日 (土) 17:03 (UTC)
Notability guidelines do not apply to content within an article
The criteria applied to article creation/retention are not the same as those applied to article content. The notability guidelines do not apply to article or list content (with the exception that some lists restrict inclusion to notable items or people). Content coverage within a given article or list (i.e., whether something is noteworthy enough to be mentioned in the article or list) is governed by the principle of due weight and other content policies. For additional information about list articles, see Notability and lists and Lead and selection criteria.
  • (インデント修正しました。) 記事の内容について直接に関係しないのにもかかわらず記事の内容のについての記載があるべきではなく、適切な方針・ガイドラインへの案内のみで充分です。よって今回の除去に賛同します。ただ、冒頭部と重複するためそもそも節自体必要ないと思います。異論がなければ除去したいと思います。--Kawasaki ichiro会話2013年12月15日 (日) 10:45 (UTC)
(Kawasaki ichiroさんへの反対意見)「記事の内容について・・・」については、Wikipediaのガイドラインが法律のような厳密なものなのならばそうなのでしょうが、そうではなく、あくまでも「ガイドライン」ということを考えると当たらないと思います。「特筆性」という言葉は本来記事の内容に関係ないはずなのに、記事の内容について「特筆性がない」という意見を見ることも少なくないので、必要なセクションだと思います。「冒頭部と重複する・・・」については、冒頭部は新聞でいうリードのようなものなので、重複するから本文を削除するというのは当たらないと思います。デイナイスホテル東京会話2013年12月20日 (金) 12:20 (UTC)
ご意見ありがとうございます。「記事の内容について…」は今回の除去に賛同する理由を述べただけで後半の内容には関係しないことを念のため補足しておきます。「本ガイドラインは記事内容を制限しない」という趣旨の記述は、「冒頭部は新聞でいうリードのようなもの」は、その真偽はともかく、そうであったとしてもなぜ「重複するから本文を削除するするというのは当たらない」のかいま一つよくわかりません。2文しかないですし、本ガイドライン全体自体についてのことで冒頭にあるのが自然な内容ですから、全く内容の重複するセクションは必要ないと思います。--Kawasaki ichiro会話2013年12月20日 (金) 13:35 (UTC)
新聞では、headline(見出し)、lead(リード)、body(本文)という言葉を使うようなのでこの言葉を使って書きます。リードは本文の要約です。このプロジェクトの冒頭部にも「本文書を要約すると」と書かれています。本文あっての要約なので、要約と同じだから本文を削除するというのは話が逆です。本文と要約が同じ文章になるのを避けるのには、例えば冒頭部の方の文章を「本文書は、記事の内容には無関係です。」というように変更すればよいと思います。デイナイスホテル東京会話2013年12月20日 (金) 14:22 (UTC)
丁寧なご説明ありがとうございます。しかし、ガイドラインや方針は必ずしも新聞とは異なりますから、冒頭部の内容が要約のみとは限らないと思います。当該のようなガイドライン全体自体についての記述は要約とは異なり、順序が逆というようなことにもならないと思います。--Kawasaki ichiro会話2013年12月21日 (土) 06:07 (UTC)
報告 168時間内に異論が無かったため合意が形成され、「このガイドラインは記事内容を制限しない」節を除去しました。--Kawasaki ichiro会話2013年12月28日 (土) 10:06 (UTC)

WP:GNGに書かれている「対象と無関係な信頼できる情報源」の定義[編集]

下の方で最新議論(FALINの改正提案)が継続中でして、それとは違う話題ですので、とりあえずこの付近に。

もし対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合、

— WP:GNG

If a topic has received significant coverage in reliable sources that are independent of the subject,

— en:WP:GNG

無関係とは、どういった範疇・定義なのでしょうか。業界紙記事広告を除く?)は大丈夫なのでしょうか。また、「独立した」「別個」などでなく「無関係」と訳すべきなのでしょうか。

en:Wikipedia:Independent sources、そこの関連項目にあるen:Editorial independenceen:Independent sourcesも、日本語に訳された記事が無いこともあり、ふと気になりましたのでこちらに書かせて頂きました。失礼いたしました。--Benzoyl会話) 2014年6月10日 (火) 23:10 (UTC)--Benzoyl会話2014年6月10日 (火) 23:13 (UTC)

ガイドライン化について[編集]

ガイドライン化をするための編集方針について[編集]

このセクションは、今すぐガイドライン化をしようという提案ではありません。どのような編集をすれば、ガイドライン化の合意が成立しやすくなるかということについて、みなさんの意見をお聞かせいただくためのセクションです。

わたし自身は、シンプルなものの方がガイドライン化しやすいだろうと思います。英語版のWikipedia:Notabilityがガイドライン化されたのは2006年9月で、そのころのバイト数は約3,000バイトです。これが、現在は26,000バイトほどになっています。一方日本語版で英語版からの翻訳が終わったのは2009年2月ごろで、この時点でバイト数はすでに22,000バイトありました。現在もあまり変わっていません。そして、それから4年以上を経た今まで日本語版のガイドライン化は成功していないことはご存じのとおりです。私は、この原因が、翻訳終了時点での文案が詳しすぎたことにあると思います。文章が長くなると、意見の不一致ができやすくなり、そのためにガイドライン化がうまくいっていないのだと思っています。そこで、私は、ガイドライン(案)を短くして、意見の一致を見やすい所だけに絞ってガイドライン化をするのがよいと思います。別セクションで「記事内容の特筆性」の編集(段落の削除)について説明していますが、この編集もガイドラインを短くするという方向で行ったものです。皆さんのご意見を募集します。デイナイスホテル東京会話2013年12月14日 (土) 20:36 (UTC)
(補足)スリム化するために、説明的な文章だと思う箇所などを削除することを考えています。デイナイスホテル東京会話2013年12月20日 (金) 14:22 (UTC)
  • 反対 無用な工夫でしょう。現状のまま尋常に「ガイドライン化の提案」をなされば普通に通過すると思います。--大和屋敷会話2013年12月21日 (土) 06:33 (UTC)
  • そもそもこの議論自体不要と思います。「編集方針について」というのは抽象的で、申し訳ございませんが議論しても大した成果が得られるように思えません。(そもそも具体的な論点が不明確で議論自体困難であると思います。)具体的な改善点があるならばそれを挙げて一つ一つ議論していく、というのが妥当だと思います。--Kawasaki ichiro会話2013年12月21日 (土) 08:30 (UTC)
  • 反対 「事実上ガイドラインと見なされているので、実態に合わせてガイドライン化しよう」ということでガイドライン化の議論が始まったわけですが、コミュニティにガイドラインと見なされているのだから、現状の内容で問題ないと言うことでしょう。ガイドライン後でもブラッシュアップはできるので、ガイドライン化を提案してしまってよいと思います。--伏儀会話2013年12月21日 (土) 11:55 (UTC)

テンプレート変更の提案[編集]

現在、この草案には{{proposed}}が貼られていますが、上記のガイドライン化に関する議論をみていると、まだ正式採用するよう提案できる水準には達していないと思います。そこで、テンプレートを{{draft proposal}}に変更し、正式採用するよう提案できる水準には達した時点で{{proposed}}に戻すことを提案します。デイナイスホテル東京会話2013年12月20日 (金) 12:56 (UTC)

ガイドライン化について[編集]

  • 「ガイドライン化をするための編集方針について」と「テンプレート変更の提案」の2つのセクションをサブセクション化しました。どちらのセクションも私が作成したものです。もともと一つの発想から作成したものなのでサブセクション化しました。デイナイスホテル東京会話2013年12月25日 (水) 15:24 (UTC)
  • (ぱたごんさん、大和屋敷さん、伏儀さんのご意見を受けて) 現在のこのプロジェクトはこう着状態にあると見ています。過去ログ1などを見ると、このプロジェクトは2006年12月に英語版のen:notabilityを翻訳したものに始まり、2008年1・2月ごろに「特筆性」に改名するなど一定の盛り上がりを見せたものの、ガイドライン化には至らず、その後も何度かガイドライン化が提案されたものの結局ガイドライン化されないということを繰り返してきたようです。最近では、「ガイドライン化の提案」とは書いておられないものの、2013年6月に背番号9さんの提案があり、記事名を変更するところまでは到達したものの、そこで息切れをしたという感じです。(完全にポシャッたわけではないので継続中とも言えますが。)上で伏儀さんが「ガイドライン化を提案してしまってよい」と書いておられ、事実今までに何度もガイドライン化の提案はされているのですが、実は改めて提案するまでもなくこのプロジェクトは最初から「ガイドラインの作成に向けての草案」であり、テンプレート{{proposed}}のproposedという言葉は「提案されている」という意味であることから見ても、最初からずっとガイドライン化の提案はされているわけです。今までの「提案」を「ガイドライン化への最終提案」と考えれば、これらの提案もまったく無意味ではありませんが、「もともと提案されている」という観点は見落とされているように思います。で、ガイドライン化への(私の見方でいう)最終提案があるたびに反対意見があってつぶれるということを繰り返しているわけですが、これはつまり「コンセンサスが成立していない」ということだ、と思います。そして、コンセンサスが成立していないのなら、もう一度最初に戻って一から出直したほうがよいのではないかというのが基本的に私が考えていることです。英語版から借りてきて、それがポンと成立していればそれはそれでよかったのでしょうが、ここまでずるずると来てしまっては、英語版の成立の過程を見習ってシンプルなものから自力で構築することを考えないとこう着状況からは脱出できないと思います。(ちなみに英語版の一番古い版は2004-08-26T22:55:39版のWikipedia:Importanceのようです。)デイナイスホテル東京会話2013年12月25日 (水) 15:24 (UTC)
コンセンサスが成立していないのなら、成立するようにもって行けばいいのです。なんで最初に戻って一から出直したほうが良いとお考えになるのかわかりません。--ぱたごん会話2013年12月25日 (水) 15:28 (UTC)
(ぱたごんさんへの質問)ぱたごんさんは「コンセンサスが成立している」とお考えですか、それとも「コンセンサスが成立していない」とお考えですか。デイナイスホテル東京会話2013年12月25日 (水) 16:14 (UTC)
Dwyさんの返信を待っていただけで、別にこう着状態にないと思いますが…。Dwyさんは、わざわざ「異論がないなら」とおっしゃってくれていますよ。Dwyさんからストップがないかぎり、私も現状のまま尋常に「ガイドライン化の提案」をなされば普通に通過すると思います。名称に問題がある、提案者、提案ステップに問題があるなどで、過去のガイドライン化の提案は通りませんでしたが、それらの問題は皆さんの尽力により解決しました。現在成立したコンセンサスに異論を挟む根拠にはならないでしょう。--伏儀会話2013年12月25日 (水) 15:58 (UTC)
(伏儀さんへの反論というか質問というか)「コンセンサスが成立している」とお考えならば、なぜ「ガイドライン化を提案してしまってよいと思います。」あるいは「現状のまま尋常に「ガイドライン化の提案」をなされば普通に通過すると思います。」と書かれるだけで、ご自分でガイドライン化を提案されないのでしょうか。デイナイスホテル東京会話2013年12月25日 (水) 16:14 (UTC)
まあ、「一から出直し」を提案なされたのは、デイナイスホテル東京殿ですし、「これ以上返信を待つ必要なし」とお考えなら、私からガイドライン化を発議するのはやぶさかではありませんが。他の方は異論ありませんか?--伏儀会話2013年12月26日 (木) 09:54 (UTC)

提案 本文書について、長期の間様々な議論がなされましたが、皆様のご尽力により合意に到達することができたと思います。今更私が出る幕などない気もしますが、ご指名いただきましたので、異論がないようでしたら、私からガイドライン化を発議させていただこうと思います。万が一ガイドライン化に反対があった場合、「最初に戻って一から出直し」案も含めて、コンセンサス成立に向けて再出発しましょう。年の瀬に入ってしまったため、少なくとも三が日を過ぎてから、プロジェクト:プロジェクト関連文書に告知した上で、ガイドライン化を発議することを考えています。(もちろん、他の方がやっても結構です)。--伏儀会話2013年12月26日 (木) 14:25 (UTC)

上で下駄を預けられた形になっていたのに、なかなか考えがまとまらなくて、ずっとそのままにしていました。申し訳ありません。
私としては「百科事典の記事として言及するにふさわしい価値」という言い回しに若干の違和感を覚えていますが、特に積極的に問題にしている方が他にはおられないようですし、直ぐにみなさんの同意を得られそうな、より良い言い回しも思いつきませんので、冒頭部分は当面このままでも良いかなと思っています。
「ニュース報道は割り引いて」の節の記述については、上で議論をしていた背番号9さんとも意見の一致を見ましたし、en:WP:N#Eventsの趣旨を取り入れて言い回しを修正したいと思います。
ガイドライン化については是非とも進めていただきたいと思う一方、例えばこちらの削除依頼の議論のように、新商品のプレスリリースや商品開発者へのインタビュー記事みたいなの(というか、私には記事広告のようにも見えてしまう)を何の疑問もなく特筆性の根拠としておられるのを見ると、「対象とは無関係な信頼できる二次情報源」についての理解が私とはずいぶん違うなと思ったりして、どこまで本当にコンセンサスができているのか心もとなく思う気持ちもあります。--Dwy会話2013年12月26日 (木) 15:57 (UTC)
ご多忙にもかかわらず急かしてしまったようで恐縮です。内容改善は、(ガイドライン化を妨げる内容を修正するでもない限り)ガイドライン化の議論と平行して進めることができます。よりよい内容に改善する議論は是非進めていただきたいと思います。また、ご懸念については、「特筆性のガイドラインを満たしていない記事」節で自制を求めていますし、皆さんが合意形成を意識する限りは大きな問題にならないと思います。--伏儀会話2013年12月27日 (金) 08:03 (UTC)

ガイドライン化の提案[編集]

皆様のご尽力によりガイドラインに向けた合意を形成することが出来ました。この場で感謝を述べるとともに、正式に本文書のガイドライン化を発議いたします。--伏儀会話2014年1月3日 (金) 14:05 (UTC)

