遊戯 (ドビュッシー)
舞踊詩『遊戯』(仏語:Jeux, poème dansé)は、クロード・ドビュッシーが1912年に作曲した最後のバレエ音楽ならびに最後の管弦楽曲。セルゲイ・ディアギレフが主宰するバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のために舞踊の伴奏音楽として作曲された。
“jeux”という名詞は、「テニスの試合」と、一人の男性を巡って二人の女性が「恋の鞘当て」を演ずることとの掛詞であり、無邪気な子どもの「お遊戯」という意味ではない。“jeux”は英語では“play”のことである。
概要
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Debussy:Jeux - インゴ・メッツマッハー指揮フランス放送フィルハーモニー管弦楽団による演奏。France Musique公式YouTube。 |
全曲を通して18分程度の長さがある。調性感に乏しいが、冒頭にイ長調の調号が付されており、嬰ヘ長調、ハ長調など様々な調を経て、イ音で終わる。
主題の操作、全体構築がきわめて即興的かつ流動的になっている。主題は加工・変形されてもいいし、またされなくても構わない。ただ反復するだけでもいいし、その場合にテンポや音価の変化が加えられても(むろん加えられなくても)構わない。というように、伝統的な意味での展開や動機労作、楽曲全体の統一性は拒否されており、その意味で「開かれた形式」による新しい楽曲構成法、時間認知を開拓したとして、また(特定の音程と楽器法の密接な関わり合いによる)全く新しいオーケストラ書法の上でも20世紀後半にピエール・ブーレーズ、カールハインツ・シュトックハウゼンらを中心とするグループによって再評価されるようになった。
なお、最初の商業録音は、1947年にヴィクトル・デ・サバタ指揮ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団によって行われた。
作曲の経緯
[編集]バレエ・リュスの振付家ヴァーツラフ・ニジンスキーと主宰者ディアギレフ[1]は、「テニスをする3人の男女の恋の駆け引き」というバレエのテーマを考案し[2][3]、筋書きとおおまかな振付を決定した後、1912年7月にドビュッシーに作曲を依頼した[4]。
ドビュッシーはバレエのテーマを“馬鹿げており非音楽的[5]”として断ったが、ニジンスキーがドビュッシーの音楽でなければ嫌だと駄々をこねたため[6]、報酬を2倍の1万ドル[7]に引き上げてドビュッシーに作曲を承諾させた[8]。
バレエ・リュスとドビュッシーの契約は6月28日に交わされ、2ヶ月後の8月23日に曲が完成した[7]。その後、ニジンスキーはバレエの最初と最後をテニスボールが飛んでくるシーンで統一し、音楽も冒頭の和音が結尾で再現されることを希望した。これを受けたディアギレフは10月31日にドビュッシーを訪ねてニジンスキーの要望を伝え、ドビュッシーは手直しを行った[9]。
初演
[編集]初演は1913年5月15日、完成まもないパリのシャンゼリゼ劇場において、ピエール・モントゥーの指揮、ニジンスキーの台本と振付け、レオン・バクストの美術・衣装によって行われた。主役の3人の男女はニジンスキー、カルサヴィナ、ショーラー[10]が演じた。
しかしながら初演の評価は芳しくなく、2週間後の5月29日に同じ演奏陣によって行われたストラヴィンスキーの『春の祭典』の騒動の陰に隠れてしまった。
ニジンスキーによる振り付けは長い間失われていたが、彼の『春の祭典』を復元したミリセント・ホドソン(Millicent Hodson)とケネス・アーチャー (Kenneth Archer)により復元され、2000年にロンドンのロイヤル・バレエ団により復活上演された[1]。
筋書き
[編集]初演時に観客に渡された解説文によると、シナリオは次のとおりである。当時のバレエ・リュスとしては、「現代」や「スポーツ」をテーマとしている点で珍しい。
「夕暮れの庭園。テニスボールがなくなって、一人の青年と二人の娘がボールを捜しに登場する。幻想的な光を3人に投げかける大きな電燈の人工的な照明は、子供じみた遊びを思い付かせる。隠れん坊をしたり、鬼ごっこをしてみたり、口喧嘩したり、わけもなく拗ねたりするのである。夜は暖かく、夜空は青白い光に染まっている。3人は抱きしめ合う。ところが、誰かの手をすり抜けた、もう一つのテニスボールが投げ込まれると、魔法は消える。3人の男女は、驚き慌てて、夜の庭園へと姿を消す。」
楽器編成
[編集]4管編成の大編成であり、厚めの管弦楽法が採られている。弦楽器や金管楽器の弱音器の使用、弦楽器のフラジオレットなどの多彩な特殊奏法、テクスチュアと音色の変幻自在な変化が特徴的である。
ピッコロ2、フルート2、オーボエ3、コーラングレ1、クラリネット(A管、ただしB♭管との持ち替えあり)3、バスクラリネット1、バスーン3、サリュソフォーン1、ホルン(F管)4、トランペット4、トロンボーン3、チューバ1、ティンパニ、トライアングル、タンブリン、シンバル、チェレスタ1、シロフォン、ハープ2、弦楽五部。
編曲
[編集]いくつかの編曲が行われており、2台ピアノ版はウラディーミル・アシュケナージ親子の録音がある[11]。
脚注
[編集]- ^ 当時ニジンスキーとディアギレフは同性愛の関係にあった(リチャード・バックル、鈴木晶訳『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』リブロポート、1984年、273ページ)。
- ^ 当初、ディアギレフは、ゲイの男性の三角関係を、一方ニジンスキーは飛行機事故を筋書きに取り入れることを考えていたが、最終的にはテニスをする3人の男女の恋の駆け引きという、より穏当な、しかし当時としてはモダンなテーマに落ち着いた。
- ^ ニジンスキーとバクストはバレエ・リュスのロンドン公演の際、1912年7月12日にベッドフォード公園を訪れてテニスに興じる人々を観ており、この光景が『遊戯』のアイデアや舞台装置に影響を与えていると考えられている(バックル、前掲書、271ページ)。
- ^ ドビュッシーとの仲介、交渉には画家のジャック=エミール・ブランシュ(Jacques Émile Blanche)が当たった(バックル、前掲書、271-272ページ)
- ^ バックル、前掲書、272ページ
- ^ 芳賀道子『バレエ・リュス その魅力のすべて』国書刊行会、2009年、322ページ
- ^ a b 松橋麻利『作曲家・人と作品 ドビュッシー』音楽之友社、2007年、136ページ
- ^ 芳賀、前掲書、204ページ
- ^ バックル、前掲書、276ページ
- ^ ニジンスキーの妹ニジンスカが予定されていたが、妊娠のため変更となった(バックル、前掲書、287ページ)。
- ^ Debussy: Jeux (Arr. for 2 Pianos)
外部リンク
[編集]- 遊戯の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト