M69焼夷弾

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M69焼夷弾[1]
M69 6-pound Napalm Incendiary Bomb, Niigata Prefectural Museum of History.jpg
長岡空襲で使用されたM69焼夷弾。
新潟県立歴史博物館、2014年12月撮影。
運用史
関連戦争・紛争 第二次世界大戦
開発史
開発者 ルイス・フィーザー
製造業者 スタンダードオイル
デュポン
化学兵器サービス(CWS、現アメリカ陸軍化学戦部隊英語版
諸元
重量 2.7kg[1]
全長 49cm[1]
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M69焼夷弾(M69しょういだん)とは、第二次世界大戦中アメリカ軍日本の都市を空襲する際に使用した爆弾焼夷弾)である。M69はクラスター爆弾の最小単位の子爆弾の名称であり、爆撃時は多数の子爆弾は、まとめて親爆弾に収納された上で爆撃機に搭載され、投下された[2]

概要[編集]

M69は六角形の断面を持った簡素な鋼製のパイプであり、直径は約7.6cm(3インチ)、全長は約51cm(20インチ)、質量は約2.7kg(6ポンド)である[3]

この爆弾は焼夷剤としてナパーム(ゲル化ガソリン)を用いるが、これは、エネルギーおよび質量対効果比で劣り、また消火しやすいテルミットまたはマグネシウム焼夷剤を用いた初期のデザインを踏まえて発展させたものである[4]

ナチス・ドイツに対して用いられた焼夷弾は、ゲル化した油脂を充填した子爆弾を36発集束し、非流線形のM19爆弾に収納したものであった[5]

日本に対して用いられた焼夷弾は、38個のM69子爆弾を集束して、安定フィンを持ったE46「照準可能」クラスター弾に収めたものであり、これは投下後、高度約610m(2000フィート)で開裂し子爆弾に散開する。M69子爆弾は散開後、信管(フューズ)を下に向けて落下するために、約1m(3フィート)の長さのストリーマーと呼ばれる綿製(平塚柾緒によれば、麻製[6])のリボンを展開する[7][8]。親爆弾を開裂し子爆弾を散開する際に使用される爆薬によって、ストリーマーにも火がつくので、「地上からは火の雨が降ってくるように見えた」と言われている[6]

M69が建物または地面に衝突すると、時限信管が3から5秒間燃焼し、その後で白リン剤が点火され、これが焼夷剤を燃焼する多数の火の玉にして、最大で30m(100フィート)の高さまで打上げ、これらが周辺の物を即時に強力に炎上させる[3](平塚柾緒によれば、時限信管はまずトリニトロトルエン(TNT)爆薬を起爆し、その中に含まれるマグネシウム粒子によって焼夷剤に火がつくとしている[6])。

1943年に、ユタ州ダグウェイ実験場に建てられた、大日本帝国とナチス・ドイツの試験用居住建築物(俗称日本村とドイツ村)を使用して、M69の試験が行われた[9]。M69焼夷弾は、一連の試験で最も成功した焼夷弾であった[3]

日本に対しては、M69はB-29爆撃機の爆弾倉に、典型的には40発のクラスター爆弾(トータルでは1520発のM69子爆弾)として搭載された[3]。この爆弾は、1945年2月の神戸大空襲に始まる、木造建築が密集している日本の都市に対する大規模焼夷攻撃において非常に効果的であった[10]。1945年3月の最初の10日間に行われた、M69とM47を用いた爆撃により[11]東京都東京大空襲)、名古屋市名古屋大空襲)、大阪市大阪大空襲)、神戸市に大規模な火災被害と大量の民間人への死者が発生した。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 小・中学生の調べ学習のためのページ > 福井空襲と福井地震 > 焼夷弾とは?”. 福井市立郷土博物館. 2017年10月21日閲覧。
  2. ^ 180 Degrees Out: The Change in U.S. Strategic Bombing Applications, 1935-1955- Dissertation of John M. Curatola, DPhil University of Kansas (2008). Quoting "Tokyo Calling Cards", Collier’s Magazine, April 1945, 44 and 58.
  3. ^ a b c d Ross, Stewart Halsey (2002). Strategic Bombing by the United States in World War II: The Myths and the Facts. McFarland. pp. 107-108. ISBN 9780786414123. https://books.google.com/books?id=6tkcduKxmOgC&pg=PA107. 
  4. ^ Science: Incendiary Jelly, Time, Apr. 02, 1945
  5. ^ Sion, Edward M. (2008). Through Blue Skies to Hell: America's Bloody 100th in the Air War Over Germany. Casemate Publishers. p. 20. ISBN 9781935149965. https://books.google.com/books?id=7MjxBhGuCo8C&pg=PT20. 
  6. ^ a b c 平塚、2015年、p.32。
  7. ^ Bradley, F.J. (1999). No Strategic Targets Left. Turner Publishing. p. 33. ISBN 9781563114830. https://books.google.com/books?id=Sr6nn47tDOUC&pg=PA33. 
  8. ^ Archived copy”. 2011年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月14日閲覧。
  9. ^ http://www.dugway.army.mil/index.php/index/content/id/208
  10. ^ World Battlefronts: BATTLE OF THE PACIFIC: Firebirds' Flight, Time, Mar. 19, 1945
  11. ^ http://www.ibiblio.org/hyperwar/AAF/V/AAF-V-20.html

参考文献[編集]

  • 平塚柾緒『日本空襲の全貌』洋泉社、2015年

関連項目[編集]