賛成 デイナイスホテル東京会話2014年1月5日 (日) 21:37 (UTC)
  • 賛成 賛成します。十分に期間をおき検討もされています。--ぱたごん会話2014年1月6日 (月) 02:38 (UTC)
  • 賛成 賛成。--大和屋敷会話2014年1月6日 (月) 03:51 (UTC)
  • 賛成 賛成です。--Blue-comet会話2014年1月6日 (月) 11:07 (UTC)
  • コメント ガイドライン化の提案をWikipedia:お知らせに告知しておきました。--Blue-comet会話2014年1月7日 (火) 11:01 (UTC)
  • 反対 まずもって告知が遅すぎです。 もっともらしい内容ですがガイドラインは強力です。現状から考えてこれのガイドライン化は明らかに無理があります。 複数の独立した情報源からの有意な言及が望ましいと書いてあるのは良いのですが、そうでない場合(つまり特筆性がひとつのレベルの記事)、統合を奨めている点に無理があります。大多数の項目がやっとひとつあるかなという情況では大多数の記事がなくなるか、統合されてしまう恐れがあります。 そんなことはないと思うが、まともにやったらJWPの項目数が100分の1以下に減りかねないですよ。--Gyulfox会話2014年1月11日 (土) 13:32 (UTC)
    • コメント まず、ガイドライン化の議論は2013年6月から継続審議となっており、2014年の年初は再告知となっています。本題ですが、Gyulfox殿の反対意見は、デイナイスホテル東京殿の「一から出直し」案を念頭に置いたものなのでしょうか。それとも、「複数の独立した情報源~」を修正しない限り反対というご意見でしょうか。後者であれば、修正案を提示していただけると助かります。--伏儀会話2014年1月14日 (火) 12:37 (UTC)
  • 条件付反対 基本的には賛成しますが、Gyulfoxさんの仰られているように本当に複数の独立した情報源からの有意な言及(つまり出典が二次資料1つの場合)は削除や統合対象になるのでしょうか? 仮にそうだとすれば提案内容には同意しかねます。--Louis XX会話 / 投稿記録2014年1月14日 (火) 16:22 (UTC)
  • 紳士録や「2014年1月3日イオン東久留米店の特売一覧」みたいな信頼でき検証可能な情報源から記事を作成されても困りますよって程度の意味でしょう。そもそも百科事典に独立記事で採録すべきtitleがたった1つの信頼できる情報源にしか発見できないということのほうがおかしいです。仮に1つしか検証可能性のない文献から起筆したのなら、それは1次資料をもとにwikipedianが投稿していることであり独自研究に当たります。2次文献から起筆しているかぎり、かならず2つ以上の信頼できる情報源があるはずです。--大和屋敷会話) 2014年1月14日 (火) 17:21 (UTC)個人的にはオーケストラ・ダスビダーニャの削除依頼が非常に記憶にのこっています。百科事典に独立記事として採録すべきかどうかというガイドラインはあんがい境界線上にあるtitleが多く、編集者の大半が「採録すべきだ」と同意するための基準はあるていどはっきりしておいたほうが良いと思いますよ。たった1つの信頼できる情報源しか提示できない場合は、編集者大半の同意を得るのはかなりむつかしいと思います(むろん例外はあるのかもしれませんが)。--大和屋敷会話2014年1月14日 (火) 17:39 (UTC)
    • 「2次文献から起筆しているかぎり、かならず2つ以上の信頼できる情報源があるはず」とうのは大和屋敷さんの主観であり、苦労して文献を見つけたが有意な資料が1つだったということだってあるはずです。しかしそれを基に執筆された記事に対し信頼できる情報源が1つのみという理由で削除を検討するのはWikipediaの記事の発展を妨げる一端ではないでしょうか?--Louis XX会話 / 投稿記録2014年1月15日 (水) 00:06 (UTC)
      • ルイ20世さんがおっしゃってるのはそれ二次資料ですよ。ここでは「編集者個人がたった1冊しか入手できなかった」云々という個別事情は関係ありません。一次資料しか現実に実在しない時点でwikipediaに新規起筆することは独自研究にあたります(参考WP:PSTS)。新刊の小説で、まだ一切の書評が信頼できる情報元から公開されていないようなケースが例えばこれにあたります。またそうではなく、1次情報源があり、その他の2次情報源をさがしてもようやく1つしかみつからなかったというケースについては、これは現実に削除依頼などでしばしば検討される事例だと思います。このあたりは現実の境界線としか言いようがないのでは。そのあたりは「一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう」と指針するしか表現のしようがないと考えます。むろん最後に記事の採録可否を決定するのは削除依頼での議論でしてWP:NOTEは指針・ガイドライン(候補)です。--大和屋敷会話2014年1月15日 (水) 01:10 (UTC)
        • 日本のWPの環境は日本人くらいしかアテにできないのに加え、アメリカのように検索すれば無料で査読論文がポンポンとインターネットから取り出せるような環境になっていないので、アメリカのWPの運用をそっくり真似すると大クラッシュ(そしてやる気を削がれて誰もいなくなった)となりかねないので、その点を十分配慮してください。アスファルトロードを走ることを前提に設計された車を砂利道で同じように飛ばせばロクな結果にならないです。もちろん1から出直せ論などは言う気などありません。 他は良く出来ていると思います。 「一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。特筆性を示す信頼できる出典がひとつの記事に対しては他に見つからないか努力すべきであって、削除の理由にしてはなりません。」程度の文章を入れられるのであれば賛成側についても良いと思います。--Gyulfox会話2014年1月15日 (水) 18:38 (UTC)
          • 「他に見つからないか努力すべき」旨の内容は既に「特筆性のガイドラインを満たしていない記事」節に記載があるため、重複して「一般的な目安」節の方に記載する必要はないように思います。「…一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。但し、情報源が単一であるだけでは削除の理由にはなりません。」というような感じではいかがでしょうか。ちなみに、補足すると既に「既にある記事においては、信頼できる二次情報源による出典が提示されず、この目安を満たさないとしても、独立記事として収録するだけの価値がない、とも言い切れません。」という記述もあります。--Kawasaki ichiro会話2014年1月15日 (水) 21:45 (UTC)
      • けっきょく焦点になるのは削除の方針ケースEに関する削除議論になりますので、2次資料が1点のものでも存続okという結論になるものもあれば、複数あってもダメなものはダメだというもの(ex.2014.1.16日の長野県の天気予報、みたいな記事title)もあるので、あまり回りくどく書くのもどうかなと思うのです。あくまで初稿時点で他のwikipedia編集者に「これってただの広告宣伝みたいなもので、百科事典の項目としてオカシイんじゃないの?」と即断されない程度には2次資料を用意して起筆してくださいねという程度のアドバイスだと思うのです。--大和屋敷会話2014年1月16日 (木) 04:04 (UTC)
        • 百科辞典的でないものは、特筆性の数のあるなしに関係なく削除は可能だと理解しています。Kawasaki ichiroさんの文章は「つまり何を努力すべきか」が省略されていますので残念ですね。私の文章はこれを削除の理由にしてはいけないだけで、別の理由なら削除ができる余地が十分残されています。ガイドラインは初稿のアドバイス程度のものではなくて本気で削除するときに持ち出されるものなので、この点のあいまいさを残さないガイドライン化は余計な議論をしない上で重要です。--Gyulfox会話2014年1月16日 (木) 04:32 (UTC)
      • >大和屋敷さん 「2014.1.16日の長野県の天気予報」のような記事については、「ただしこの目安を満たしていたとしても、編集者の間での合意形成により、作成、収録にふさわしくないとされる話題もあります。例えばウィキペディアは何ではないかに違反している場合などです。」という記述(「一般的な目安」節下部)や「ニュース報道等」節があり、一般的な目安全体のことで、2次資料の数の話とはちょっと別かなとも思いますが、ただ「あまり回りくどく書くのもどうか」というのは私も基本的には同意見です。「一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。」だけでも意図はある程度伝わるかと思うため、必ずしも「但し、情報源が単一であるだけでは削除の理由にはなりません。」等の記述の導入を強く推すわけではありません。尤も「あまり回りくどく書くのもどうか」の観点で言えば、現行の「…一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。」の後にある「複数の独立した情報源によって言及されていない話題は、より広範な内容を扱う記事に記載するか、記事の統合を検討する方がよいかもしれません。」の記述等の方が(「特筆性のガイドラインを満たしていない記事」節とほぼ完全に重複するため)よっぽど冗長かもしれませんが…。
>Gyulfoxさん 私の文案でも「だけ」を強調して「別の理由なら削除ができる余地が残される」ようにしたつもりでしたが不十分だったでしょうか。「何を努力すべきか」の記載については、「一般的な目安」内に混ぜこぜでいろいろな記述があるのは判りにくいと思いますから、「一般的な目安」節と「特筆性のガイドラインを満たしていない記事」節に分けるべきであるように思います。--Kawasaki ichiro会話2014年1月16日 (木) 15:15 (UTC)
  • 賛成 細かい部分では改善すべき点も多少あると思いますが(こちらについては後々時間のあるときに提案しようかと思います)、全体の内容としてはガイドラインとして十分です。--Kawasaki ichiro会話2014年1月16日 (木) 15:15 (UTC)
  • 批判は当たっていないと思います。改めて「一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。特筆性を示す信頼できる出典がひとつの記事に対しては他に見つからないか努力すべきであって、削除の理由にしてはなりません。」という文章を提示します。回りくどい文章でもなく分かり難い文章でないことは明らかです。これで意味が分からないなどという方はちょっと国語力に問題だと思います。--Gyulfox会話2014年1月16日 (木) 19:37 (UTC)
    • コメント よい文章だと思います。--伏儀会話2014年1月17日 (金) 11:04 (UTC)
    • Gyulfoxさんが提示された「一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。特筆性を示す信頼できる出典がひとつの記事に対しては他に見つからないか努力すべきであって、削除の理由にしてはなりません。」という文章には反対です。それは悪魔の証明です。国会図書館2000万冊を含め世の中すべてから探せと?まあ、ググってすぐ見つかるものくらい見つけろよ!という事なら分かりますが、山の中に針一本も落ちてないないことを証明せよなんてルールはありえません。主題について詳しいはずの主筆者ですら一つしか提示できないということは特筆性が薄いといわざるを得ません。--ぱたごん会話2014年1月18日 (土) 11:33 (UTC)
      • 悪魔の証明にならないための「努力」の挿入です。しなさいではなくて努力すべきという以上は努力目標ですよ。--Gyulfox会話2014年1月18日 (土) 13:57 (UTC)
        • 「他に見つからないか努力すべきであって、削除の理由にしてはなりません」と言ったら、普通は「永遠に努力しろ!削除は絶対ダメ!」の意味になります。「努力目標」だというのなら、「まず他に見つからないか努力すべきであって、そのような努力をせずに安易に削除の理由にしてはなりません」くらいに言うべきでしょう。--Dwy会話2014年1月18日 (土) 15:11 (UTC)
        • コメント 「努力」とあっても、その後の「削除の理由にしてはなりません」という一連の流れを読むと、強制しているように見えるんだと思います。私としては「一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。」でも十分だと思いますが、仮に注意を促す分を付け加えるとすれば「一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。ただし、出典が単一であるという理由だけで削除してはなりません。」みたいな感じで良いのではないでしょうか。「ひとつの記事に対しては」と範囲を限定する意味はないと思いますし、「特筆性を示す信頼できる出典が他にないか、見つける努力をすべきです。」というような記述は、「特筆性のガイドラインを満たしていない記事」節にあるため、必要ないと思います。--リョリョ 2014年1月18日 (土) 16:01 (UTC)
    • >Gyulfoxさん 私が申し上げたのは「文章自体が回りくどい、分かり難い」というような文章内容自体についてのことではありません。一般的な目安を満たさない場合何をすべきかは「特筆性のガイドラインを満たしていない記事」節にまとめられており、そちらの管轄するような内容のことが、特筆性の条件がまとめられている「一般的な目安」節内に混ぜこぜの状態で記述されるとわかりにくい、ということです。--Kawasaki ichiro会話2014年1月18日 (土) 15:34 (UTC)
    • なるほど、確かに「削除の理由にしてはなりません」では削除を禁じているように読めてしまいますね。ただ、「特筆性のガイドラインを満たしていない記事」節に「努力目標」を付け足すのはよい考えと思います。--伏儀会話2014年1月23日 (木) 10:46 (UTC)
  • 賛成 ガイドライン化には賛成します。--リョリョ 2014年1月18日 (土) 16:01 (UTC)
  • 条件付反対 Gyulfoxさんのお考えがごもっともで、それを反映すべきかと。ぱたごんさん 2014年1月18日 (土) 11:33 の道理には無理があるかと。 --Benzoyl会話2014年1月23日 (木) 01:50 (UTC)
  • コメント 以前、Wikipedia:創作物を基にした逐次的な編集Wikipedia:性急な編集をしない)が、(Wikipedia:保護の方針/仮運用が導入見送りになるなど色々あった末に)ガイドラインから私論となっています。参考文献(出典)に関する節がない記事の作成という編集フィルターも導入後に多くの問題点が指摘されました。私はガイドライン化には反対まではしませんが、運用する上で重大な問題が起きた場合はWikipedia:創作物を基にした逐次的な編集のときのようにガイドラインから外すことを提案することもありえます。--雛鳥(Hinadori) 2014年1月30日 (木) 20:42 (UTC)
  • コメント Gyulfoxさんの「他に見つからないか努力すべきであって、削除の理由にしてはなりません」は出典が1つしか存在しないか見つかり辛いものに対しては執筆者に過度の負担を強いることになるので、追加を行うのであればであればリョリョさんが御提示された「一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。」の方が良いと思います。なおぱたごんさんの「一つしか提示できないということは特筆性が薄い」との発言は、特筆性のある記事でも出典が1つしかない記事が結構あるのでぱたごんさんの意見は同意しかねます。--Louis XX会話 / 投稿記録2014年2月4日 (火) 09:44 (UTC)
  • コメント条件についての修正提案はもうよろしいのでしょうか。今後異論がなければ、正式にガイドライン化いたします。--伏儀会話2014年2月18日 (火) 11:35 (UTC)
  • コメント良くはないですよ。特筆性がひとつであること「削除の理由にならない」ことを明文化してからにください。--Gyulfox会話2014年2月19日 (水) 07:46 (UTC)
    • コメント分かりました。改定案に対する異論を念頭に入れた文案を提示していただくまで待ちましょう。時間がかかる場合や、文案の検討を他の方に引き継ぎたい場合は、その旨お知らせ下さい。--伏儀会話2014年2月19日 (水) 08:50 (UTC)
  • 賛成 「一般的に複数の情報源があったほうがよいでしょう」「より広い事象を説明している記事へ統合することがふさわしいことかもしれない」、ですから、二次資料が一つか二つかで、かっちり線が引かれるものではなく、二つ以上のほうが好ましいということ。分量や主題の性質、得られている情報源の規模や信頼性、独立性の程度によっても変わります。目安を満たすからといって、単独記事にしなければならないわけではないです。逆に、ひとつでもあれば、まったく問題ないとするのもどうかと思います。一つでも単独記事にしたほうがいいなら単独記事にしてもいいけど、統合も視野に入れましょうよ、てなところでしょう。「ひとつでもいい」としてしまうと、逆に、その記述を杓子定規に捉えてしまう人もいるんじゃないでしょか。それはそれで、この文書が意図するものとも違ってしまう。
そもそもが「目安」。文面からもそう読み取れますし、そういうふうに理解しましょう、ということで、ここで合意が得られているということでいいんじゃないでしょか。
ひとつもなかったとしても、単独記事を削除するには、Wikipedia:独立記事作成の目安#特筆性のガイドラインを満たしていない記事の手続きを踏まないといけません。つまり、特筆性を満たしていない記事においては、記事の削除は最終手段であるべきで、その特筆性を証明するための情報源や他の方法で示せそうな情報を探そうとするということを含め、誠実に調査したにもかかわらず、適切な情報源が見つけられなかった場合は、より広範なテーマについて扱っている別の適切な記事に統合することを検討し、その可能性がない場合に、削除依頼で合意を得て削除することになっています。調査は削除依頼を出す側に求められている。
また、この文書の目的からは、第三者情報源の内容を確認する必要はなく、情報源を参照することで中立的な記述が見込めるならば、今の記事はそれらが反映されるまでの発展の過程にあると捉えるべきでしょう。むしろ、実際に第三者情報源の内容を確認した上で、中立的な記事の作成に寄与せず、記事の主題が百科事典で取り上げるかどうかの判断に役立たないということがわかれば、その情報源を目安のために使うことができなくなる。
一方、この文書は、「言及するに値」するものかどうかの目安ではあるので、WP:NOT、WP:V、WP:NPOV、WP:BLPなどの観点から、削除と完全に切り離すことはできません。単なる人名録に留まる人物記事なのか、百科事典の人物記事になりうるのか、の判断は、外部情報源での検証によって判断することになるわけです。第三者的な情報源が見当たらないことは、データ的な記述に留まったり、不当に大きな存在であるかのような記述を広めたり(WP:NOT)、虚偽の可能性を持ちますし(WP:V)、当事者情報のみでは偏った記述を拡散することになりかねませんし(WP:NPOV)、不当に特に存命人物については"Zero information is preferred to misleading or false information"[5]も考慮しなければなりません。この文書だけではなく、en:Wikipedia:Credible_claim_of_significanceが前提になりますが、英語版ではいくつか即時削除の対象にもなっています(たとえばen:Wikipedia:CSD#A7)。
というわけで、「ひとつかふたつか」や「削除の理由」の表現にこだわるよりも、ガイドライン化を進めるほうがよいと思います。
あとは、文書の問題というよりも、運用に関する部分だと思うんですね。まだ正式なガイドラインではないですが、削除依頼の現場には「特筆性」を理由とした削除が行われていて、「ガイドラインを満たしていない記事」の手続きを踏まずに依頼が出されている。たとえば、Wikipedia:削除依頼/ユニークノート関連Wikipedia:削除依頼/鷹野鍼灸院の事件簿シリーズWikipedia:削除依頼/特筆性を満たさない新人声優20140212など。当面は、周知のためも含めて、依頼に関与するようにしつつ、たとえば削除の方針や削除依頼の文書のほうで、注意書きを入れるなどの修正をするという方向で、手当てをしていくとか、分野ごとの目安の扱いなどに話を進めていくのが、好ましいのではないかと思います。--Ks aka 98会話2014年2月24日 (月) 17:42 (UTC)

