八並武治
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八並 武治 やつなみ たけじ | |
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八並武治 | |
生年月日 | 1877年12月4日 |
出生地 | 日本 大分県下毛郡鶴居村 |
没年月日 | 1947年7月10日(69歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
所属政党 |
憲政会 立憲民政党 日本進歩党 |
八並 武治(やつなみ たけじ、1877年(明治10年)12月4日 - 1947年(昭和22年)7月10日)は、日本の政治家、弁護士。憲政会・立憲民政党・日本進歩党に所属。衆議院議員を通算7期務めた。
経歴
大分県下毛郡鶴居村(現・中津市)出身。第二高等学校から東京帝国大学法科大学独法科に進み、1909年(明治42年)に卒業。卒業後は八王子に弁護士事務所を開業し、1915年(大正4年)から翌年まで箕浦勝人逓信大臣の秘書官を務めた。
1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、7回の当選回数を数えた。その間、加藤高明内閣・第1次若槻内閣で司法参与官、第2次若槻内閣・齋藤内閣で司法政務次官を歴任した。
参考文献
- 広幡明男『大正13年5月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。