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片倉景範

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片倉景範
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天保9年5月5日1838年6月26日
死没 明治35年(1902年2月7日
改名 景福、豊七郎、景範
別名 小十郎
戒名 謙徳院殿軌山範公大居士
墓所 白石傑山寺片倉家墓地
主君 伊達宗基
陸奥仙台藩
氏族 白石片倉氏
父母 父:片倉邦憲、母:伊達宗衡娘・愛姫
兄弟 景範、氏家景正
正室:中村日向守娘・梅子
継室:芝多対馬守娘・従子
景光
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片倉 景範(かたくら かげのり)は、江戸時代後期の伊達家重臣。通称は小十郎。白石片倉氏13代当主。

略歴

天保9年(1838年)、12代当主・片倉邦憲の子として白石城二ノ丸邸にて誕生[1]

前正室は中村日向守娘・梅子であったが、安政4年(1857年3月18日に離縁。

後正室は芝多対馬守娘・従子。子は景光

慶応2年(1866年8月3日戊辰戦争において戸沢口に出陣した。

明治3年(1870年5月、父に従い胆振国幌別郡に移住する。

明治9年(1876年10月28日、父の隠居により家督相続する。

明治11年(1878年7月6日札幌郡白石村、上白石村、手稲村の戸長となる。

明治15年(1882年3月14日、札幌県札幌区の白石村、上白石村、豊平村、平岸村月寒村の戸長となる。

明治35年(1902年2月7日病没。享年64。

脚注

  1. ^ 片倉信光. “片倉代々記資料”. 登別市立図書館. 2023年4月7日閲覧。

参考文献

関連項目