コメントみなさんがKs aka 98さんのように穏当に考えて頂けるのであれば良いのですが、現実はそうではないし、「複数あるのが好ましいでしょう」は確かにうなづけますが裏をかえせば「単数では好ましくないでしょう」ということですし、気に入らない記事を削除したい側は何でも揚げ足に使うのを見てきました。(それがルールの悪用だと思っていても証明するのはほぼ不可能に近いです。) 削除依頼の文書のほうで、注意書きを入れるなどの修正をするという方向で、手当てをしていくとか言われても、そんなにすんなり通るとも思えないし、いつになるのかも分からない、ガイドラインは一旦決まると目安であっても強力です。大多数の記事が単数である今は、慎重であるほうが賢明だと思います。 文句ばかり言っていても仕方がありませんので、提案文をまとめました。 それを以下に示します。

一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。特筆性を示す出典がひとつしか出ていないということだけでは削除の理由になりませんが、複数の独立した情報源によって言及されていない話題は、特筆性を示す出典が他に見つからないか試みた後、より広範な内容を扱う記事に記載するか、記事の統合を検討する方がよいかもしれません。あるいはその項目が百科事典にふさわしいのかを再考するのも良いでしょう。

以上です。--Gyulfox会話2014年2月25日 (火) 02:14 (UTC)

そういうふうにするなら、
案2
一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。特筆性を示す出典がない、またはひとつしかないということだけでは削除の理由になりませんが、複数の独立した情報源によって言及されていない話題は、特筆性を示す出典が他に見つからないか試みた後、より広範な内容を扱う記事に記載するか、記事の統合を検討する方がよいかもしれません。あるいはその項目が百科事典にふさわしいのかを再考するのも良いでしょう。
または
案3
一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。特筆性を示す出典がないということだけでは削除の理由になりませんが、複数の独立した情報源によって言及されていない話題は、特筆性を示す出典が他に見つからないか試みた後、より広範な内容を扱う記事に記載するか、記事の統合を検討する方がよいかもしれません。あるいはその項目が百科事典にふさわしいのかを再考するのも良いでしょう。
じゃないですかね。それでは「なければ、試みずに出してもいい」ように読めてしまいます。「なくても、試みなければならない」のが今の文書ですから、後退してしまっていますよ。--Ks aka 98会話2014年2月25日 (火) 03:44 (UTC)
ひとつもなければ試みずに出して良いと読めるのでしょうか。 それならば案2でよろしくお願いします。--Gyulfox会話2014年2月25日 (火) 05:29 (UTC)
「出典」ではなく「情報源」としたほうがよいと思います。英語版で「出典」(citation)が使われているのは「特筆性は客観的な証明を必要とする」(Notability requires verifiable evidence)節の以下の2文のみです(日本語版には対応する文章がありません)。その他は一貫して「情報源」(sources)が使われています。
  • 「記事に出典がないこと(これは情報源が存在しないこととは異なります)は、記事の対象に特筆性がないことを意味しません。」(The absence of citations in an article (as distinct from the non-existence of sources) does not indicate that the subject is not notable.)
  • 「本ガイドラインが要求するのは、適切な対象と無関係な信頼できる情報源が存在することであって、それが出典として使用されていることではありません。」(Notability requires only the existence of suitable independent, reliable sources, not their immediate citation. )
現在の提案中の文書でも「出典」が用いられているのは同じ節で、既存記事で出典がなくても、独立記事として収録するだけの価値がないとは言えない、という文でのみ使われています。Ks aka 98さんが例示した削除議論では、情報源が存在しても、それが記事に反映されていないことが問題だという議論が出ています。出典がないだけで、特筆性を満たさないと読まれてしまわないよう、出典と情報源を明確に区別するために、上記で引用した英語版の表現を日本語版にも含めたほうが良いのではないかと思います。--Kusunose会話2014年2月25日 (火) 10:28 (UTC)
(追記)また、「既にある記事においては、信頼できる二次情報源による出典が提示されず、この目安を満たさないとしても」は「既にある記事においては、信頼できる二次情報源による出典が提示されず、この目安を満たさないように見えても」とした方がよいように思います。--Kusunose会話2014年2月25日 (火) 11:45 (UTC)
コメント Kusunoseさんが指摘された二つの文は、この文書の骨子としてかつ運用上も非常に重要であり、すぐにでも本文に反映させるべきだと思います。なぜ「日本語版には対応する文章がありません」という状態なのか気になったのですが、この二つは、英語版で最近加えられたものでしょうか?--みっち会話2014年2月26日 (水) 09:51 (UTC)
2つ目の文は2010年10月にWP:FAILNを書き直した時に付け加えられた物、最初の文は2011年6月に加えられています。日本語版について言えば、以前は「現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。」という英語版の最初の文と同じこと意味する文章がありましたが、改名後の編集で、現行の出典がないと目安を満たさない、という文に変わっています。#改名後の編集で意見を求められていますが、この変更については特に意見はなかったようです。--Kusunose会話2014年2月27日 (木) 11:19 (UTC)
ありがとうございます。このやりとりで嫌気が差して(真ん中に挟まれた大和屋敷さんのことではありません)議論から離れたんですが、人の意見を汲むどころか、そんなところまで手を入れられていたわけですか……。よくわかりました。--みっち会話2014年2月27日 (木) 14:25 (UTC)
該当箇所の編集理由は2つありました。文頭の除去箇所は、その後の一般的な目安に同様の文章が記載されており、重複していた。さらに文章全体の構成として、本文章の意義、目的、定義などを先に説明し、例外的な説明は後での方が分かりやすいからと思ったからです。その後の経緯は尊重しますが、編集した理由としてご説明申し上げます。編集理由は、編集後に求められれば、答えるつもりでしたし、むしろ意見や質問をして欲しかったところでもありました。(誰も何も言わないから合意したと判断しました)。--背番号9会話2014年4月16日 (水) 06:16 (UTC)
「意見や質問をして欲しかった」にもかかわらず自分からあらかじめ説明はしないわけですか。それで誰も何も言ってくれないから悪くないと。「その後の経緯」は尊重しても、出された意見は尊重しない。人間なかなかそこまでご都合主義になれないと思いますが。この文書を劣化させたという自覚がないのなら、もはやなにをいっても無駄だと思います。お疲れ様でした。--みっち会話2014年4月16日 (水) 14:37 (UTC)
  • 反対 しばらく議論を追っていなかったので、改名後の改訂内容を知らずにいたのですが、上のやりとりで判明したように、この文書にとって根本的な箇所が説明も議論も抜きで外されており、このままでガイドライン化することは問題があります。具体的には、Kusunoseさんに指摘していただいた二つの文で、以下のとおり再掲します。
    • 「記事に出典がないこと(これは情報源が存在しないこととは異なります)は、記事の対象に特筆性がないことを意味しません。」(The absence of citations in an article (as distinct from the non-existence of sources) does not indicate that the subject is not notable.)
    • 「本ガイドラインが要求するのは、適切な対象と無関係な信頼できる情報源が存在することであって、それが出典として使用されていることではありません。」(Notability requires only the existence of suitable independent, reliable sources, not their immediate citation. )
ここでは「出典」と「情報源」が厳密に使い分けされており、素直に読めば、「記事に出典が示されていない」ことがただちに削除依頼につながることはあり得ないでしょう。しかし、現状ではこの使い分けがなされておらず不十分です。上で、「特筆性のガイドラインを満たしていない記事」(WP:FAILN)節の文章表現について、Ks aka 98さんとGyulfoxさんの間で議論がありますが、この部分は、上記の文章を前提として成り立つ説明であり、これ抜きでは流れがおかしくなっています。しかもその上に「基準を満たせない記事はたいていは削除されます。」や「特筆性は一時的なものではない」(WP:NTEMP)節でも異なる文脈ですが「まず間違いなく削除されるでしょう」などの強い表現があるため、削除寄りのイメージが醸成されており、「もしある記事に」以降の記述は、「基本削除だけど、念のためにもしよかったらやってみて」くらいの印象しか与えません。本文書を誤用していまも「出典なし」=「特筆性なし」とした削除依頼が出されつづけているのは、これらが原因だと考えます。しかるに、このような運用について、これまでも私以外の利用者からも懸念が表明されていたにもかかわらず、改名後の改訂は、こうした方向性をむしろ助長するものでした。
あと、これもよくわかりませんが、呼称としてふさわしくないから改名したにもかかわらず、本文には「特筆性」が依然として残っているのはなぜでしょうか。全部とっちゃえませんか?--みっち会話2014年2月28日 (金) 09:35 (UTC)

ぱたごんさんにリバートされました[6]が、特に前半ですが元々は「特筆性」の認識に関する説明だったものを、「独立記事作成の目安」と改名を行い、今でさえ面倒くさい「出典なし」=「特筆性なし」と勘違いしているユーザーをますます助長するような、あるいは本来の「特筆性」の意味をも変えてしまうような、大切な文章の切り取りや改変などが、改名直後にどさくさのように行われたことの方が重大でしょう。これ以上誤解が増えると困るので一度戻しますよ。--Gyulfox会話2014年3月24日 (月) 04:47 (UTC)

