蘭奢待
蘭奢待/蘭麝待(らんじゃたい)は、東大寺正倉院に収蔵されている香木。天下第一の名香と謳われる。
正倉院宝物目録での名は黄熟香(おうじゅくこう)で、「蘭奢待」という名は、その文字の中に"東・大・寺"の名を隠した雅称である。
その香は「古めきしずか」と言われる。紅沈香と並び、権力者にとって重宝された。
特徴
成分からは伽羅に分類される。
樹脂化しておらず香としての質に劣る中心部は鑿(ノミ)で削られ中空になっている(自然に朽ちた洞ではない)。この種の加工は900年ごろに始まったので、それ以降の時代のものと推測されている。[要出典]
由来と歴史
東南アジアで産出される沈香と呼ばれる高級香木。日本には聖武天皇の時代(724年–749年)に中国から渡来したと伝わるが、実際の渡来は10世紀以降とする説が有力である。[要出典]一説には『日本書紀』や聖徳太子伝暦の推古天皇3年(595年)記述という説もある。[要出典]
奈良市の正倉院の中倉薬物棚に納められており、これまで足利義満、足利義教、足利義政、土岐頼武、織田信長、明治天皇らが切り取っている。なお、信長は切り取った蘭奢待を一つは自分のもとに、もう一つは朝廷(正親町天皇)に渡した。その後、朝廷から毛利輝元に下賜され、輝元は厳島神社に宝物として収めた。
徳川家康も切り取ったという説があったが[1]、慶長7年(1602年)6月10日、東大寺に奉行の本多正純と大久保長安を派遣して正倉院宝庫の調査を実施し[2]、蘭奢待の現物の確認こそしたものの、切り取ると不幸があるという言い伝えに基づき切り取りは行わなかった(『当代記』同日条)。同8年2月25日、宝庫は開封して修理が行われている(続々群書類従所収『慶長十九年薬師院実祐記』)[2]。
2006年(平成18年)1月に大阪大学の米田該典(よねだかいすけ。准教授、薬史学)の調査により、合わせて38か所の切り取り跡があることが判明している。切り口の濃淡から、切り取られた時代にかなりの幅があり、同じ場所から切り取られることもあるため、これまで50回以上は切り取られたと推定され、前記の権力者以外にも採取された現地の人や日本への移送時に手にした人たち、管理していた東大寺の関係者などによって切り取られたものと推測される[3]。
文献
- 米田雄介; 杉本一樹『正倉院美術館』講談社、2009年、348-351頁。ISBN 4-06-215887-6。
- 米田該典「全淺香、黄熟香の科学調査」(PDF)『正倉院紀要』第22号、2000年3月。ISSN 13431137。 NCID AA11121840。全国書誌番号:00107183 。2019年12月5日閲覧。
脚注
- ^ 米田雄介『正倉院と日本文化』吉川弘文館 1998年、p.163
- ^ a b 飯田剛彦「正倉院宝庫修理の歴史と自然災害 (PDF, 1.1 MiB) 」(『正倉院紀要』第38号、2016年) p.107、2018年6月15日閲覧
- ^ 朝日新聞2006年1月15日 “「蘭奢待」切り取り、信長らだけでなかった 正倉院香木” 2018年6月19日閲覧
関連項目
外部リンク
- 読売新聞2011年9月20日「蘭奢待」天下人の香り 大阪で正倉院フォーラム (archive.today)