ANAK (息子)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ANAK(息子)』(アナック(むすこ)[1])は、フィリピンフレディー・アギラ1977年に作曲したポップス。原曲の歌詞はタガログ語で歌われている。

概要[編集]

1977年に、フィリピンにおいて、フレディー・アギラ (Freddie Aguilar) の自作自演がヒットした。Anak とは、タガログ語で(息子ではなく)「わが子」という意味である(つまり、女の子も "Anak" と言う。2000年、歌をもとにフィリピンで映画「母と娘 ( 元題 : Anak ) 」が制作された)。

原詞の内容は、息子がよからぬ道に進むことを親が嘆く内容である。フレディー自身が「親に詫びる気持ちで書いた」と英語版のウィキペディアに記述されている。

世界中で26言語翻訳された。

日本では1978年7月にNHKの『ニュースセンター9時』で2度にわたり紹介された[2]。同年9月1日にフレディーの原曲とアシン英語版のカバー、杉田二郎日本語版カバーが同時発売され[2][3]9月10日加藤登紀子日本語版カバーが発売された[2]

杉田のカバーはフィリピンの日本大使館による直訳をもとになかにし礼[2]、加藤のものは英語の直訳詩をもとに加藤自身が訳詞を書いた[2]

エピソード[編集]

1978年のある日、東芝EMI新田和長は、日音の社長・村上司よりフレディー・アギラの「ANAK(息子)」を「いい曲があるから聴いてみてよ」と紹介される。タガログ語のため言葉の意味はわからないが、強く惹かれるものがあった。「フィリピンに行ったときラジオでたまたま聴いて、これは素晴らしいと思ったので、権利を獲って来たんだけど」[4]

そこで加藤登紀子でレコード化しようと思っていると聞かされ、新田が杉田二郎(東芝EMIと日音の共同プロデュース歌手)ではどうですかと強く打診、杉田でもレコード化されることになった。[4]

当初村上は訳詞をなかにし礼に依頼し、その訳詞で加藤に歌わせる予定だったが、解釈をめぐり意見が対立し、加藤版は本人の作詞で歌われることとなった。[4]

カバー[編集]

フィリピン

ミャンマー

マレーシア

ペルー

ドイツ

オランダ

日本

香港

台湾

杉田二郎のシングル[編集]

ANAK (息子)
杉田二郎シングル
リリース
ジャンル ポップス
時間
レーベル EXPRESS
作詞・作曲 なかにし礼(訳詞)
Freddie Aguilar(作曲)
杉田二郎 シングル 年表
(青春は)まるで映画のように
1978年
ANAK (息子)
(1978年)
エンドマーク (2'46")
1979年
テンプレートを表示

ANAK (息子)」は、1978年9月1日に発売された杉田二郎の12枚目のシングル。

収録曲[編集]

  1. ANAK (息子)(4分11秒)
    訳詞:なかにし礼/作曲:F.Aguilar/編曲:石川鷹彦
  2. ANAK (息子) オリジナル・カラオケ(4分11秒)
    作曲:F.Aguilar/編曲:石川鷹彦

加藤登紀子のシングル[編集]

ANAK (息子)
加藤登紀子シングル
B面 赤いダリア
リリース
ジャンル ポップス
時間
レーベル Kitty Records
作詞・作曲 加藤登紀子(訳詞)
Freddie Aguilar(作曲)
加藤登紀子 シングル 年表
夜の静けさの中で
1978年
ANAK (息子)
(1978年)
生きてりゃいいさ
1979年
テンプレートを表示

ANAK (息子)」は、1978年9月10日に発売された加藤登紀子の30枚目のシングル。

収録曲[編集]

  1. ANAK (息子)(4分28秒)
    訳詞:加藤登紀子/作曲:F.Aguilar/編曲:星勝小野崎孝輔
  2. 赤いダリア(5分23秒)
    作詞・作曲:加藤登紀子/編曲:告井延隆、星勝

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ NUNC HP【フィリピン語(タガログ語)の教科書】「家族・友達」の呼び名を意味するフレーズ
  2. ^ a b c d e 「フィリピンの大ヒット曲『息子』を3社4人が競作」『朝日新聞』1978年8月28日付東京夕刊、9頁。
  3. ^ YouTube 杉田二郎 ANAK(息子)
  4. ^ a b c 富澤一誠著「青春のバイブル 魂を揺さぶられた歌」シンコーミュージック、1993年、235頁。ISBN-10: 4401614135。