どさくさまぎれはどちらですか?このような文章を独断で勝手に変えないで下さい。きちんと手順を踏んでください。--ぱたごん会話2014年3月24日 (月) 11:37 (UTC)
最近ほとんどログインできず、ほったらかしになってしまいました。非常にややこしい状態であることに気づかないまま、ガイドライン化を提案してしまい、見通しの甘さを恥じる次第です。今回の文章改訂ですが、いきなり編集するのでなく、事後でもよいのでノートで提案してほしかったかなとも思います。(もしかしたら、編集の意図と認識にずれがあるかもしれませんし)。「出典なし」=「特筆性なし」と勘違いしているユーザーに対しては、本文書を削除の決定打にしないように、{{notice}}で注意喚起するのも一考かと。--伏儀会話2014年3月24日 (月) 14:18 (UTC)
    • コメントGyulfoxさんの編集した形に差し戻しました。「どさくさ」を問うのであれば、まず、改名直後の改名後の編集をこそまず問うべきでしょう。この文書の性格を破壊的に改ざんする編集であり、許されるべきではありません。--ikedat76会話2014年3月25日 (火) 12:43 (UTC)
      • コメント お互いそれぞれ事情があるでしょうから、ある方が、私の編集を直後には見落としていたことは仕方ないと思います。また、各位がその時々で引き継いで、状況に応じて改良して頂くことは良いと思いますし、その経緯は尊重します。ただ、私が編集したときは、本文章が草案であること、さらに合意形成の一週間ルールを尊重して編集しています。また内容は当然思案して検討しています。手続きを踏んだ編集を、その時は事情があって見落としていた人から、随分後になって、「どさくさ」まぎれれと言われる筋合いはありません。--背番号9会話2014年4月16日 (水) 06:16 (UTC)
        • コメントみっちさんに対するコメントにおいて「むしろ意見や質問をして欲しかったところでもありました。(誰も何も言わないから合意したと判断しました)」とありますが、「意見や質問をして欲しかった」と真剣に考えていたのであれば、まず提案し、説明し、意見や質問を募ってから編集すればよいのです。それを省かなければならないほどの緊急性がどこにあるのか全く分かりません。
        • 特筆性の有無≠出典による明記というのはウィキペディアが百科事典である限り、根本的なポイントとして守られなければならないものであり、例外などではありません。ウィキペディアが百科事典である限り、その記事は必ずウィキペディアの外部にある情報を参照して書かれなければなりません。外部にある情報はウィキペディアがあろうがなかろうが関係なく存在し、その一方で出典の明記はたかだか一ウェブサイトの内輪のルールでしかありません。内輪のルールに合致しないなら外部にある情報があっても無視しようと言っているも同然の改変です。ウィキペディアの内輪のルールでいくら自家中毒しても百科事典など成立し得ないのです。それに気付かない・理解できないというのであれば、そもそも百科事典の編纂に携わることの適格性にも関わるでしょう。
        • その他、みっちさんのコメントに重なるので多くは繰り返しません。このページでの本題から外れることは承知ですが、文書の変更や合意形成に、まずは既成事実を作ってしまえば勝ち、というような考え方で臨んでいる方が管理者であるということに愕然とせざるを得ません。早い時期に信任を問われるべきでしょう。--ikedat76会話) 2014年4月16日 (水) 15:04 (UTC)抹消線。--ikedat76会話2014年4月17日 (木) 17:25 (UTC)
  • 反対 直上でいうとみっちさんがご指摘の通り、出典がないことと特筆性がないことを(文書をちゃんと読んでいないから)区別できない/(そもそも百科事典に貢献する意思を欠いているから)区別しないことにより、このガイドラインを悪用/誤用した削除依頼が頻繁に出されている現状で、このままガイドライン化することは許されないでしょう。本来、そうでなければ意味の通らない文章を含んでいますが、誤用/悪用を積極的に阻止するためには、明示的に書く必要があり、そうでない限り決して賛成できません。「{{notice}}で注意喚起する」のは、失礼ながら問題の本質から逸れた提案であって、「出典なし≠特筆性なし」という本質的な部分が本文として明示的に書き込まれない限りガイドライン化はしてはならないと考えます(現状のjawpでは百害あって一利なしです)。このままでのガイドライン化は、本文書と削除依頼をもてあそぶ削除荒らし(強いてこう断言します)のオモチャを強化するだけのことにしかなりません。絶対にするべきではありません。--ikedat76会話2014年3月24日 (月) 16:30 (UTC)
  • コメント 情報源があるが記事に反映されていない場合の取り扱いは、英語版ガイドラインArticle content does not determine notability(日本語に直すと記事の内容は特筆性に影響しないといったところでしょうか)あたりを取り込むとうまく説明できるのではないでしょうか。IPユーザーであることと、不注意で誤訳した場合に「荒らしだ!」と呼ばれかねないピリピリした雰囲気を感じるので私は訳すつもりはありませんが。 --153.186.13.156 2014年3月25日 (火) 02:59 (UTC)

「改名後の編集」の問題点[編集]

コメントみっちさん、ikedat76さんへ。内容に関しての理解は、各位のその後の意見の積み重ねで解釈が深まったというところでしたら、尊重しますし、話が拡散するのでここで反論する意図はありません。

しかし、私の行為に対する批判に関しては、みっちさんやikedat76さんの意見が誤りです。ikedat76さんは2014年4月16日 (水) 15:04 (UTC)のコメントで:

「文書の変更や合意形成に、まずは既成事実を作ってしまえば勝ち、というような考え方で臨んでいる方が管理者であるということに愕然とせざるを得ません。」:と述べています。

これは完全に慎重さを欠いた誤解です。そういう考えをしていると、私の意図に対し何ら質問もせず断言するのは、単なる印象操作です。
繰り返しますが、手続きを怠った訳ではありません。また2013年9月24日 (火) 12:28 (UTC)で私はこう述べています:
推敲の過程で、大分文章も手を加えましたので、各位確認の上、ご意見お願いします。あるいは強い反対がある場合は差し戻して頂いて結構です。:以上。
その後の変更も、この精神で行っています。都度時間を取っており、ノートで意見を待ち、各位の反応を待っています。その後Dwyさんが反応し、その意見も尊重しています。私は、自己の編集が完全だとは思っていませんし、何か問題が内包している可能性を常に考慮しています。そのため、自己視点に頼るのではなく、他者の視点からの意見も待って、調整し発展させたいと思っています。そのために、時間を取り、ノートでも意見を求めています。その行為に対し、それでは不十分だとするのは、ikedat76さんやみっちさんの個人的な見解です。繰り返しますが、手続きにのっとって各位の意見も尊重し、意見も待って、対応している。それ以上の慎重を要求するのでするのであれば、対応のすぐ後にして頂きたいです。
そしてこちらが準備して十分に時間を取ったタイミングを、自己の事情で逃したうえで、自己の意見に沿わない編集をした者に対し、上のような解釈をほとんど確認もせず、断言するのは、慎重さを欠いています。確認をとれない緊急性がどこにあるのか全く分かりません。また、その後に随分長い間にも意見もしていません。そして他者に対して慎重な対応を求めるのならば、自己の対応や意見に対してもそれ以上に慎重にお願いします。--背番号9会話2014年4月17日 (木) 00:43 (UTC)

幾人かの方も述べておられるとおり、背番号9さんの編集は「推敲の過程で、大分文章も手を加えました」で済まされる問題ではありません。前回の発言でも言っている通り、この文書を跡形もなく歪める(とりわけその精神を)種類の編集であり、それを「推敲」程度としている時点で、自身の編集がいかなる意味を持つかを理解できていないか、逆に、分かってなおも言っているのであればそれこそが印象操作というものです。--ikedat76会話2014年4月17日 (木) 14:27 (UTC)

ikedat76さんに申し上げます。ikedat76さんは、編集した内容に対しておかしいといっているようですが、私は自己の編集は誤りを含む可能性を常に考慮していることを繰り返し申し上げます。そのため、問題にしている編集内容に対しても、意見や異議を頂き、差し戻し、改良頂くことに反対しておりません。また、編集時にも各位にそのチェックをお願いし、そのために十分に時間も取っています。手続きも踏んでおります。それで、ずいぶん後になって、その編集行為を「どさくさ」なり問題にされる言われはありません。以上は2014年4月17日 (木) 00:43 (UTC)などで申し上げた通りです。次に、WP:POINTにある印象操作にはこうあります:
他の編集者の行動や言動を、無分別であるかのように印象操作することがあります。これもルールを悪用した行為となります。(中略)元の発言者が明らかに意図していないであろう解釈の仕方は、当然無効です。:以上。
この文章がいかなる意味を持つのか理解できていないのでしょうか。私が他者の行動や言動を、無分別であるかのように印象操作したでしょうか?発言者が明らかに意図しないであろう解釈の仕方をもって、誰かを批判したでしょうか?しかし一方、私の意図を確認することもせず、勝手に私の考えを推し量りikedat76さんは2014年4月16日 (水) 15:04 (UTC)で:
「文書の変更や合意形成に、まずは既成事実を作ってしまえば勝ち、というような考え方で臨んでいる方」:と私を定義していることに対して、上記印象操作の文章の通りであり、だから印象操作だと指摘いたしました。
もう一回言います。問題視されるような編集行為をしておりません。私も自己の都合で長い期間抜けていたので、その間の内容に関する議論や合意を、無効だとか、「どさくさ」とか、問題だ!というつもりはさらさらありません。また、だれかが提案、編集した行為を非難することはさらにありません。自分が参加していなくとも、参加してない間の議論や合意は尊重する。当たり前のことですから。ただし、ikedat76さんが参加してない間の、私なりに慎重に手続きを踏んだ行為を問題視するのならば、強く反論いたします。
そして最後に、直上のikedat76さんの意見には、で結局の結論が書いておりません(または不明瞭です)。何か私に質問したいのか、反対したいのか、依頼したいのか、いいたいことをいいたいだけなのか、今後はメインとなる主張、結論を分かりやすく明示してください。ikedat76さんの意図を明瞭にして頂ければ、よりちゃんとした回答ができると思うからです。--背番号9会話2014年4月17日 (木) 15:26 (UTC)

2点を求めます。こうまで直截に言わなければならないことを残念に思います。

  • ご自身の推敲がガイドラインをゆがめる重大な改変にあたることを認識すること。それも、誤る可能性があることは分かっているという抽象的な一般論ではなく、具体的な特定の編集に対して。
  • そして、かかる編集を事前に図るべき合意なしに行った誤りを認めること。--ikedat76会話2014年4月17日 (木) 15:58 (UTC)
両者とも現状否定します。
  • 1つ目はikedat76さんがそう認識するのは構いませんが、それを私が同じように認識を強いられる理由が今のところありません。
  • 2つ目の点は、強く否定します。というか、上の私の意見読みました?何度も言っている通り、各位の意見を待って対応していることを、誤りとするのも、されるのも理由がありません。
そして、同じくikedat76さんに4点要請します。うち2点は、互いの意見を理解するためのものです。
  • そもそも、上記2点を私に「認識させる」という私の内面へ要求をされても、本文章の発展に全く無意味に思うのですが、何か意味があるのですか?ご教授ください。
  • 主張は分かりましたが、理由も分かりやすく、簡潔に伝えてください。人が言っているということではなく、引用を用いながら、簡潔に、分かりやすく、感情的な表現は抑え、論理的にお願いします。説明能力も百科事典編集に必要な能力だと思いますので、くどいと思わずお願いします。
  • 貴方が残念に思うことを一々表明頂かなくとも結構です。何の役にも立たない情報なので。
  • そして一番の要求です。2014年4月16日 (水) 15:04 (UTC)で「文書の変更や合意形成に、まずは既成事実を作ってしまえば勝ち、というような考え方で臨んでいる方」と私を定義していることに対して、誤りを認めて下さい。理由は上二つの意見の繰り返しになります。読んでくださいね。本件を断る場合は、仕方が無いので、その是非を第三者に問い、意見を求めます。
--背番号9会話2014年4月17日 (木) 16:53 (UTC)

私とちがって背番号9さんは管理者であり削除依頼において記事を削除する権限をゆだねられています。さて、削除依頼を見るに、特筆性とはウィキペディア外部にある情報源の存在であり、それが記事に反映されているか否かとは独立した問題だということを理解することのない依頼があまた出されています。《特筆性の有無≠出典として明記されていること》という点を理解しない管理者がいれば、それだけ不適切な削除が行われる可能性が増します。その意味で、管理者が方針やガイドラインを不適切に理解していることに対する害は、権限を委ねられていない私とは比較にならないものと考えます。だから、それを正すことを求めています。

そのことをココで問うべきことなのか、という点に関しては議論の余地なく適当であったとまでは主張しませんが、しかしながら、上記の不等式がいわば特筆性という考え方の、または、ウィキペディアが百科事典であることのコアにあり、第3者に認識されるべき重要な点であると考えたため、この場でやり取りを続けました。

日本語版でのこの文書は英語版の文書を範としていました。全ての言語版で事情が同一なわけではない、それはその通り。しかしながら、上記の不等式は英語版に示されている考え方のパラフレーズであって、その考え方はKusunoseさんや手近な所ではみっちさんの2014年2月28日 (金) 09:35 (UTC)の発言中に引用されている通りで、私の勝手な考えであるとするのは誤りです。お名前を出しましたが、みっちさんもまた背番号9さんの「推敲」を批判しておられました(あきれて手を引かれたようですが)。それらを銘記する必要もなければ、推敲(推敲というのは文章の趣旨を変えることではありません)の名で除去しても構わない程度のものだと考えるのであれば、もはや語るべき言葉を持ちません。

外部の情報源の存在、それをどう記事にするか/しないか、そして記事を書くに当たって情報源の存在を明記すること。これらの関係についてちゃんと考えることは、管理者であるなしを問わずウィキペディアに参加するのであればしなければならないことのはずです。

最後の点について私は誤りだとは思いません。履歴上の時系列と言葉は嘘をつきません。しかし、そのことが理解の妨げになるというのであれば、誤りと認めたわけではないという但し書きつきで、抹消線を引きます。それでも事実は残り、第3者がそれなりに判断するでしょう。これが可能な最大限の妥協です。--ikedat76会話2014年4月17日 (木) 17:25 (UTC)

とりあえず、最後の要求に関し上記対応を頂いたことを謝辞申し上げます。追って詳細の回答をいたします。ありがとうございます。--背番号9会話2014年4月17日 (木) 17:28 (UTC)
コメント行為に対しての非難はおおよそ済んだみたいですね。求められているのもあるので、内容に関しても議論の相手申し受けます。
《特筆性の有無≠出典として明記されていること》
という解釈は、大いに同意します。おっしゃるように、特筆性は立証されていないだけで、潜在的に存在する状況もあると存じます。また、出典の明記だけが特筆性の立証手段ではないと思います。その思いは私も持っており、例えば[7] において、なるべくそれ以外の立証方法を明確化させたいと思いもあり、編集しています。他にも英語版を参照して、ニュース記事に関して、一定レベルの規模のニュースは、出典を明記しなくとも特筆性を推定できる、という内容を盛り込んだ編集もしています(途中で抜けちゃいましたが)。また、できるだけ各種プロジェクトや、他の特筆性関連の文章の充実により、より拾うべき記事を拾える環境が整えば最高だと思っています。
ただし、特筆性の立証責任なり、情報源の確保は記載を求める側、存続を求める側にあると思います。例えばWP:BURDENにはこうあります:
出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません。:以上。
無いことを主張する方に、立証責任を求めるのは悪魔の証明であり公平ではありません。また、特筆性の立証手段は「客観的」である必要があると存じます。これは、私が手を入れるずっと以前からある記述です。
私がここに参加している意図は、より削除をしやすくなることを求めているのではなく、曖昧さを少しでも廃し、より「客観的」な基準なり立証手段を明示することにより、審議にかかる人的コスト低減、トラブル防止を求めることが、一番の理由です。
ということで、未だikedat76さんの求める要請に応えるだけの理由が揃っていないのが申し訳ないですが、考えているところの共通点も見いだせたのではないでしょうか?ご意見お待ちします。
あと、みっちさんの意図「あきれて」を推測しているようですが、他者の意図を確認せず勝手に推し量るのはやめましょう。その通りかもしれませんが、単にめっちゃ忙しいとか、家族が五月蝿いとか、ネットが繋がらないとか、他の理由も十分考えられますし、どういう背景があろうとみっちさんの自己都合であり、またそのような意図の推測は必要も無いことです。--背番号9会話2014年4月17日 (木) 18:12 (UTC)

