文化祭
文化祭(ぶんかさい)は、芸術に関連した行事・イベント。以下に大別される。
文化祭(ぶんかさい、英:School festival)は、日本において幼児・児童・生徒の日常活動による成果の発表などの目的で行われる学校行事。学校によっては学園祭(がくえんさい)・学校祭(がっこうさい)・学院祭(がくいんさい)などと呼ぶ場合がある。
日本のように学校教育の一環として毎年全員参加型の文化祭が開催されている例は世界的に見て珍しい[1]。
概要
本来文化祭は初等教育・中等教育における正規の教育課程であり[2]、児童・生徒の履修(出席)が義務づけられている。その開催日時および準備日時は、学習指導要領上の「出席しなければならない日数」および「授業時数」に算入される。
したがってこの点では、大学などで開催される学園祭(大学祭など[3])とは意味合いが異なる。
文化祭では主に各学級ごとに創作活動、演劇発表、模擬店の開催などが実施される[1]。 ただし、1クラス当たりの人数が少ない場合は、学年単位でやることもある。
幼稚園・小学校低学年は劇や歌(合唱は少ない)、小学校高学年から中学校卒業までは合唱や合奏が多い傾向にある。また、高校より上になると物品の販売・縁日等の催しが中心となる。
学習成果や演劇の発表がメインである場合、名称は小学校などの初等教育では学芸会(がくげいかい)、学習発表会などと呼ぶことが多い。また、幼稚園などの就学前教育や保育所では生活発表会と呼ぶことが多い。
多くの学校では文化祭を一年に1回開催し、文化祭の運営は、児童会・生徒会の下に設けられた「文化祭実行委員会」などの組織が中心となって行われる。他行事と交互に実施するなどの理由により、2年または3年ごとの開催である学校もある。
文化祭は楽しさが感じられる行事であり、幼児・児童・生徒・学生にとっては文化祭の成功という目的のために、仲間とのあいだで共同作業に邁進することができ、達成感の強い行事である。同時に、自分の学校の特色を実感する機会にもなる。
合唱や合奏であれば「出来の良さ」「仲間との協調」、催し物であれば「売上高」「お客さんからの投票」などによって、順位づけがされることもある。
また文化祭は、学校と地域社会相互の結びつきを深め、人々の豊かな生活に貢献するという意味合いもある。
歴史
日本最古の文化祭は、1921年に東京府立第五中学校(現・小石川中等教育学校)で開催された「創作展覧会」(現・創作展)である。大正自由教育者であった伊藤長七が、生徒の創作意欲を掻き立て、創作作品展示の機会をつくることが目的であった。当時としては全国初の取り組みであったために、新聞紙上でも大きく取り上げられ、3000人以上の来場があった。
太平洋戦争後、新制高等学校が確立する1948年頃から、クラブ活動や生徒の有志を中心とした文化祭が開催されるようになった。1960年代には、現在と同じようなクラス単位での出し物を行う文化祭スタイルが定着していった。
内容
- 作品発表・ダンス・音楽会・上演などが、各学級や部活動団体のほか、それ以外の自発的な在学生たちによって行われる。
- 教室や体育館が仮設の食堂や喫茶店に模様替えされて、食事が提供されることもある。
- 有名人を講師に招き講演会を、また音楽家による音楽会を開いたりする所もある。
- 特別支援学校の文化祭においては、福祉作業所による商品の即売会が行われる所もある。
時期
秋季に行われることが多く、歳時記的に扱われることも多い(この時期の美術展やコンサートとともに「芸術の秋」の核をなすとされる)。
外部の人の入場について
文化祭には学校の外部からさまざまな人々が通例訪れる。多くの人々は文化祭を楽しむ目的で訪れる。また中には、学校で行われている活動や校風について見るためにも足を運ぶといわれる。
ただし既述のとおり、あくまでも文化祭は教育課程[2]、すなわち児童・生徒の教育が本来の目的であり、また防犯上・安全上の観点からも学校によっては以下のように入場規制を行う所もある。
- 入場者の限定(限定公開制) - 以下の関係者に限定する形式[4]。なお学校によってはHP等に告知を掲載せず、これら関係者のみに文書等で告知する所もある[5]。
- 外部には完全非公開[5]
- この場合、部活動の成果発表も非部員の生徒向けのみである。
- ただし開催が2日間に及ぶ場合、2日目のみを一般公開とする学校もある。
また、感染病流行などの事情により入場規制を行う場合もある。
脚注
関連項目
外部リンク
- 文化祭見学ガイド - ウェイバックマシン(2002年10月5日アーカイブ分)
- 学園祭に行こう!
- 学園祭情報サイト「学フェス」