愚民政策

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愚民政策(ぐみんせいさく)とは、為政者が国民を愚民と呼ばれる政治的無知状態に陥れ、その批判力を奪おうとする政策。つまり、民主主義国家の根幹である国民の政治参加を阻害する権威主義に基づく政策で、人々の知性を意図的に非民主的な方向へ偏向させる政策である。娯楽による心理的利己主義の普及(パンとサーカスのサーカス)、偏向報道、全体主義国家や軍事国家などの一部の反民主主義教育が愚民政策の例として挙げられる。愚民化された人々は、政治に興味を示さないか、権威主義に傾倒するため、民主主義を護ろうとせず、その結果、権力者にあまり逆らわなくなるので、権力者は国を独裁的に運営しやすくなる。ただし近代国家には非常に複雑な教育、学問により育てられた科学者、技術者、専門家が必須な為、独裁・民主政問わず政府は、民主主義思想などを学ぶ人文科学と関係の薄い自然科学に類する教育・学問への投資はほぼ必ず行われる。また治安の維持も国家にとって重要であり、民主主義に基づく人権思想などの近代倫理は人文科学に類するため、民主主義国家が愚民政策を行うことで統治がしやすくなるというのは誤りで権威主義国家化しやすくなるというべきである。

概要

自由と平等を基幹として、国民の大多数が参加する近代民主主義以前の社会では、民衆の決起や民主革命などを防ぐために、人体に例えるなら特権階級が頭脳であり、民衆が肉体であるべきとする古代の身分概念に基づく権威主義の価値観があり、その差別的価値観を基に、「神の代理者を権威の頂点とする社会的ピラミッド構造」を保つ権威による秩序維持が行われていた。愚民政策もその価値観では正当とされた。だが、近代民主主義では自由と平等に反する不当な差別政策として扱われる為、権威主義者による新たな価値観として「知性は、必ずしも人を幸せにするものばかりとは限らない。知らない方がいい場合もあることはあり得る。また、教育にはコストがかかる。過剰な知識を得ることは、限りある時間とお金を浪費することになるため、却って人を不幸にしてしまう場合もある。そのため、人々の学習機会を制限することにより、快楽主義最大多数の最大幸福を実現させる事ができる」という発想が生まれた。しかし、理念的には社会的平等を阻害する政策である事に変わりはなく、実利的にも功利主義の問題点である「権力による多数の不幸」を、戦争やテロ活動や他国の経済破壊などという形で実現化させ続けている政策であるために、近代民主主義ではナチスドイツなどの例を挙げ、近代民主主義による民主制を破壊しファシズムやレイシズムを生む政策として批判される。

海外での例

日本での例

江戸時代

水戸藩史料』に徳川斉昭が、「百姓に学問など全く不要だ」「ただひたすら農耕に励んでさえいればよい」と公言した上で、農民を「愚民」「頑民」と呼んでいたことが記述されており、常陸国の9割は農民だが、政治的発言を許さないよう、学問(読み書き)を禁じ、身分制を厳格にすることで愚民策が取られていた(この場合、娯楽提供ではなく、社会思想から身分的本分を外れるなという主張がなされた)。

GHQ占領下(1945〜1951)

現代

  • 詰め込み教育、受験一辺倒教育、偏差値制度 - 日本人が天下国家を論じない「考えない国民」になるように、1970年代に偏差値制度が導入されたと言われている[2]きっかけは安保闘争[要出典]
  • 「メディアが安全保障に関わるニュースを放送しないのは一種の愚民化政策ではないか」という指摘がある[3]

脚注

  1. ^ 文教大学教育研究所
  2. ^ 大前研一『「知の衰退」からいかに脱出するか?』光文社、2009年。ISBN 978-4334975609 
  3. ^ 大相撲報道と日本で続く「愚民化政策」、ケント・ギルバート ニッポンの新常識産経新聞 (2017年12月)

関連項目