コメント:先ほど背番号9さんから私のページにコメントの要請が入りました。

  • ①《特筆性の有無≠出典として明記されていること》についての見解としましては、「特筆性」は外部に存在するものであるというikebat76氏の意見を強く支持します。特筆性は「この程度検索したが見つからない」ことはあっても、記事自体の出来の悪さから判断して、あるいはタグが放置されたからと言って、調べもせずにない、ない、ないなど言うものではないのです。 背番号9氏のおっしゃる通り特筆性のなさの完璧な証明は確かに無理なことですが、少なくとも削除に賛成する以上は、自分はこれだけ調べたと提示する説明責任があると思います。それらが議論の積み重ねによって重複して強化されていき、最終的には全会一致でないにせよ管理者が適切に判断して、削除なり存続が決定されるべきものと思われます。--Gyulfox会話2014年4月19日 (土) 12:28 (UTC)
  • ②背番号9さんが改変に当たって手続きを踏んだかについての見解としましては、ノート上で示されている以上形式的に踏んだと言えるでしょう。 ですが文書削除の影響の大きさと比例して該当の改変は重大であり、現実に起きている①に起因する誤解を助長させかねないことから、告知の十分さ不足の観点から「ルールの悪用」すれすれをやったと思われます。--Gyulfox会話2014年4月19日 (土) 12:28 (UTC)
  • ③みっちさんが、あきれて何かをしないのは、ユーザーの自由であり背番号9さんもそれを責めているわけではないと思います。ガイドラインがより多くの支持を受けられるためには、そうなってしまう前にみっちさんの懸念が何であるのか説得への丁寧さが欲しかったと思います。 またみっちさんは文章の改変が重大であると直感したのなら、より多くのユーザに告知、あるいは反対を表明してリバートを1回だけかけるなど、明確な反対の意志を見せて欲しかったです。--Gyulfox会話2014年4月19日 (土) 12:28 (UTC)
  • ④ガイドライン化については、今の版で十分特筆性とは何かが誤解なく説明されていて、かつどのように存続/削除されているかが説明されており、ガイドライン化されて良いと思います。ガイドライン化されたからと言って聖域になるはずもなく、運用上マズすぎれば、あるいは悪用が過ぎれば草案に落とされることもあるでしょう。--Gyulfox会話2014年4月19日 (土) 12:28 (UTC)
①削除側の、努力目標なりを記載することは問題ないと思います。ただし、その努力の程度を問うのであれば、客観的な手続きを明記する必要があると思います。これだけ調べた、というのがどこで線引きをするのか、フェアーなラインを提示できなければ、ルールとして不完全です。それをちゃんと記載できなければ、逆に無限の努力を要求されるなど、過度の負担に成ります。--背番号9会話2014年4月19日 (土) 14:11 (UTC)
②Gyulfoxさんがそう思うのは勝手です。解釈の問題です。好きに思って下さい。WP:RULES#内容の修正には確かにこうあります:
方針を修正するには、(必須というわけではありませんが)修正する前にまずノートページで提案してください。そして変更内容に異論がないか、または議論において合意がなされたなら、修正します。議論の結論がはっきりしない場合には、議論から中立な第三者による評価に委ねるのが望ましいでしょう。
大幅な修正を行う際には、コミュニティ全体へ告知するべきです。告知は提案の時と同様の方法で行うとよいでしょう。なお、書式や文法の修正などの細部の編集はいつ行ってもかまいません。
現在行われている議論における自身の主張を裏付けるために方針を修正しようと試みることは、ルールの悪用とみなされかねません。その編集者が議論に参加していることを公表することなく方針を修正しようとする場合は特にそうです。:以上
Gylfoxさんのように解釈する人がいる事も理解できます。同時にカッコ書きには必須ではないという記載があります。さらにこれは「草案」段階であります。改名に伴い大規模な周知も出しております。改名には多くの方に参加頂き、衆目監視の中で編集しています。「現在行われいる議論における自身の主張を裏付ける」というのも該当しません。該当箇所の議論は、ずっと後になって始まったことです。そして、確かに手続きを踏んだとGyulfoxさんも認めて頂きました。それでも勝手に編集をして!という人が現れるだろうことを想定して、わざわざ「差し戻して頂いて結構です」とまで書いています。
何より、この「特筆性」というのを名称から消したいというのは、私の希望ではなく、みっちさんの希望です(2013年6月14日 (金) 11:09 (UTC)、2013年6月18日 (火) 11:10 (UTC))。私は名称は気にしていないが、各位の意向を汲んで半年かけて改名しています。
折角名称で「特筆性」という表現を取ったんだから、タイトル通りの内容にしようよ、という意見が、タイミングは違いますが少なくともみっちさんはしています(2014年2月28日 (金) 09:35 (UTC))。そういうみっちさんをはじめとする各位の意図を反映できるように、昨年の半年間努力しました。名称変更前後で内容の不一致を放置するのは健全でないこともあり、速やかな編集が必要と感じていました。各位の合意を取り付けるために、内容を提案し、反対意見に対応し、云々としていると、その間ずっと、不健全な状態が続きます。そして、そういう細かい手続き順番の細部はこだわると何もできない状況でした。例えば2013年8月26日 (月) 11:05 (UTC)の私のコメント:

下の節に名称変更に前後しての要望も出ておりますが、WP:Nは現在「草案」の段階であること、また名称の変更自体はどなたも反対していないことから、ガイドライン化に向け、手続きの順番の細部にこだわることなく、進められるところから進めたいと思うからです。これに対しての異議があれば、ご意見下さい。:以上。

名称変更に関してですが、そういう段階でやっている。そのため、問題にしている箇所の編集は、名称変更後、文章名は「独立記事作成の目安」なのに、内容は「特筆性」の説明しかない文章は不自然でしたので、その不自然さ解消を目的に編集しています。名称変更に伴い、全ては除去できなくとも、文頭とWP:GNGだけでも、できるだけ「特筆性」という単語を取り、定義文だけ残し、詳細な「特筆性とは何か」という説明はWP:NRVEで始めるようにした。そうすれば、文章名と内容との乖離が大きく低減するからです。初心者でも「特筆性」という単語を言及しなくとも、意味が掴めるよう、説明できるようにしました。なんで誤解が出ているか分かりませんが、そのため問題にしている二次資料が無くとも云々というのは、WP:GNGに移しただけで消してはいませんよね。以上、文章の分かりやすさと、名称通りの内容になるようにしただけです。そして、問題としている箇所の編集も、それ以外の編集ポイントは無風ですよね?もう一回いいます。改名後の内容を自然な形にする目的で、該当箇所は編集しております。一箇所、疑義が随分あとから発生したから、その時の編集を随分さかのぼって「ルールの悪用」だ、「どさくさ」だ、とか遡及して言われる理由も筋合ももうとうありません。特に、みっちさんに行為と意図を疑われたと思うと、誰の意見ために、半年かけて、各位の善意に縋って、コメント依頼だして、投票して、アイデア貰って、意見を募って、対応して、莫大な労力と精神力と時間を掛けてやっているのは分かりますよね?とちょっと、ほんと、申し訳ないが、平静でいられなくなります。何かの誤解だろうと、コメントしたら、逆切れされるし。
さらに、それらを全部否定したとしても、この論点をここでこれ以上問われても、何の発展性も無いと思いますので、もうここでは止めて頂けませんか?これ以上この件で問うならば、本文章の発展に寄与しないので、別の場所でやりましょう。これに関しては、何があっても全々力で否定しますよ。
④ガイドライン化提案にご賛同頂きたと解釈します。ありがとうございます。--背番号9会話) 2014年4月19日 (土) 14:11 (UTC)--感情的な記述の除去。取り乱しました。失礼しました。--背番号9会話2014年4月19日 (土) 15:42 (UTC),2014年4月19日 (土) 15:50 (UTC)
②に関して追記します。該当箇所の編集は「どさくさ」では無かったかもしれませんが、改名に伴い「どたばた」はしていたと思います。編集目的も、上に書いた以外の他意はありません。自己の主張をこの際入れてやろう、という「どさくさ」的な意図はありません。何か誤りがある可能性は考慮しており、誤りは各位の訂正を期待しながら編集しています。そのため内容に異議を持っていただく分には構わないのですが、行為や意図を疑うのはそろそろご容赦下さい。--背番号9会話2014年4月19日 (土) 16:26 (UTC)
1点確認。「二次資料が無くとも云々というのは、WP:GNGに移しただけで消してはいませんよね。」と力説されているのは次の箇所で間違いありませんか。--みっち会話2014年4月21日 (月) 13:27 (UTC)
「既にある記事においては、信頼できる二次情報源による出典が提示されず、この目安を満たさないとしても、独立記事として収録するだけの特筆性がない、とも言い切れません。」
そうです。問題にしている編集では、名称変更に伴う文章の不自然さを解消することを目的にしており、なるべくその内容を削ったり足したりしないように考慮しています。文章の流れで、文頭は、「記事立項の目安」を示すという本文章の目的の説明を置き、すぐ直下にWP:GNGがあることから、二次資料と特筆性の関係性の記述はそこに集約しました。そのため、みっちさんがおっしゃるように、二次資料が無くても記事として存続OKな場合があるから注意してね、という注意書きの記述を移して追記しました。誤解は解けたでしょうか?--背番号9会話2014年4月21日 (月) 17:17 (UTC)
あなたは、この文章を読んで、おかしいと思わないのですか。Kusunoseさんや私が先に挙げた文章と比較しても違いがわかりませんか。--みっち会話2014年4月22日 (火) 10:54 (UTC)
返信 上記「この文章」とはどの文章ですか?「Kusunoseさんや私が挙げた文章」とはどの文章ですか?比較しようにも、何を比較したらいいのか分かりません。基本的に、私はみっちさんではありません。みっちさんが考えていることは、私に伝わっていないと思って、「これでも分からないのか!」と考え説明放棄する前に、分かるように説明する努力をせめてして下さい。今現在の私の認識は、私が名称変更に伴う「推敲」で、編集当時は編集当時で相応の配慮と手続きを取ったにもかかわらず、一点思っていた記述が冒頭より無くなったことに随分後になってみっちさんなどが気づき、それを根拠に私の悪意を疑い、違うよって誤解を解きに来た私を、無条件で悪者扱いし、罵倒し、説明拒否し、結局無くなったと思っていた記述は、(WP:GNGに移動しただけで)無くなってはいなかった。なんなんだこれ?という認識です。内容に異議があるなら、冷静に変更提案すればいいでしょうに、私個人を責める必要性がどこにあるのか、全く分かりません。分かりませんが、これ以上問わないなら、こちらもみっちさんの今回の言動を、広く第三者に問うことは、無益なので止めようと思っていますので、下節の冒頭部分をどうするかの議論に加わって下さい。そちらの方が、誰にとっても建設的だと思います。--背番号9会話2014年4月22日 (火) 11:34 (UTC)

(インデント戻す)私が指している「この文章」が直上に挙げたものであることは論を待たないし、「Kusunoseさんや私が先に挙げた文章」は文字どおりすでに2回示されており、あなたの度重なる長文投稿によって見通しが悪くなっているとはいえ、容易に見つかるはずですが、背番号9さんにはどうしてもおわかりでないようなので、以下に再掲します。

  • 元の文章
「現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。」
  • 背番号9さんが移しただけで消していないとする文章。
「既にある記事においては、信頼できる二次情報源による出典が提示されず、この目安を満たさないとしても、独立記事として収録するだけの特筆性がない、とも言い切れません。」
  • Kusunoseさんによる英語版からの翻訳
「記事に出典がないこと(これは情報源が存在しないこととは異なります)は、記事の対象に特筆性がないことを意味しません。」
「本ガイドラインが要求するのは、適切な対象と無関係な信頼できる情報源が存在することであって、それが出典として使用されていることではありません。」

さて、なにが違うかおわかりですか。建設的というのは、過去の自分の行動をうやむやにしたり正当化することではないでしょう。なお、私の言動についてなにかなさりたければお好きにどうぞ。--みっち会話2014年4月23日 (水) 14:15 (UTC)

