ピエール=シモン・ラプラス

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ピエール=シモン・ラプラス
Pierre-Simon Laplace
Feytaud夫人による死後の肖像画(1842年
生誕 1749年3月23日
 フランスノルマンディーボーモン=アン=オージュ
死没 1827年3月5日 (77歳没)
フランスパリ
居住 フランス
市民権 フランス
研究分野 数学
物理学
天文学
研究機関 エコール・ミリテール(1769-1776)
出身校 カーン大学
博士課程
指導教員
ジャン・ル・ロン・ダランベール
主な業績 天体力学
ラプラス方程式
ラプラス演算子
ラプラス変換
署名
プロジェクト:人物伝
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ピエール=シモン・ラプラスPierre-Simon Laplace, 1749年3月23日 - 1827年3月5日)は、フランス数学者物理学者天文学者。「天体力学概論」(traité intitulé Mécanique Céleste)と「確率論の解析理論」という名著を残した[1]1789年にロンドン王立協会フェローに選出された[2]

人物

「天体力学概論」は、1799年から1825年にかけて出版された全5巻の大著で、剛体流体の運動を論じたり、地球の形や潮汐の理論までも含んでいる。数学的にはこれらの問題はさまざまな微分方程式を解くことに帰着されるが、方法論的にも彼が発展させた部分もあり、特に誤差評価の方法などは彼自身の確率論の応用にもなっている[3]。また、現在ベイズの定理として知られているものも、ラプラスが体系化したものであるので、ベイズよりもラプラスに端を発するという見方も強い。

国際度量衡委員会の委員として、長さの尺度として地球北極点から赤道までの子午線弧長を精密に測量し、その1000万分の1をもって基準とすることを提唱した。これが後のメートルの定義の基礎となった。

ラプラス変換の数学的な基盤も作っている。1780年に自身の著作で発表した。後に電気技師オリヴァー・ヘヴィサイドにより回路方程式を解く手法として経験則的に再発見され、汎用的な微分方程式の解法の1つとして広く利用されるようになった。1950年代にはラプラス変換を利用して、システムの入出力の関係を記述した微分方程式から伝達関数を求め、システムを解析・制御する古典制御論の理論構築が行われ、産業界において主流の制御方式であるPID制御へ発展した。

他に、ラプラスの星雲説などで知られる。ラプラスの名前にちなんだ用語として、ラプラシアン(ラプラス作用素)、ラプラス方程式などがある。

数学上の偉大な業績には遠く及ばないが、ラプラスは政治家としても活動している。1799年ナポレオン・ボナパルト統領政府で1ヵ月余の短期間ながら内務大臣に登用され、元老院議員となり、王政復古後はルイ18世の下で貴族院議員となった。

決定論

決定論者である。これから起きるすべての現象は、これまでに起きたことに起因すると考えた。ある特定の時間の宇宙のすべての粒子(原子のこと)の運動状態が分かれば、これから起きるすべての現象はあらかじめ計算できるという考え方である。

この考え方は、決定論のなかでも特に、全ての事象の原因と結果は因果律に支配されているがゆえに未来は一意的に決定的であるとする「因果的決定論」の典型的なモデルである。一方で、ラプラスの死後登場した量子論の考え方には、コペンハーゲン解釈が正しいとするならばこの考え方は成り立たないとする批判がある。

ラプラスの言う「ラプラスの悪魔」とは、「ある瞬間における全ての物質力学的状態とを知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性[4]」(すなわち因果的に決定された未来を完全に見通すことができる者)の存在を仮定した空論上の概念的存在である。

関連図書

脚注

  1. ^ 岩波数学辞典, 481 ラプラス p.1585.
  2. ^ "Laplace; Pierre Simon (1749 - 1827); Marquis de Laplace". Record (英語). The Royal Society. 2012年3月28日閲覧
  3. ^ ラプラス, 解説 内井惣七.
  4. ^ ピエール=シモン・ラプラス、『確率の解析的理論』、1812年

関連項目

外部リンク

先代
ニコラ=マリー・キネット
内務大臣
1799
次代
リュシアン・ボナパルト
前任
ミシェル=ルイ=エティアンヌ・レニョー・ド・サン=ジャン・ダンジェリー
アカデミー・フランセーズ
席次8

第10代:1816年 - 1827年
後任
ピエール=ポール・ロワイエ=コラール