村上信彦
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村上 信彦(むらかみ のぶひこ、1909年(明治42年)3月30日 - 1983年(昭和58年)10月31日)は、日本の作家、女性史研究家、医事評論家。
経歴
大衆作家村上浪六の三男として東京下谷に生れる。「父浪六が手をつけようとした女中を救い出して父と義絶、その少女と結婚」したとされているが、このエピソードは彼の小説『音高く流れぬ』に登場するフィクションである。本小説は確かに村上本人とその周辺人物がモデルとなっており、村上の妻は女中として村上家に勤めていたが、エピソード自体は創作である。作中では女中に手を付けようとしたのも父ではなく叔父であり、主人公に父母はいない。村上が後年、彼の日記をもとに執筆したドキュメント小説『黒助の日記』にもこのエピソードはない。
府立五中を経て早稲田第一高等学院中退、出版社・興風館に勤務の後、1943年(昭和18年)より、文学、服装史、女性史の研究と著作に従事する。柳田國男の女性への見方を批判した『高群逸枝と柳田国男』で毎日出版文化賞受賞。『大正女性史』を未完のまま死去[1]。
1953年から1961年のあいだ、吾妻 新(あづま しん)の筆名で、SM雑誌『奇譚クラブ』にサディストとして小説・評論を寄稿[3]。
著訳書
小説
- 『音高く流れぬ』全四部(興風館) 1940 - 1941
- 『出版屋庄平』(教文館) 1943、のち改題『出版屋庄平の悲劇』
- 「青線区域」(『日刊スポーツ』にて1952年12月より連載)
- 「感情教育」全11回(『奇譚クラブ』1953年11月号 - 1954年9月号に連載)
- 「夜光島」全7回(『奇譚クラブ』1954年10月号 - 1955年4月号に連載)
- 『霧のなかの歌』全四部(三一書房) 1961
- 『娘は荒地で』(大和書房) 1965
- 『黒助の日記』全三巻 (偕成社) 1977
評論等
女性史
- 『女について - 反女性論的考察』(興風館) 1947
- 『標的者 - 憑かれた精神の考察』(西荻書店) 1948
- 『ゆがめられた性』(大日本雄弁会講談社) 1954
- 『あたらしい幸福 - その生き方・考えかた』(青春出版社) 1955
- 『服装の歴史』全3巻(理論社) 1955 - 1956、のち講談社文庫
- 『流行 - 古さと新しさ』(講談社) 1957
- 『女性 - どう生きてきたか』(青春出版社) 1957
- 『女の風俗史』(ダヴィッド社) 1957
- 『日本人の服装』(講談社) 1958
- 『紺の制服 - バス女子車掌たち』(三一書房) 1959
- 『あぐらをかく娘たち - 戦後女性風俗史』(中央公論社) 1963
- 『いのちと医学の間』(大和書房) 1966
- 『明治女性史』上・中前・中後・下(理論社) 1969 - 1972、のち講談社文庫
- 『近代日本の恋愛観』(理論社) 1974
- 『高群逸枝と柳田国男』(大和書房) 1977
- 『大正・根岸の空』(青蛙房) 1977
- 『日本の婦人問題』(岩波新書) 1978
- 『近代史のおんな』(大和書房) 1980
- 『大正女性史 上巻』(理論社) 1982
- 『大正期の職業婦人』(ドメス出版) 1983
医事評論
- 『胃ガン・腸ガン・喉頭ガン・食道ガン・舌ガン』(細川書房) 1970
- 『肝臓ガン・肺ガン・膵臓ガン・腎臓ガン』(細川書房) 1970
- 『ガンのワクチン治療』(細川書房) 1970
- 『蓮見ワクチン病症別療法 4 子宮ガン・乳ガン・膀胱ガン・前立腺ガン・直腸ガン』(細川書房) 1971
翻訳
- 『悲惨の涯』(シエロツエウスキ、和見正夫名義、興風館) 1940
- 『芸術と生涯』(ベリル・ベッカー、淡海堂) 1943
- 『被虐の家』(キドロトシュトツク、吾妻新名義、亜風社) 1953
- 『恐怖に憑かれて - ある女性神経症患者の精神分析』(L・フリーマン、太平出版社) 1975
- 『アリスの人生学校』(ピエール・マッコルラン、吾妻新名義、学研プラス) 2002