返信 まず、みっちさんの結局の結論なり、主張なりが分かりません。私に何をして欲しいのか、何を主張したいのか、みっちさんの意図はずっと表明頂けていません。「分からないですか」と繰り返されても、みっちさんの意図は分かりません。そこが分かればそれに応じた対応を図れます。
次に、私の行動を問題にするならば、比較は英語の翻訳ではなく、私の編集の前後の比較が妥当と存じます。編集前のWP:Nの2013年9月23日 (月) 16:03 (UTC)の冒頭から引用:
後述の#一般的な特筆性のガイドラインを満たしているか、各分野での特筆性の基準を満たすならば、記事主題は十分に特筆性があると推定されます。現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。
:そして編集後の2013年9月24日 (火) 12:20 (UTC)の版の冒頭部分とWP:GNGの節末から引用:
(冒頭部分)本文章を要約すると、後述の一般的な目安あるいは各分野での特筆性の基準を満たすならば、取り扱う対象は、独立記事として作成、収録するだけの特筆性を有すると推定される、となります。
(WP:GNG節末部分)既にある記事においては、信頼できる二次情報源による出典が提示されず、この目安を満たさないとしても、独立記事として収録するだけの特筆性がない、とも言い切れません。
:以上、今のところ、文章名変更に伴う合目的な「推敲」だと存じます。また、仮に私が「推敲」といっている編集内容に異議があったとして、それは編集や編集提案で対応できることです。随分後になって、英語版の翻訳を持ち出して個人攻撃することではありません。--背番号9会話2014年4月23日 (水) 19:27 (UTC)
私の立場は2月28日の反対意見ですでにお示ししています。もちろん、このやりとりの結果によっては新たに表明することがあるかもしれませんが、それは背番号9さんの対応次第です。これは個人攻撃のためではなく、あなたのいう意図に対して実際の編集がどうだったのかを検証するとともに、問題点に気づいてもらいたいから聞いています。私は問題を感じている部分を絞り込んだ上で聞いているのですが、あなたは言を左右して編集前後で具体的に何が違うか答えようとされないので、こちらから書きましょう。あなたは「この目安を満たさない」という言葉を新たにつけ加えていますよね(先に挙げた引用に、わかりやすいよう太字にしておきました)。これはなぜですか。もうひとつ、編集時点ではともかく、いまは英語版の記述と比較しておかしかったと思いませんか。それとも英語版は参考にしないという判断ですか。--みっち会話2014年4月24日 (木) 12:40 (UTC)
返信 やっと、私にも意味の分かる返答を頂きました。よかったです。大体分かってきました。誤解を解くため、先にご回答下さい。私が該当箇所を冒頭からWP:GNG移動させた事手続きなどを問題にしているのではないのですね?手を加えた内容がおかしいのではないかと言っているのですね? 2014年2月26日 (水) 09:51 (UTC)でみっちさんは:
Kusunoseさんが指摘された二つの文は、この文書の骨子としてかつ運用上も非常に重要であり、すぐにでも本文に反映させるべきだと思います。なぜ「日本語版には対応する文章がありません」という状態なのか気になったのですが、この二つは、英語版で最近加えられたものでしょうか?
:ともおっしゃっていたので。みっちさんに対しては、個人的に信頼感を持っていたので、誤解さえ解消されれば、私としては、今回の第一の目的を達成しています。私も、みっちさんと他の方の発言とを混同している所もあったみたいです。失礼しました。
次に、ご質問に回答申し上げます。一つ目の「この目安を満たさない」という言葉を新たに付け加えた意図ですね?以下、全て記憶を頼りに記載している事を、予めご了承下さい。
「信頼できる二次情報源による出典の明示が無い=一般的な目安を満たさない」と解釈しました。編集元になった、編集前のWP:Nの2013年9月23日 (月) 16:03 (UTC)の冒頭部分:
後述の#一般的な特筆性のガイドラインを満たしているか、各分野での特筆性の基準を満たすならば、記事主題は十分に特筆性があると推定されます。現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。
:ということから、一般的な特筆性のガイドライン(WP:GNG)などで特筆性を満たされる状況が説明されてから、注意書きという流れだったので、そこから切り離して持ってきた事と、WP:GNGの節末ということから、補足して記載しました。
次に「英語版は参考にしないという判断ですか」という問いですが、「参考にしています」。ただ全てを参考にしているわけでも無い、というところです。編集のときも、元にあった文章をまず大事にし、その意図は何だろう?精神は何だろう?と考えています。次に、元々の文章の意図を解釈するために、何度も英語版にも当たっていたと記憶します。しかし、直訳的な内容で分かりづらい箇所も散見しましたし、英語版を全てコピーしていては、「独立記事作成の目安」という名称にしても、その名称に則した内容の文章には到底たどり着けません。また、2014年2月28日 (金) 09:35 (UTC)には、「本文には「特筆性」が依然として残っているのはなぜでしょうか。全部とっちゃえませんか?」とみっちさんも言っているため、完全に英語版に則せ、というつもりもみっちさん自身も無いと思います。そして、必要であれば例を加えたり、「私が思う」補足を加えたりしています。先の「この目安を満たさない」の追記もその一環です。
ご回答になったでしょうか?編集時にも、懸念を残す所もあったように記憶しますが、名称変更にともないスピーディさが必要であったことから、足りない所は、各位の力とチェックにわりと信用して編集していたと記憶しています。と言う所で、内容に関して異議があれば、都度、編集なり意見なり編集提案なりして下さい。当時、私が何を考えていたかの記憶も、段々と戻ってきており、また私が抜けていた間の状況も次第に把握できました。誤解さえ解けたのならば、冷静に話できると存じます。追加で質問があればお願いします。--背番号9会話2014年4月24日 (木) 17:36 (UTC)
「該当箇所を冒頭からWP:GNGに移動させた事や手続き」についてはっきりいえば、問題だと思っています。背番号9さんがこの文章を移動させ、新たな言葉をつけ加えたことによって、この文章の本来の役割と意味が失われたからです。そして、その影響の大きさを考えれば、手続きの点においても不十分・拙速のそしりを免れないと考えるからです。ちょっと長くなりますが、順を追ってもう少し詳しく書きましょう。
そもそも私は、タイトルの問題に加えて、この文書が事実上の削除基準として働いていることに懸念を示していたはずです。私の問題意識はほぼこの2点に尽きるといってもいいくらいです。しかしこのとき私に対する背番号9さんのコメントにはがっかりさせられました(もはや引用しませんが)。こんな紋切り型の人だったっけ? と思いました。とはいえ少なくとも改名の方向には反対でないし、削除についての懸念はかげろんさんやopen-boxさんからも同様の意見が出されていましたから、あとのことはさほど心配せずに議論から離れました。と、ここまでが前段です。
ところが、Kusunoseさんの指摘により、「改名後の編集」によってこの文書の重要部分が失われていることが判明しました。英語版の趣旨は、「特筆性」(私はこの用語に否定的ですが便宜的に使っています)の判断において、記事に出典が示されないことは情報源がないということを意味しない、すなわち、出典明示がないからといって「特筆性」なしとはいえない、というものです。ここでは(ウィキペディア上の)「出典」と(ウィキペディア外の)「情報源」を区別しているというのは、すでにKusuneseさんのご指摘のとおりです。したがって、背番号9さんご自身が示された、「信頼できる二次情報源による出典の明示が無い=一般的な目安を満たさない」という解釈は成り立ちません。しかし、あなたは元の文章に「この目安を満たさない」を加えることによって、この文章を変質させた。これが最大の問題です。それだけでなく、あなたはこの文章を元の冒頭部分から次の節の末尾に移すことによって、目立たなくさせた。仮にも人の意見を尊重・配慮するつもりがあれば、これらは到底あり得ない編集だと私は考えます。手続きの上でも、事前に説明・議論することもなくこのような重大な変更をするべきではありません。一週間コメントがなかったからといって正当化できるものではない。
その後、この間のやりとりによって、背番号9さんの意図がどのようなものであったかが説明されましたが、実際に行われた編集についていえば、上記の判断を覆すようなものはないと考えています。ただし、実のところ私自身もこの文書について、どうもわかりにくく、どうするのがよいのか以前からもやもやしていたことも事実です。そうした認識を改めさせてくれたのが、Kusunoseさんのご指摘でした。現在のような誤った運用がなかなか是正されない理由、元々この文書自体がなにをいっているのかわかりにくい理由は、おそらく元の翻訳の不正確さにあるのではないかと思い至りました。そうした観点から背番号9さんの編集を見れば、編集前の元の文章自体がすでに不十分で誤解の余地があり、これに「この目安を満たさない」が付け加わるまでにはそれほどの距離はないのかもしれない、とも考えられます。言い換えれば、Kusunoseさんの指摘がまだない時点で、元の文章を触るだけの条件下では限界があったということは理解します。これについて、「編集時点ではともかく、いまは英語版の記述と比較しておかしかったと思いませんか。」という私の質問に、背番号9さんはいまだお答えいただけていませんが、いかがでしょうか。とりあえずはここまでとします。--みっち会話2014年4月25日 (金) 14:48 (UTC)

返信 (インデント戻して)みっちさんに。最初に、私の方針を提示いたします。みっちさんは、多くの記事を書き、(以前から)私の敬意の対象です。純粋に「記事を書く利用者は、一番偉い!」という個人的な感情からです。そういう考えもあるため、私がこう言うのもおかしな話ですが、ウィキペディアにおいて、審議などの業務は、記事を生み出さない、本来的には不必要な作業であると考えています。そのため、そういったところに各位の貴重な人的資源を浪費させるのはもったいないと思っています。記事そのものよりも、記事を生み出す各位の方がjawpにとって財産である。という認識です。その人的エネルギーは、記事書きに、あるいは資料調査に、あるいはjawpに関係しなくとも、それぞれの人生の充実に使うべきだと考えます。ルール整備でもその考えから「人的コスト低減」と、「トラブル防止」を主目的にし、「明確さ」「分かりやすさ」「定型化」「客観性」「論理性」「正式化」「妥当性」などの希求を方針としています。今回の編集も同様です。

次に、みっちさんの懸念を、私が理解し、共感しているとは限らないことを申し上げます。例えば、削除と特筆性に関わるみっちさんの懸念は感覚的には共有していません。一方、上記の目的と方針のために、jawpとして妥当な懸念であると理解できれば、私自身の本来の意見と正反対のことでも、取り込んで活動するようにしています。懸念や意見が表明されたときに、あえての極論や反論を投げかけることもあります。妥当な理由の引き出しや、意志確認を図るためです。しかし、全てを理解し、全てを汲み、全てを共有しているわけでは無いので、認識の齟齬は発生しうると存じます。その齟齬発生の可能性も常に考慮し、意見や異議、反論を受け付ける心構えはしているつもりです。ところが今回は、私の編集とそれに伴う対応に関し、異議が発生したタイミングに、私自身がjawpの本格的な活動から抜けていた。そのため、各位に適切な説明ができず、失礼をかけたのだと思います。今後は、自分自身が活動を継続できない可能性も考慮して、対応しようと思います。(私も事情が無いわけでは無いので)

最後に解釈に関してですが、「出典明示が無いからといって、特筆性なしとは言い切れない」という解釈は賛同しています。また、それを明瞭に文章に盛り込むことにも賛同します。つきましては、大きくは賛同しますので、英語版とどうこうとか、出典と情報源は違うとか、一般的な目安がどうこうとか、その辺のところは、具体的に文章に落とし込んで修正案を提示いただければと存じます。何だか、論点が曖昧で、主観も入り、jawpにとって話が前に進んでいる感じがしません。しかし、修正案があればより客観的に話ができると思いますし、なによりみっちさん(ならびに各位)の考えている所を明文化し、jawpに広く定着を図る方が、互いの目的に合致すると思います。下の節でGyulfoxさんと協議し、冒頭を修正する提案をしておりますので、それに乗っかっていただいても構いません。

というところで如何でしょうか?--背番号9会話2014年4月28日 (月) 12:41 (UTC)

Gyulfoxさんはガイドライン化に賛成されたとのこと。私一人が反対(1月23日 (木) 01:50 (UTC)に表明)していたら問題ですので、他にガイドライン化への懸念を持たれる方が皆無となった場合は 賛成 といたします。ikedat76さんも賛成となられたのでしょうか。でしたら。--Benzoyl会話) 2014年4月19日 (土) 23:08 (UTC)--Benzoyl会話2014年4月19日 (土) 23:10 (UTC)
コメントご回答ありがとうございます。一言だけクレームを言わして下さい。貴方は、自身の意見の根拠は、人任せなのですか?誰かが反対していたら反対。誰も反対しなかったらやめる。論理的ではありません。先の反対理由も、Gyulfoxさんの反対を自身の反対の根拠としていました。そして今回も、ikedat76さんが反対をやめたらやめる。その反対理由が的確であれば、他者は関係ありません。自身の言葉で、自身の意思を説明して下さい。少なくとも、百科事典の編集に携わろうとするのならば、その程度の説明能力を期待します。その上で、妥当な反対理由があれば、それを取り込むなり交渉する努力を致します。
ただし、ほんとにGyulfoxさんの反対理由とBenzoylさんの反対理由が同じであるのであれば、その反対理由が喪失した段階でBenzoylさんの反対理由も喪失すると思います。ikedat76さんと関係なく、自己の今現在のご意見をお聞かせください。--背番号9会話2014年4月21日 (月) 17:17 (UTC)
私がいつ賛成に転じたのか教えていただけますか?Benzoylさんは何を言っているのでしょうか?人が賛成したから賛成?自分の頭で考えるということが出来ないのでしょうか。そうなら、引っ込んでいてくれませんか。--ikedat76会話2014年4月22日 (火) 12:08 (UTC)

「ただし、特筆性の立証責任なり、情報源の確保は記載を求める側、存続を求める側にあると思います。例えばWP:BURDENにはこうあります」。こんなとんでもない見解が平気で開陳されるような水準の議論しかなされていないのに、ガイドライン化が出来るわけがありません。この件は既に一度井戸端のトピックに挙がっており(Wikipedia:井戸端/subj/特筆性を担保する情報源を探すのは誰の責任か)、誰一人賛成しませんでした。

特筆性とはウィキペディア外部に情報源が存在するか否か、であって、その存否はここでウィキペディアの利用者がいくらガイドラインの文言や解釈を云々しようが、恣意的に否定することは出来ません。ウィキペディアなどあってもなくても、そうした情報源の存在は揺るがない、という意味で客観的な事態です。それに対し、WP:BURDENはたかだかウィキペディアという一ウェブサイトのローカルルールに過ぎず、ウィキペディアがなければたちどころに無意味になります。いわばPOVに依存したものという意味で主観的なものに過ぎません。そのような主観的なものに客観的な事態を左右させようというのは全く誤ったことです。方針やガイドラインが記事を書くわけでもないし、方針やガイドラインをいくら眺めても記事は決して書けません。

そもそも、文書間の構成や整合性という観点からしても全く誤った解釈です。記事が成り立つか否かの規準に、記事が成り立ってから初めて意味を持つルールを持ち込むのは全くの倒錯であり、方針とガイドラインの構成を全く踏まえていない謬見という以外の表現は不可能です。

強調して言うなら、特筆性を証する情報源が明記されていないときに、その情報源が存在することが明らかな限り、それを記載する責任は全員にあります。百科事典としてのウィキペディアに迎え入れることが出来るか否かの境界線上にある投稿に対して、迎え入れることが出来るか否かを判断するという問題解決のためにあるこのガイドラインはあるものです。その限り、この文書を引き合いに出す限り、問題解決を望んでいるのであり、とにかく削除したいという個人的願望を満たすためにあるわけではありません。したがって、問題解決を真剣に望んでいるのであれば、情報源の記載に協力すべきであり、それを拒んだり「存続を求める側」(なぜそもそも削除がいきなり前提されているのでしょうか)に一方的に帰するのはガイドラインの悪用ないし目的外利用に類するものと判断します。

