八並武治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Miraclepine (会話 | 投稿記録) による 2020年5月12日 (火) 15:34個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (tag)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

八並 武治
やつなみ たけじ
八並武治
生年月日 (1877-12-04) 1877年12月4日
出生地 日本の旗 日本 大分県下毛郡鶴居村
没年月日 (1947-07-10) 1947年7月10日(69歳没)
出身校 東京帝国大学
所属政党 憲政会
立憲民政党
日本進歩党
テンプレートを表示

八並 武治(やつなみ たけじ、1877年明治10年)12月4日 - 1947年昭和22年)7月10日)は、日本政治家弁護士憲政会立憲民政党日本進歩党に所属。衆議院議員を通算7期務めた。

経歴

大分県下毛郡鶴居村(現・中津市)出身。第二高等学校から東京帝国大学法科大学独法科に進み、1909年(明治42年)に卒業。卒業後は八王子に弁護士事務所を開業し、1915年大正4年)から翌年まで箕浦勝人逓信大臣の秘書官を務めた。

1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、7回の当選回数を数えた。その間、加藤高明内閣第1次若槻内閣司法参与官第2次若槻内閣齋藤内閣で司法政務次官を歴任した。

参考文献

  • 広幡明男『大正13年5月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。