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辰繁存

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たつしげ すすむ

辰繁 存
生誕 1926年
日本の旗 日本 北海道小樽市
死没 2013年1月25日
出身校 東京大学国文科
職業 実業家
肩書き 東京放送ラジオ編成課長
東京放送テレビ営業局ネットワーク業務部副部長
テレビ山梨取締役専務
エフエム富士社長
山梨県立文学館構想策定懇話会委員
山梨県立文学館建設懇話会委員
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辰繁 存(たつしげ すすむ、1926年 - 2013年1月25日)は、日本放送局経営者エフエム富士(FM-FUJI)初代社長

来歴・人物

北海道小樽市生まれ[1]。小樽中学校(旧制。のちの北海道小樽潮陵高等学校)、静岡高等学校旧制。のちの静岡大学[1]東京大学国文科を卒業後[1]日本放送協会へ入局[1]

民間放送草創期に東京放送(TBS)へ移籍[1]し、ラジオ番組編成・制作業務に従事[2][3]。ラジオの編成課長だった1963年昭和38年)、プロ野球シーズン中の夜間にナイター中継を優先させる編成の導入へ関わった[4]。その後、テレビ営業局ネットワーク業務部副部長を経て[2]1969年(昭和44年)9月にテレビ山梨(UTY)[5]出向[2][6]。中学校の先輩である諏訪博からバックアップを受け、1981年(昭和56年)のTBS定年退職後も引き続きUTYへ残り[2]、最終的には取締役専務を務めた[2]。その後、1988年(昭和63年)にUTY主導で設立されたFM-FUJIの初代社長を務めた[7]

のちに山梨県立文学館構想策定懇話会委員[1]、 山梨県立文学館建設懇話会委員[1]を歴任。2013年平成25年)1月25日に死去[1]

書籍

  • 甲斐みほとけの国(1988年、佼成出版社。著:矢野建彦、文:清雲俊元・辰繁存 ※辰繁は『千古の仏像に歴史文化の深さを刻む』を執筆) ISBN 9784333013265

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 「辰繁存さん追憶」
  2. ^ a b c d e 『テレビの青春』P391
  3. ^ 「辰繁存さん追憶」でも、番組編成に従事した旨が明記。
  4. ^ 『TBS50年史』P211
  5. ^ 1969年2月8日設立され、翌1970年4月1日にTBS系列局として開局。
  6. ^ 「辰繁存さん追憶」でも、昭和40年代にUTYへ出向した旨が明記。
  7. ^ FM開局と父の逮捕 - 『私の道~金丸康信UTY社長』…『企画・連載 : 山梨 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)』より(インターネット・アーカイブ2012年9月11日付保存キャッシュ)。

参考資料

関連項目

外部リンク

  • 辰繁, 存, 1926- - Web NDL Authorities(国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス) ※出典欄に「甲斐みほとけの国」「奥付 (本文・カバーを含む)」と明記。