このガイドラインを削除を求める側に調査義務を課すのはむしろ義務化するべきです。不在証明は悪魔の証明ではありません。論理学の世界では無限に世界を探索することを要求しても良いでしょうが、論理学の教科書の外では、八百屋には魚は無く、魚屋に野菜はありません。誠実な探索とありますが、合理的な範囲の探索がなされたと納得的な調査結果を示すことが出来れば、それで十分です。不誠実どころかロクに探索もせずに削除削除と騒ぐ輩のオモチャになる要素が少しでもある限り、賛成できるわけがありません。Wikipedia:削除依頼/パルロWikipedia:削除依頼/パチンコガンダム駅を見て御覧なさい、こんな輩からオモチャを取り上げなければ、ひどいことになります。--ikedat76会話2014年4月22日 (火) 12:08 (UTC)

返信 なるほど、有力な情報ありがとうございます。その上でご提示の、Wikipedia:井戸端/subj/特筆性を担保する情報源を探すのは誰の責任かの内容を拝見しましたが、ikedat76さんは「誰一人賛成しませんでした。」とご主張ですが、言い過ぎです。特筆性の立証責任関する問いに対し、例えば、61.207.102.43 さんは2013年11月16日 (土) 07:22 (UTC)(追加・修正)で:
ウィキペディアのお約束通りに「立証責任」は「記事を残したい側」に負わせることができます。
:と答えています。Ashtrayさんは2013年11月16日 (土) 05:04 (UTC)で:
第一義に出典を示す責任は掲載を希望する側にあるのは間違いありません。
:と答えています。121.93.56.170さんは2013年11月16日 (土) 11:33 (UTC)で:
最終的な責任は残したい側に、って事で良くないですか?。特筆性が「無い」ことなんて悪魔の証明になりかねないし
:と答えています。これだけの方々が言っていて、誰も賛成していない。というのは曲解に思います。この方々の意見は、私の意見と一致します。これらを全て無視し、自己の主張の証拠として活用するのは、証拠やコメントの悪用で無効です。
--背番号9会話2014年4月22日 (火) 12:43 (UTC)
いいえ、61.207.102.43 さんの2013年11月19日 (火) 06:00 (UTC)の発言で(C)(D)は疑問を持つ人自身が探す道筋を否定していません。したがって「「記事を残したい側」に負わせることができ」るが、そうではない側が探すという道筋が無いとは言っていません。
Ashtrayさんの発言が2013年11月16日 (土) 05:04 (UTC)の発言を指すのであれば、その第1段落は「誤解があるようですが、「出典がある・検証できる」≠「記事作成の目安を満たす」なのと同じで、「出典が無い・検証できない」≠「記事作成の目安を満たさない」であり、似て非なる概念です。削除依頼でも、今井戸端でも、いっしょくたになっているようです。」とあり、背番号9さんの意見とは合致しないようです。さらに、同じ発言の末尾では「削除依頼者が "削除の方針 ケースE:百科事典的でない記事" の「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事。」を適用しようとするならば、…まずは調べてみるしかないです」とも指摘してあります。
出典として明記されていなければ特筆性なしという結論にただちに飛びついてよい、飛びつく前に何もする必要が無い、という安易な結論と件のトピックでのコメントは似て非なるものです。
特筆性があることを示す責任は、「無い」と主張する側には皆無という主張とはこれらは似て非なるものです。情報源がない、という発言は悪魔の証明にするのは現実的には為にする議論でしかありません。探索の結果が具体的に示され、それが合理的なものであれば合意形成を調達できる程度の納得なり説得力なりを獲得します。私自身が関わった選考を引き合いに出すと、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/玉置神社 20130403ではTam0031さんの2013年4月6日 (土) 05:44 (UTC)の指摘に対し、2013年4月9日 (火) 11:28 (UTC)である範囲の探索の結果「見つからない」という回答しましたが、納得していただきました。しかし、私が引き合いに出した上のような削除依頼では、露骨に何もしていないという以外に到底理解不可能な情報源なしという主張のもとに削除依頼が提出されました。この種のことをやめさせるためにも、何らかの探索の結果は示させるべきです。--ikedat76会話2014年4月22日 (火) 13:00 (UTC)
  • 反対 前言を翻して申し訳ありません。やはり今のような状態であるかぎりまだガイドラインにするのは早いと言わざるを得ないです。 Wikipedia:削除依頼/パルロのような例は珍しいものではないと思います。特筆性を理由とした削除依頼は特筆性がないという証言から始まりますから、少なくとも「何を」「どれだけ」探しても見つからなかったのか提示しなければ空文に等しいと言えるでしょう。削除側には「何を」「どれだけ」探したのか説明責任があると思います(削除に賛成する人もです)。--Gyulfox会話2014年4月22日 (火) 13:20 (UTC)
    • 返信 了解しました。それでは、ガイドライン化するかどうかは別として、どのような説明責任を削除側に求めるべきか、別に節立てするので、ご意見頂けないでしょうか?よろしくお願いします。仮にガイドライン化するかどうかは別として、その解釈を進めることに関しては、互いに異論が無いと思いますので。--背番号9会話2014年4月22日 (火) 13:32 (UTC)

元に戻す提案[編集]

コメント 私の意図が、自然な文章の作成だった証拠を一つ発見しました。現在の文章の文頭をよくお読みください。:

ウィキペディアに記事を作成する場合、取り扱う対象には、百科事典の記事として言及するにふさわしい価値が必要です。ウィキペディアでは、この価値を特筆性(notability)と表現します。これは一般的な「名声」「重要性」「人気」といった言葉と似ていますが、一致したものではありません。また現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。

:要旨には書いていますが、これ、そもそも文章としておかしくないですか?皆さんは「特筆性」という物がよくよく分かってイメージがついているから気づかないかもしれませんが、これ、「特筆性」というものが何なのか分かっていない人が初めて読む時の視点で見てみて下さい。「特筆性の定義」なり「特筆性の推定方法」なり「特筆性と二次情報源との関係性」なりの記述が前にあって、初めて「また現在の記事において信頼できる二次情報源…」と続くべきではないですか?いきなり特筆性がよく分からないのに、例外から言われても…という状況です。「特筆性は二次情報源の出典が提示されるなどして、推定されます」といった文章があって、それから「だけど無くても、特筆性が無いわけではない」という例外でしょう?ということで、この文章、非常に非論理的な状態です。だから問題にしている編集で、そのことに関して触れているWP:GNGの例外として、その節の最後に持っていったわけです。百科事典を語る我々のルールとして、《特筆性の有無≠出典として明記されていること》とかどうこういう以前の話です。そして、次の特筆性をより詳細に説明した節に流れる。より文章が論理的で明瞭になります。と言う意図です。百科事典を編集されている方々なので、これで合目的な編集であったと理解頂けたと思います。--背番号9会話2014年4月19日 (土) 17:34 (UTC)

提案 というか、Gyulfoxさんはじめ他の方、元の文章に戻していいですか?再度気付いて、ちょっと今のままでは、百科事典のルールの文章として、あまりに恥ずかしい状態だと思うので。なる早でご意見下さい。--背番号9会話) 2014年4月19日 (土) 17:34 (UTC)--どう戻すのか、内容があいまいな提案だと思い、後述する内容に提案を変更する。--背番号9会話2014年4月21日 (月) 17:47 (UTC)

新たに「特筆性」の定義を入れるならよし、戻すのであれば、ガイドライン化にも反対します。改名された前に戻すならよしとします。--Gyulfox会話2014年4月20日 (日) 00:07 (UTC)

  • 特筆性とは、対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及などが見られるなど、潜在的に百科辞典の項目としてふさわしい状態にあることを表します。特筆性のある対象は発明、発見、事象発生、新たな定義などによって日々生み出されており、ウィキペディア内の項目だけにあるとは限りません。とすれば良いでしょう。--Gyulfox会話2014年4月20日 (日) 00:34 (UTC)
大きな反対はありませんが、上記の太字文章の記載箇所は、WP:NRVEの文頭でもよろしいでしょうか?上記しましたが、本文章は名称の通りの、記事をウィキペディアに立項してもいいかどうかの目安、を最初の目的として説明し、上級者向けに「特筆性」のより詳細な説明を次にする方が、文章全体として論理的だと思うからです。それでよければ、ご提示の一文目を:
ウィキペディアにおいて、「特筆性がある」という状態は、記事の対象が、潜在的に百科事典の記事として収録するにふさわしい価値があることを意味します。
にすることでいかがでしょうか?
次にご提示の二文目ですが、「特筆性のある対象は(中略)、ウィキペディア内の項目だけにあるとは限りません」というのはどういう意味でしょうか?文章としてよく分かりません。私がよく分からないということは、他の第三者も分からない方が多く発生すると思います。--背番号9会話2014年4月21日 (月) 17:54 (UTC)
>、「特筆性のある対象は(中略)、ウィキペディア内の項目だけにあるとは限りません」というのは、文字通りここでいう「特筆性のある対象」とはWP内部だけにあると限らない。すなわちWPの外部だけにあるのを見つけたなら、WPに収録してよしということになります。(当たり前のことですよね) またこの説明は上級者のためにあるのではなく「特筆性」の意味を知らない初級者のためにあるのです。よってウィキペディアにおいて、「特筆性がある」という状態は、記事の対象が、潜在的に百科事典の記事として収録するにふさわしい価値があることを意味します。だけでは不十分と思われます。--Gyulfox会話2014年4月21日 (月) 20:50 (UTC)

提案 本文章文頭部分の「また現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。」の除去を提案します。理由は、特筆性と二次情報源の記載が無いのに、注意書きが先に来るのは、文章として不自然なこと。また、同じことを特筆性と二次情報源の関係性を詳細解説したWP:GNGの節末に記載があり、重複しているため。--背番号9会話) 2014年4月21日 (月) 17:47 (UTC)--後述する提案に差し替えのため、本提案は取り下げ。--背番号9会話2014年4月23日 (水) 12:38 (UTC)

反対 除去の提案には大反対です。やはり第一段落は特別な意味を持ち、かつこの理解が今後の誤解を産まない最も重要なポイントであり、さらに特筆性とは何もWPだけではなく、一般にもしばしば使われている語であって、不自然という指摘は当たらないからです。--Gyulfox会話) 2014年4月21日 (月) 20:50 (UTC) 「ウィキペディアにおける独立記事の作成は、その対象に特筆性があると推定できることを重視しています。特筆性とは、対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及などが見られる状態を意味します。特筆性のある対象は発明、発見、事象発生、新たな定義などによって日々生み出されており、記事として潜在的な価値を持ちますが、ウィキペディアの項目に既に書かれているとは限りません。幾ら探しても特筆性が見つかりそうもない対象は削除の対象となり得ますが、現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。またある対象に特筆性が見つかった場合は、多くの場合ウィキペディアに記述できますが、新規に独立記事を作成するだけでなく、場合によっては既に記述されているより包括的な項目内の情報として、新たな節を設ける等、記事の強化に役立てる方が良い場合もあります。」 読者にとってより自然に理解できるように文章を考えました。--Gyulfox会話2014年4月21日 (月) 22:15 (UTC)

返信 上記、Gyulfoxさんの文章案はかなり良いと感じますので、これを基に、本文章の冒頭として私の懸念とGyulfoxさんの懸念を解消しうる文章案の作成に取組んでおります。ただ、その文章案提示前に、一点確認させて下さい。
上記コメントでGyulfoxさんは「特筆性とは何もWPだけではなく、一般にもしばしば使われている語」と主張されています。確かに「特筆」という言葉は以前からあります。しかし「特筆性」という言葉は、Notabilityの訳として導入された、ほとんどjawpの造語です。ここの議論を辿っていただければ分かると思います。例えば、過去ログのHnishyさんの2008年3月3日 (月) 00:24 (UTC)のコメントを引用します:
もうひとつ「特筆性」を推す強い理由があります。Googleで検索すると「著名性」3180件、「特筆性」130件と大差。珍しい単語のほうが「Wikipediaにおけるnotability」という特殊な意味を乗せやすいのです。つまり「特筆性」を選んである程度時間が経つと、この3字だけで「ああ、ウィキペディアの話か」とわかってもらえるようになる可能性があります。
:他にも、例えば過去ログ2008年3月7日 (金) 21:55 (UTC)のJmsさんのコメントなどでも記載があります。以上のような経緯があったことを知って頂いた上でお聞きします。特筆性が一般化した単語であるとご主張し、それを当たり前の単語として用いるべきとお考えですか?もしお考えでしたら、上記根拠を返すだけの根拠をご提示下さい。(私個人としてはどちらでもいいのですが、随分後になってから揉めたくないのと、)この確認の有無で文章案がかなり変わるので、お聞きしたく存じます。--背番号9会話2014年4月22日 (火) 11:00 (UTC)

提案 上記Gyulfoxさんの文章案と現状の本文章を基に、本文章の冒頭として以下の文章案を作成いたしました:

ウィキペディアにおいて、独立記事で取り扱う主題には、百科事典の記事として言及するにふさわしい価値が求められます。ウィキペディアでは、この価値を特筆性(Notability)と呼んでいます。例えば、対象と無関係な、信頼できる情報源から、有意な言及が見られれば、その対象はウィキペディアに独立記事を掲載するだけの特筆性があると推定されます。
一方、既にある記事において、取り扱う主題に特筆性が見出せそうにない場合、その記事は削除の対象となり得ます。ただし、対象と無関係な、信頼できる情報源による出典が提示されていないとしても、必ずしも特筆性がないということを意味していないため、削除を求める場合は注意が必要です。また、ある対象に特筆性がある場合でも、新規に独立記事を作成するのではなく、既に記述のある包括的な項目内の情報として、記事の強化に役立てる方が良い場合もあります。
本文章は、取り扱う対象が…(後略):

この文章を、本文章の冒頭部分に置き換えることを提案いたします。その他派出した提案として、現状の本文章にある特筆性の説明となる「一般的な「名声」「重要性」「人気」といった言葉と似ていますが、一致したものではありません。」という表現をWP:NRVEに移します。

