勘解由小路光宙
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時代 | 江戸時代末期 |
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生誕 | 文化5年9月26日(1808年11月14日) |
死没 | 文久2年6月28日(1862年7月24日) |
官位 | 正三位、非参議 |
主君 | 仁孝天皇→孝明天皇 |
氏族 | 広橋家→勘解由小路家 |
父母 |
父:広橋胤定、母:藤波寛忠の娘 養父:勘解由小路資善、養母:日野資矩の娘 |
兄弟 | 光成、光宙、竹屋光有、日野資宗、交野時晃 |
妻 | 中山忠頼の娘 |
子 | 咏、祐慎室、光尚、実方、養子:資生 |
勘解由小路 光宙(かでのこうじ みつおき)は、江戸時代末期の公卿。広橋胤定の末子で母は藤波寛忠の娘。勘解由小路資善と日野資矩の娘の養子。室は中山忠頼の娘。
経歴
[編集]文政元年(1818年)6月に資善夫妻の養子となり、翌月叙爵を受ける。翌文政2年(1819年)に元服して昇殿を許されて遠江権介に任ぜられる。中務権大輔、皇太后宮少進などを歴任して天保12年(1841年)12月22日に従三位に叙せられる。弘化2年(1845年)に正三位に叙せられるが、文久2年(1862年)に正三位非参議のまま55歳で死去。男子がいなかったため、裏松恭光の四男である資生が光宙の婿養子として後を継いだ。
天保2年(1831年)から死去の年までの30年間の日記(『光宙卿記』)の存在が知られている。
系譜
[編集]- 父:広橋胤定
- 母:藤波寛忠の娘
- 養父:勘解由小路資善
- 養母:日野資矩の娘
- 妻:中山忠頼の娘
- 生母不明の子女
- 女子:咏 - 勘解由小路資生室
- 女子:祐慎室
- 男子:勘解由小路光尚
- 男子:藪実方
- 養子
- 男子:勘解由小路資生(1827-1893) - 裏松恭光の四男
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 市古貞次編『国書人名辞典 1』(岩波書店、1993年) ISBN 978-4-000-80081-5
- 野島寿三郎編『公卿人名大事典』(日外アソシエーツ、1994年) ISBN 978-4-8169-1244-3
- 橋本政宣編『公家事典』(吉川弘文館、2010年) ISBN 978-4-642-01442-7