Gyulfoxさんの文章との比較と変更理由を、文単位で以下に記載します。

  • 一文目、Gyulfoxさんの文案「ウィキペディアにおける独立記事の作成は、その対象に特筆性があると推定できることを重視しています。」は、ぱっと読むとそのまま流してしまいそうですが、これだとやや意味が通っていないと思います。独立記事の作成をしてもいいかどうかの「判断基準」や、独立記事の「要件」として、特筆性があるのではないでしょうか?また、「特筆性」と言う言葉は、前述の通りjawpのほぼ造語です。一般的に理解できる概念ではありません。ということで、上記文章にしてみました。ほとんど現状本文と同じですが。
  • 二文目、斜線部分を追記してみました。特筆性の推定は、一般的な目安以外の立証方法(または推定方法)もあるはずだからです。:
  • 三文目の「特筆性のある対象は発明、発見、事象発生、新たな定義などによって日々生み出されており、記事として潜在的な価値を持ちますが、ウィキペディアの項目に既に書かれているとは限りません。」は、文章としてはその通りだと思います。しかし、これは冒頭で特記する意義を感じませんし、前後の文章とのつながりが悪く中途半端な印象を受けます。つきまして、WP:NTEMPでの言及にするということでいかがでしょうか。
  • 四文目、「幾ら探しても」という表現を除去しました。言いたいことは分かりますが、まだどの程度なのか解釈や合意の積み重ねが進んでいませんので。その状態で冒頭にこれを記載すると、曲解や、解釈を巡るトラブルを助長しかねないと思います。

本提案で冒頭部分のGyulfoxさんと私の懸念を両方解消できるのではないかと思っています。Gyulfoxさん含め、各位ご賛同よろしくお願いします。--背番号9会話) 2014年4月23日 (水) 12:38 (UTC)--下記Gyulfoxさんの 2014年5月1日 (木) 13:37 (UTC)に提示の文案に賛同し、本提案は取り下げ背番号9会話2014年5月1日 (木) 15:50 (UTC)

完了 上記 2014年4月23日 (水) 12:38 (UTC)の提案は、提案後168時間以上経過したため、WP:CONに規定の:

合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間=約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。

:を根拠に、[8]にて実施した事を報告します。各位ご理解ありがとうございます。--背番号9会話2014年4月30日 (水) 14:42 (UTC)

誰も賛成していない(Gyulfoxさんは反対)のに何の合意が成立したのでしょうか。前の件も含め、合意形成についてこんないい加減な扱いをする管理者が適格だとは到底信じられません。三山批判されているのだから、少しは慎重に振舞おうとか、そういう配慮というものがないのですか。--ikedat76会話2014年4月30日 (水) 15:07 (UTC)

返信 2014年4月23日 (水) 12:38 (UTC)の提案に、具体的にどなたが反対されたのでしょうか?Gyulfoxさんの懸念を含めて提案しています。そして、ルールに従い実施した事を、ikedat76さんが否定されるそれ相応の根拠提示はされていません。明瞭な反対はありません。提案後、WP:CONを根拠にした編集提案すら慎重不足と言う事であれば、ikedat76さんの反論も無く、無根拠な差し戻しは慎重さを欠いた行動ではないのでしょうか?一体何を根拠にしているのかご提示下さい。--背番号9会話2014年4月30日 (水) 15:26 (UTC)

どっから突っ込んだらいいのか、もうさっぱり。あなたの言う合意形成というのは一人相撲のことですか?そうであるならもうとことん勘違いし倒しているとしか言いようがありませんね。提案者が一人で俺の提案名案!って言っていればそれで合意形成になる、それは字面ならそうでしょうけど、いまだ提案中であるにせよ事実上ガイドラインと同じ効力を持つと見なされて運用されている文書をいじるんだから、もう少し慎重さってものがあってもいいんじゃないですか。ともかくも字面だけで文書の精神や趣旨を理解して運用する気がないってことが良く分かりました。もうこれ以上手を出していじくりまわすのは有害だし、適性が無いのだから引っ込んでください。--ikedat76会話2014年4月30日 (水) 15:41 (UTC)

返信 最初に、結局無根拠なのですね。先にikedat76さんは「Gyulfoxさんは反対」とおっしゃられていましたが、その根拠提示すらできないのですね。
次にWP:CONを根拠にしています。字面だけというのは、私がWP:POINT作成時に作った文章です[9]ので、言いたい事は分かります。しかしそもそもなぜ、168時間規定があるのか考慮して下さい。異論があればその十分な時間に反対できます。昔は、それが小さな提案は48時間、中程度の変更提案は72時間とあり、大きくても168時間という規定もありました。その境目が曖昧なので、168時間のみになったのだと思いますが、反対意見を無限に待つ必要は無いと言うところです。バランスを考えての規定です。何にせよ、自身の意見と異なると、ルールを根拠にしてもWP:悪用、あるいはそれまがいの扱いをされては、結局ikedat76さんがルールを決める、と言ってるのと変わりません。一体何のためのルール規定なのでしょう。ikedat76さんも、ルールを扱おうとしているのならば、こちらがルール提示をしているのですから、ルールを尊重して頂きたく存じます。そして、どうすればWP:CONと判断するなか、合理的な方法をご提示下さい。こちらはまがりなりにも168時間規定を尊重したことを宣言しています。
最後に、何にせよ、ikedat76さんは無反論で巻き戻しました。その事実は変わりません。168時間待った提案の実施には、さらなる慎重さを求め、自分は根拠なしで巻き戻してOK。だって相手がルール悪用で、適正が無いから。が根拠なのですね。
といいながら、提案自体に反対があれば、その内容は尊重しますのでお願いします。--背番号9会話) 2014年4月30日 (水) 16:15 (UTC)--WP:POINTの履歴からコメントの証拠の追記--背番号9会話2014年4月30日 (水) 20:20 (UTC)

質問とりあえず、WP:Nからは脱線しますので、WP:CONの解釈と、ikedat76さんの差し戻し行為が妥当かどうか、Wikipedia:井戸端/subj/WP:CONの168時間規定を巡ってにて各位のご意見を待つ事にします。--背番号9会話2014年4月30日 (水) 18:12 (UTC)

冒頭部分の編集再提案[編集]

提案 2014年4月23日 (水) 12:38 (UTC)にて本文章の冒頭の編集提案をしました[10]。提案から168時間以上異論が無かったために、WP:CONの168時間規定を引用し[11]提案実施しました[12]。しかし、WP:CONの解釈を巡りikedat76さんと齟齬が発生し、直後に差し戻しを頂きました[13]。CONの解釈はそれはそれとして、話を前に進めるために、2014年4月23日 (水) 12:38 (UTC)の編集提案を再度実施する事を提案します。また、本件に深く関わるGyulfoxさんや、冒頭部分の記載に強くご意見のあったみっちさんにも、懸念が無いかご意見を確認したく存じます。よろしくお願いします。一週間は待ちます。--背番号9会話) 2014年5月1日 (木) 03:59 (UTC)--下のGyulfoxさんの文案に賛成のため、本提案取り下げ--背番号9会話2014年5月1日 (木) 15:43 (UTC)

背番号9さん、ガイドラインは完璧でなくとも、中学生程度の初心者が読んで熟練者が考えているような内容がほぼイメージできなければ、時間がたとうが何をしようが支持されないと思うのです。背番号9さんの改変では余計分からなくなります。それに私は改変の提案の事実を先ほど知りました。それで異議を述べられませんでした。 長文でも端的で分かりやすく、ワンストップで理解できるを目指そうじゃないですか。 そこで最終提案をさせていただきます。 

ウィキペディアに記事を作成する場合、取り扱う対象には、百科事典の記事として言及するにふさわしい価値が必要です。ウィキペディアでは、この価値を特筆性(notability)と表現します。これは一般的な「名声」「重要性」「人気」といった言葉と似ていますが、一致したものではありません。 特筆性とは、立項される対象がその対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態であることを意味します。

特筆性のあるなしは記事の出来とは関係がありません。特筆性のある対象は発明、発見、事象発生、新たな定義などによって日々産み出されており、記事として潜在的な価値を持ちますが、ウィキペディアの項目に既に書かれているとは限りません。誠実に探しても特筆性が見つかりそうもない対象は削除の対象となり得ますが、現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。

独立記事の作成にあたっては、特筆性の存在を念頭に置いて行ってください。対象に特筆性がある、またはそれに近いにせよ、独立記事中に十分に反映されていない状態を特筆性が推定されると表現します。出典の明記と同じ方法で、あなたが作成しようとする独立記事に特筆性が存在することを証明することができます。特筆性の証明はいつでも、また初稿作成者以外でも可能ですが、何らかの方法で証明されるまでは、第三者に特筆性がないと誤解されてページごと削除されるリスクがあります。第三者の検索は誠実であっても見落としという限界があるからです。そのような残念なリスクを避ける最も賢明な判断は、独立記事を作成した本人が立項の初期の段階で特筆性を証明してしまうことでしょう。

またある対象に特筆性が見つかった場合は、多くの場合ウィキペディアに記述できますが、ことごとく新規に独立記事を作成するだけが最良とは限りません。場合によっては既に記述されているより包括的な項目内の情報として、新たな節を設ける等、記事の強化に役立てる方が良い場合もあります。

記事の削除を検討する場合に、その記事に特筆性がないと報告する場合は、説明責任として、自分が知りえた調査の結果を提示して下さい。また特筆性があると証言する場合は、それがどの情報源であるかを提示してください。」--Gyulfox会話) 2014年5月1日 (木) 13:37 (UTC)(校正)--Gyulfox会話2014年5月2日 (金) 01:51 (UTC)

賛成 この文案の方が、私が提案した物より良いですね。乗り換えて賛成いたします。--背番号9会話2014年5月1日 (木) 15:43 (UTC)

コメント この文章でも私の先の提案よりいいので、賛成票はつけておきますが、3節目はGyulfoxさんの意図が掴みづらいところがあるので、修正案をご呈示頂ければ幸いです。特に「対象に特筆性がある、またはその可能性が高ければ、独立記事に十分に反映されていない状態を特筆性が推定されると表現します。」と「何らかの方法で証明されるまではコミュニティーによって誠実ではあるが完全ではない探索によって記事の特筆性が見逃されて、特筆性がないと誤解されて残念ながらページごと削除されてしまうリスクがあります。」の箇所は、頑張れば意図が取れますが、もう一度Gyulfoxさんに推敲頂いた方が良いように思います。また、4節目も一文が長いので、どこかで切って2−3文にしてみてはどうでしょうか?--背番号9会話2014年5月1日 (木) 16:26 (UTC)
指摘を受けて校正を行いました。バージョンを増やして議論を拡散したくないため今回限り直に校正しました。大きな反対がなければこれでいきましょう。--Gyulfox会話2014年5月2日 (金) 01:51 (UTC)
返信 大変良いと思います。推敲誠にありがとうございます。冷静で建設的な協議は、心も晴れます。ただ一点だけすいません、不明点があります。確認させて下さい。「対象に特筆性がある、またはそれに近いにせよ、独立記事中に十分に反映されていない状態を特筆性が推定されると表現します。」ですが、これでも(私は)意味を取り損ねています。つきましては、この文の意味を解説頂き、以下のどれかの対応をお願いしてもよいでしょうか?
  1. 意図が伝わるように推敲(私でもいいです)して、それを最終提案とし直す。
  2. 除去して、それを最終提案とする(特に無くても私はいいかなと)。
  3. 本文章案のまま提案実施し、上記1.2.のどちらかの対応を、事後に改めて対応(協議)する。
でいかがでしょうか? 不明文の意図だけ記載しておけば、とりあえず3.を採択しても十分に改善されますので、私の賛成は変えません。ご一考頂ければ幸いです。--背番号9会話
誤読がないにこしたことはないです。それでは「対象に特筆性がある、またはそれに近いにせよ、独立記事中に十分に反映されていない状態を特筆性が推定されると表現します。」はどのように改めたら誤読がなくなるのでしょうか。ここに太文字で提示していただけますか。--Gyulfox会話2014年5月3日 (土) 13:57 (UTC)
意図は分かりましたので、少し推敲してみました。
独立記事を新たに作成する場合、特筆性の立証をできれば立頁の初期段階で行ってください。特筆性の立証は、出典の明記と同じ方法でできます。特筆性の立証は、いつでも、また初稿作成者以外でも可能です。しかし、潜在的には記事対象に特筆性があったとしても、記事に記載の情報だけでは、その特筆性が立証されていないこともあります。そういう場合は、第三者に特筆性がないと誤解され、記事ごと削除されるリスクもあります。第三者の検索は誠実であったとしても、限界があるからです。そのようなリスクを避ける最も賢明な方法は、独立記事を作成した本人が、立項の初期の段階で特筆性を証明してしまうことです。
やって欲しい事を前に持っていき、それをしないと発生するリスクを後ろにまとめ、最後に主文を繰り返してみました。先の不明文は、ここでは4文目に記載しています。使える所だけ、使って頂ければ幸いです。--背番号9会話2014年5月3日 (土) 14:31 (UTC)
それではこうしましょう。独立記事を新たに作成する場合、特筆性の立証をできれば立頁の初期段階で行うことをお奨めします。特筆性の立証は、出典の明記と同じ方法でできます。独立記事の作成にあたっては、特筆性の存在を念頭に置いて行ってください。対象に特筆性がある、またはそれに近いにせよ、独立記事中に十分に反映されていない状態を特筆性が推定されると表現します。特筆性の立証は、いつでも、また初稿作成者以外でも可能です。ただし特筆性が推定されているだけの記事は、第三者に特筆性がないと誤解され、記事ごと削除されるリスクがあります。第三者の検索は誠実であったとしても、限界があるからです。そのようなリスクを避ける最も賢明な方法は、独立記事を作成した本人が、立項の初期の段階で特筆性を証明してしまうことです。ポイントは立証は義務ではないが念頭に入れて独立記事は作られるべきであって、推定されているだけでは残念な結果になっても知りませんよということ。--Gyulfox会話2014年5月3日 (土) 15:43 (UTC)

(インデント戻し)Gyulfoxさん2014年5月3日 (土) 15:43 (UTC)の受け。分かりました。前に進めて下さい。--背番号9会話2014年5月3日 (土) 15:55 (UTC)